以前に触れましたが、知人に調停委員になる人が複数現れたこともあり、家裁の調停についてまとめてみたいと思いました。やってみると相当な難題でした。

 家裁では裁判官も入った調停委員会の調停と、裁判官が単独で行う審判があります。

 離婚については必ず調停の申し立てからで(財産分与や親権者指定も含めて良い)、遺産分割は審判申し立てで良いが審判申立てをしても調停に回されるのが原則、認知のように調停が原則であるが最後は調停でなく「合意に相当する審判」をするもの、更に相続放棄や氏の変更のように審判のみのものもあり進行は一律ではありません。

  過去を振り返ると、家裁においては調停がかなり多くなっています。

 

 調停委員の構成としては弁護士が10%で最も多いほか、税理士、建築士などの専門家もいます。無職の調停委員が41%となっているなかには裁判所書記官OBや官僚OBの人が相当含まれているのではないかと思います。

 

 家裁のなかで、法律的に考えることを司法的機能といい、もう一方を人間関係調整機能・福祉的機能というようです。振り返ってみると、法律的な面からの説得よりは、一般常識からの説得が圧倒的に多いようで、このような人間関係調整機能では個人の世界観や価値観が表れやすく、調停委員のアドバイスが本当に適切かどうかは常に付きまといます。

 

  また、調停に臨むと、わざわざ人間関係のようなことにまで話題を拡げられてしまい難しくなる上に時間も膨大になってしまうと思うことも多々あります。地裁では「間接的な事情は裁判の対象になっていません」と言われてはじかれるところですから、この点が真逆です。

                        

                      田中律子    田中律子さん

 

 地裁の民事と違って家裁は、職権で調査や証拠調べをすることがで き、官公庁や企業への照会、さらに調査官が調査をすることも出来ます。このような権限が際立っている家裁のなかで、調停委員の方々が実務の知識、専門知識やケースワーカー的な教養をもたれているか、ということが問われています。


 昭和40年代まで、裁判所の調停委員は「徳望良識のある者」となっていたそうです。実際には地元の資産家や役人OBなどが担当され、市民からは封建的意識による「まあまあ調停」「足して二で割る式の調停」などと言われ、女性評論家から「女性に忍従を強いる調停」が批判された時代もあったようです。

 それを受けて、調停委員の資格が見直され、昭和49年から「専門的な知識経験を有する者又は社会生活の上で豊富な知識経験を有する者で人格識見の高い」人ということになり、調停委員の専門化と若返りが図られたと言われています。それでも保守的な(必ずしも批判的に言っていませんが)階層が多くなることは避けられないと思われます。むしろ裁判官の方が客観的かつ公平で時代遅れにならない調整を考えている人も多い気もします。地域ごとに、その都度の案件のなかで見ていくほかないかも知れません。

 

 調停委員の方々の日常として「委員会の中の意見動向を他言出来ない」とか、「離婚の慰謝料はどのくらいかという質問に世間話で答えても後からそれが裁判所の意見と言われてしまうこともあるので言及も控える」とか、「慣れを厳重に慎しみ、一日一日を初心に戻った気持ちで臨むことが肝要」というような厳しい制約の中で立場を守られているようです(「調停委員必携(家事)」)。

 

 調停委員さんのご苦労の一方で、それでも弁護士以外の人が満足のいく対応を受けることは簡単ではないかもしれません。弁護士としてはどう考えるのかについて、地裁では話題にならないような多種多様な問題が俎上に乗ることを予め覚悟し、福祉的又は人間関係的なところまで予め準備して臨んだ方が結局は近道かもしれません。

 

 調停を途中で断って審判に移行しても結果は変わりませんよなどと、やんわりと警告されることもありますが、裁判官による(調停から移行後の)審判の方が法律面を重視した結論が多く、分かりやすいと思うこともあります。
 やはり難題なのです。