大阪大学と東北大学は、東京を挟んで対称的です。経常収益の国立大3位が阪大、4位が東北大で、法学部の偏差値、司法試験合格者数でも阪大が、過去5年の科学研究費の1位の件数では東北大が上です。

 東北大は明倫館、大阪大学は適塾(緒方洪庵)。明治になってから医学校をはじめとする各種学校からの統合も共通。

 少し前ですが、大阪の文化や人情に触れました。立寄っただけの街場のうどん店で、店主から「毎度おおきに、何にさせてもらいまひょ?」と丁寧に言われたことが最初でした。大阪人のジョーク好きも外に開かれていることの現れ、大阪弁は以外に論理的な言葉だそうです。

 大阪は、京都、奈良、堺、神戸に囲まれ、仙台はもちろん、東京圏も上回るかもしれません。文化の厚みは西が上の気もします。

 西のオープンな土地柄には、いろいろなことが関係しているようです。

 縄文は狩猟と漁労の時代。東北から中部にかけての豊かな生活でした。そこに鉄器と稲作をもつ弥生人が、北陸、次に西日本に移ってきました。天皇家も、弥生的な西の文化圏からです。古事記の主題は、日本武尊(やまとたける)の東日本征服で、このころに東西は逆転。

 

                  青森 ねぶた祭


 平氏は天皇を中心、鎌倉、(豊臣)、江戸幕府では天皇は飾り物で、東西が再逆転。

 江戸時代の大阪城は幕府直轄地で城主はなく(城代)、商品の集積地でした。

 笑う平家、内向きに薄く笑う源氏。西は雅(みやび)な宮廷文化で、野原に出て恋歌を交わす世界。そこから見ると、東は農業と漁労の世界で、防人(さきもり)が淋しく都を想う世界かもしれません。

 東から見ると、宮殿で着飾り、野で四季を目出る文化にあこがれを感じなかっただけかもしれません。

 正確な確認はしていませんが、イギリス、アメリカなどのアングロサクソン民族は笑わない(但し、会う人ごとに「ハーイ」と言う)、南のラテン語圏の民族は陽気にしている(朝夕握手をするが容易に人を信用しない)という言い方もあるようです。ローマ軍のころから北方のガリア人は金髪、長身、碧眼(へきがん)で笑わないと言われていた位で、南の笑う人、北の笑わない人という対称でした。

 東北の大地の農業には武が伴い、理工系へ。文科系には不利かもしれません。東北は、昭和30年代に優秀な法学部の教授を集中的に招聘したこともありましたが大きな変化にはなりません。
 東と西の対比から、その他の大学のイメージになります。京都は貴族趣味が光ります。

 どこに事務所をおいても全国の人との接触が日常で、裁判所には地域性があります。地域の空気を理解していると、少し見通しがよくなる気がします