どうしても気になる言葉の2回目、「何れにせよ」「ある意味で」「それにしても」について。

 「いずれ」は、どれか、いつかという意味のようです。「いずれにせよ」には以前に困った経験があります。

 年配の依頼者の人と、確か隣人との紛争で、経過の確認をしたり何をしたいのかについて打合せをしているときに「いずれにせよ」を連発されました。

 「何れにせよ」の意味を分かっていなかったために、それまでの打合せをあいまいにして、要は自分の希望はこうですよと言われているような気がするものの、会話をどのように整理したらよいかが分からず神経をすり減らしました。

 「何れにせよ」は、二つとか三つの内のどの場合を取ってもというのが正確なようです。そうすると検討内容がどうであれということになり、それでは打合せになりません。今から考えると「ご希望は分かりましたが、その理由付けや進め方をどのようにするか確認させて下さい」というのが正解でした。

 次に、「ある意味で」は国会の答弁などでよく聞きます。「被災者の方の生活を一番に考えて対応します」というような単純なことにまで「ある意味で」を挟むことが慣例のようです。大臣に限らず政府委員の答弁、更に記者会見などでも「ある意味で」が入っています。
 それを聞いても、ある意味でとはどういう意味でなのかが分かりません。
多分、後日に「そういう意味で言ったのではありません」と言えるように逃げ道を残しています。

 その他に、政治家の人が「社会保障を無限に増やすことは難しいとお考えのようですが?」などと聞かれたときに具体的に言わずに「それについては・・・」というように答えるようです。これも後日、問題発言などと取り上げられるリスクを考えて、逃げ道を用意しています。
                         

 上記のやりとりは質問者の言葉と合わせて発言の意味が分かる訳ですが、そのような保身よりも、主語述語をはっきり言って国民に分かりやすい発言をするほうがポイントが高いのではというのが私の意見です。裁判や日常会話で使われることは余りないようですが、稀に耳にするとかなり目立つことになります。

 「それにしても」。これはテレビのコメンテーターなどが良く使います。「それはそれとして認めるとしても」というのが正しい意味のようです。そうすると、会話の如何なる時点でもこの言葉をさしはさむことができます。

 今までの対話の全部を引き取って私から申し上げますが、というかなり上から目線の言葉になります。かなりの立場の人が、かなりのことを言う場合でなければふさわしくないと思います。

 もう一つ、「それなりに」。これも気に入って使う人が多いようです。中途半端にしておくという否定と、それ相応にという肯定の両方の意味があるために聞く人には分りにくいようです。

 ここまで取り上げた、「なかなか」などの言葉は、漢語、移入語(漢語以外の外来語)でない、大和(やまと)言葉が多いようです。

 「まほろばの」とか「たたなずく」、「たらちねの」などのような大和言葉は雰囲気を和らげる絶大な力を持っています。もともとそういうふわりとした言葉を好み、多用した民族なのかもしれません。

 しかし、新聞や学術書で使われることのない、正確性に欠ける言葉のようですから、効用と限界を理解して使いたいものです。