東京の人口は1360万人、昼間の人口は1500万人とのことです。役所、企業、大学、中小企業、商店街などの構成要素は無数で、これだけの都市を概観することは意味がないかのようです。無数の具で作られた万華鏡のようです。

 万華鏡の中の何十枚の具が、3枚の鏡によって無数になりそれも動き回っています。

 

 その東京の「具」を改めて考えてみます。分かり易いのは初期の江戸時代で、徳川幕府、大名屋敷を構える諸大名と、諸国から集められた大勢(おおぜい)の庶民でしょう。大名の下屋敷(しもやしき)は現在の目黒まで拡がっていてかなりの地域を占めていたようです(85%?)。当時、武士とその他の階級は、別世界と見るべきでしょう。

 江戸時代は町人文化が栄えたとも言われますが、町人とは何か考えても武家を相手の両替商、呉服商、武具商、旅籠(はたご)くらいしか思いつきません。

 絵図面から居住地を計算する研究では、江戸中期に人口比で3分の1の、50万人の町人が15%の広さの土地に住んでいたそうです。

 

 明治維新では、薩長土肥を中心とする維新軍が、山の手に住みつき、官庁や軍隊、警察や教育などの中枢が形造られました。

 デパートなどの商業の発展はあり、町内会の組織も作られたのでしょうが、町民、(東京)府民という層は見えてきません。

 戦後の発展を経て、今、中央官庁やその周辺機構、上場企業を中心とする大企業群とその周辺の層が何と言ってもはっきりしています。


               万華鏡 

 

 全国の公務員は395万人、みなし公務員といわれる人を含めると750万人とのことです(就業者数の12%)。全国の上場企業の社員数は590万人ですが非上場大企業や周辺企業を合わせると1000万人程度と推定します(同15%)。東京の場合、主要企業関係者の比率は全国平均の倍と考えると30%になります。

 仮に、東京で公務員と大企業の関係者が42%を占めるとすると大勢力です。

 

 このような企業人の層というのは戦後のこと、とくにオリンピック後のことでしょう。この人たちが企業や官庁を離れたときにどのように振る舞い、退職後に何をするか、どんな独自の文化を作るのかは見えていません。なんとなく、テレビ、新聞や雑誌が中間層を代弁している状態かもしれません。

 

 私の周囲だけかどうか分かりませんが、高校、大学の同窓会(60代)で全くと言っていいほど話が盛り上がりません。参加者の目が本気に見えるのは企業で活用できそうな講演のときくらいです。

 役所でも企業内でも、日常の話題はそれぞれの部署の細分化された情報で、話題の多くは秘密めいたものでしょう。役所、企業の人から見て、その他の人は税金を払い、商品を購入してくれれば良く、口出し無用かもしれません。
 そういう人が同窓会、近隣や親せきの人と会っても話題に窮するのは当然のことです。事前にちょっとした共通の話題を考えておけば何とかなるはずですが。

 

 前記の計算では58%以上になるそのほかの人は都民、町民という言葉が取りあえず似合います。街の神社を中心とした祭、商店会、自治会、それに区議を土台とする政治家の後援会が生きているのもこの世界です。保革逆転の時を経て、嫌われがちな押し付けの雰囲気は消えつつあります。東京の場合、地方からの参入はあっても、江戸以来の地主、銘店、酒店(減少傾向)、材木商(同)、各種工事店などなど、自治会や神社を支える人達はかなり残っています。今は貸ビル業、貸家業になっている人が多いようですが。

 地域の調整役をしているのは、数的に多数のこのような地場の都民でしょうか。

 

 東京大空襲による死者10~15万人、戦災孤児1万人弱というニュースを思い起こすと、東京はひと際(きわ)重い傷を背負い、富の蓄積も薄く、それが取り澄ましたイメージの原因かもしれません。

 一見万華鏡の世界を、何とか分解してみました。