今日の千葉は、風が少しあるけど爽やかな晴天となっています。
昨日見た天気予報の週間天気予想では、東京地方は、週明け7月19日(月)ぐらいから、晴れマークが続いているので、その辺が 「梅雨明け」 になるかもしれません。
思ったより、雨の少ない梅雨だったという気がします。九州地方は凄かったみたいですが ・・・ 。
さて、今日はピーター・フランプトンを ・・・ 。
ピーター・フランプトン(Peter Frampton)は、1950年4月22日生まれ。ロンドン出身のイギリスのミュージシャン、歌手、ギタリスト。
高校生の頃、同じ学校の先輩にデヴィッド・ボウイがいて、休み時間などによく彼とギターを弾いていたという。
1966年、アイドルバンドの 「ザ・ハード」 に参加。慎重170cm と小柄ではあるものの、繊細な顔立ちの美少年であり、ティーン・エイジャーの人気者となった。しかし、その後、アイドル扱いに嫌気がさしたフランプトンは、「スモール・フェイセス」 のスティーヴ・マリオット達と密かにミーティングを重ね、1969年にザ・ハードを脱退、時期を同じくしてグループを脱退したマリオット達と 「ハンブル・パイ」 を結成する運びとなった。
しかし、ハンブル・パイは、アルバム毎にブルージ―でソウルフルなスティーヴ・マリオット色が濃くなり、アコースティックなサウンドに惹かれ始めていたフランプトンは、徐々に居場所を失っていく。
1972年にハンブル・パイを円満に脱退し、「フランプトンズ・キャメル」 を結成する。
その傍ら、ギタリストとしてジョージ・ハリスンやニルソンのアルバムに参加して、腕を磨く。
1974年から精力的に、草の根全米ツアーを始め、地道にファンを増やしていく。1976年、この努力が実を結び、先の全米ツアーを収録した2枚組のライヴ・アルバム 「フランプトン・カムズ・アライヴ!(Frampton Comes Alive!)」 が全米1位、全世界で1000万枚を売り上げる驚異的な大ヒット作となる。 「Show Me The Way」 「Baby,I Love Your Way」 「Do You Feel Like We Do」 の三つのシングルの大ヒットもあり、年間通してこのアルバムは莫大なセールスを記録した。
この結果、ハード・ロック界では、ライヴ・アルバムがブームとなり、他のミュージシャン達もこぞってライヴ・アルバムをリリースした。
また、この作品の成功を機に、アメリカではアルバムのビッグセールス時代が始まったといわれる。
1970年代は稀にみる大成功を収めたフランプトンだが、若さゆえに経済観念に乏しく、大人達の巧妙な手段で操られ、レコード印税、コンサート収益など殆どを搾取され、僅かな身銭のみとなってしまう ・・・ 。
1980年代に入ってからは、セールス的には恵まれなかったものの、コンスタントに作品をリリースし続け、スマッシュ・ヒットもあったり、デヴィッド・ボウイのアルバムやツアーにギタリストとして参加、日本の中森明菜のアルバム(1988年 「Femme Fatale」 )、スティヴィー・ニックスのツアーにもギタリストとして参加するなどした。
ヴォーカル・マイクに、トーキング・モジュレーター(Talking modulater)という機材が使われていますが、その説明を少し ・・・ 。
トーキング・モジュレーターとは、楽器の音に人が喋っているようなイントネーションを加えるエフェクターで、トークボックス(Talkbox)ともいう。
エレクトリック・ギターやシンセサイザー等の楽器の音を、アンプ内蔵のスピーカーではなく、専用のスピーカーからビニール・チューブなどを通じてプレイヤーの口の中に導き、共鳴させ、ヴォーカル用マイクで音を拾う。 「ヴォコーダー」 という機材もあるが、これは、ランダムな声や発音をそのままシンセ音に直結させ、鍵盤の音階で出力させるのでこれとは異なる。
1970年代に一世を風靡したエフェクターで、ジェフ・ベック、ピーター・フランプトン、ロジャー・トラウトマン、初期のエアロスミス、ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラ、スティーヴィー・ワンダーらの使用で有名になった。
フランプトン・カムズ・アライヴ!/ピーター・フランプトン

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では、また。