『タロット基礎講座/大アルカナ/仙台』


◆日時 :7月19日 10時半~17時半(休憩1時間)

◆場所 :宮城県仙台市「With.A」
〒983-0852宮城県仙台市宮城野区榴岡3丁目7-30 降旗ビル304

◆参加費:12,000円

◆持ち物:タロットカード1デッキ
(ウエイト版、マルセイユ版どちらでもかまいません)

◆お問い合わせ/お申し込み先:090-2790-1724(うちでさん)


◆講座内容

・タロットカードの構成について
・大アルカナ一枚一枚の意味と解釈
・占いが上達するための日々の練習法
・リーディングのコツ
・複数枚のカードの意味の繫げ方
・いくつかの使いやすい展開法
・参加者をサンプラーとした実践読み



今回の講座の主なテーマは、「個人の内的真実」と「外的な現実世界」を繫げる一つのツールとして、どのようにタロットカードとつき合っていけばよいか、お見せすることにあります。

今回はタロットカード1デッキ78枚のうち、大アルカナ22枚の意味と解釈、具体的なリーディング方法を学びながら、参加者おひとりおひとりが、実際にタロットカードを読めるようになることを目指します。

■タロットカードについて

私の経験からですが、タロットカードに関わっていると、(占星術やカバラなどもそう思うのですが)魂のある部分が鍛えられるという感じがします。
ちょっと抽象的な表現ですが、「運命」に対して、強くなって行く感じがします。(自ら運命を創造していくということに対しても、運命を受け入れるということに対しても両方。)
これは、なんでなんだろうといつも考えるんですが、今のところ自分でそうだと思うことを、思いつくまま挙げてみます。

●自分を、より客観的に見られるように

生きている限り、自分自身を100%客観的に見ることは、人間には不可能ですよね。それは、自分自身の「目」を決して自分が外から見れないことと同じと言えると思います。それは、「目」の働き、「物を見る」ということが、見る主体(自分)から、切り離しすことができないからです。自分の「見る」という行為は、自分から発していて、外から自分の方へ向かうものではないからです。
「鏡で自分の目を映して見ることができる」という反論ができるかもしれません。たしかに物質としての「目」はそうかもしれません。
でも、例えば誰かに恋い焦がれている時のハートになってる目。
何かに嫌悪感を抱いている冷たい目。非難する目、愛着を持つ目、何かに没頭して自分を忘れている目、その表情、その仕草、計算や演技ではどうにもならない時の自分の姿って、たぶん、絶対自分では見たことがない。鏡に映してだって見えない。

その証拠に、写真の自分、録音された自分の声、録画された自分の姿を見ると、必ず何かしらの自分のイメージとのズレがあります。(そうか、これが外から見た自分なんだ、という納得ができるものから、恥ずかしくて、受け入れがたくて拒否感が出てしまうという感想まで色々だとは思いますが)

それで、私が思うにこのズレなんですが、ズレていることが良いとか悪いとか、生きにくさに繋がるとか、そういうわけじゃなくて、ズレているということに無自覚でいることや、ズレていることを受け入れられないでいることによって、問題が生じてくるのだと思います。

それは、能動的であるか受動的であるかの違いです。

自分や他者に対して「肯定感」「ポジティブなイメージ」「前向きな見方」が創って行けると、それは人生を充実したものに変えて行く力になると思いますが、

一方で「見たくないことは見ない」「嫌いなものには関わらない」という態度しか持てないとすれば、自分に対しても、他者に対しても「生きる」ということへの愛情を育てる力を、自ら閉ざしてしまうことになると思います。

同じ「良いところを見る」という態度でも前者と後者は全く違います。悪いところと共存しながら生きていくという態度と、悪いところを排除して無いものにしてしまうという作業の違いと言いますか。
こういうのを自覚していくことは、その渦中ではとても難しくて、自分が今どちらのことをしているのか、なかなか掴めません。

なぜ難しいのかというと、一つには「自分を客観的に見ることができない」からです。自分や他者を見るときに、自分の思いや都合、好き嫌いが入っているということ、自分の「意識のフレーム」を自覚することが困難だからです。

私たちが、好きだ嫌いだ、良いだ悪いだと言っていることの多くは、
その事柄にその性質があるわけではなく、その人の見方がそうさせていることが多いと思います。

たとえば、食べ物の好き嫌いを例に挙げますと。
これはかなり生理的な部類に入りますので、だれでも経験があると思いますが、ある人にとっては、お餅が大好物でも、ある人は全く受け付けない、ということがあります。(お餅がだめというのは私の話です。)この違いを、ふつう人は「お餅に問題がある」とは考えません。こういうことに関しては、だれでも経験がありますので、食べ物の好き嫌いは、好きだ嫌いだと言っている人の個性によるということに理解があります。

ですが、これが人間関係、政治、思想、宗教、教育などになりますと、とたんに話が変わってきます。
好ましい好ましくない、良い悪い、良い人、悪い人という判断に、
自分の都合や思いが入っていないか、片寄った見方をしていないか、わからなくなってきます。

人は、自分に都合の良いことしか見ていない。
見たいことしか見ていない。
人によってその程度は様々だと思いますが、
それを知っているか知らないかでは、大きな違いがあります。
それが人間の本質だとわかった上で、自分や他者と関わって行くことは大切ではないでしょうか。
つまり、自分を客観的に見ることができるようになればなるほど、自分の思い込みや思考の癖を自覚すればするほど、能動的に、他者や自分自身の良いところを見ることができるようになっていきます。

他者と意見の相違がある時、「相手が間違っている」という思いから、「どちらが間違っているというわけではなくて、個性の違いがそう見せているだけかもしれない」
という考え方に変化していきます。

自分自身を客観的に見る訓練、そうしようと努力することと、世界を歪みなく見ること、物事の本質を理解しようとすることは、根本的には同じ態度です。

そして、タロットカードに関わることは、この「自分自身を客観的に見る」訓練をすることと繋がっています。

それは、タロットカードそのものが、「個」と「全」、「内面世界」と「外的現実」の関係性を取り戻すシステムを持っているからです。

●「個」と「全」。

タロットカードは(基本的に)22枚の大アルカナと56枚の小アルカナ、計78枚のカードで構成されています。

78枚を一組として、この一組のカードを1デッキ(ワンデッキ)という呼び方をしますが、1デッキが一個の宇宙という考え方をします。
またこのように考えても良いです。
1デッキが一人の人間。

これは、タロットカードに触れていると自然に身に付いてくる考え方だと思うのですが、
1枚1枚のカードは、それ自身独立した完全な存在であると同時に、
その背後にある大きな繋がり(1デッキ)の中では、一つの全体を成り立たせる1枚であるということ。

この考え方がカラダに入ってくると、
一人一人の人間に対して同時に二つの目を持って見ることになります。(もちろん自分に対しても)

「個性」を持って、それ自身で完結して、それ自身が自由で、完全である人間の姿と、「全体」の中で、何かの役割を持って、自分のためではなく、他者のために生きる人間の姿。
そしてそれは、意識するしないに関わらず、相互に浸透し合ってるということ。

●「一つの全体」の中には矛盾が含まれる。

また、例えば、タロットカードの大アルカナ22枚を考えますと、その中には「3/女帝」(生産)や「21/世界」(完成)など、とてもポジティブに捉えられるカードと、「15/悪魔」(執着)や「16/塔」(崩壊)という、一見すると否定的なカードがあります。

これは、そのカード一枚だけを見てしまえば、たしかに良い悪いという感じがするのですが、もっと大きな繋がりの中で考えてみると、必ずしも良いこと悪いことという判断はできません。

なぜなら、それらすべてがあっての1デッキ、一つの全体だからです。そこには、良いとか悪いとかの価値判断はありません。
それがないと、全体が成り立たない大切な要素の一つです。

だれの中にも「悪魔」的な側面、「塔」的な側面があります。
カオスと矛盾があります。(それは、人間が物質的な存在であると同時に、霊的な存在でもあるということの証なのですが)

●悪魔と出会う

イエスやブッダでさえ、瞑想の中でマーラやサタンに出会います。
この悪魔は、人間にとって外にある現実であると同時に、内的なものでもあります。人間の悪魔的な側面との出会いは、地上的に人間という存在を捉えれば、必ず出会うことになります。

これは、シュタイナーで言うところの「境域の守護霊」との出会いと言っても良いと思うのですが、その出会いがないと、高次の霊界参入が許されません。これは、特殊な人間の霊界参入の話に限ったことではなくて、どんなささいな事柄に関しても、自分自身の悪魔的側面と折り合いをつけながら、人間は成長して行くのではないでしょうか。

一つ悪魔を理解すれば、一つ視野がひらけます。
視野がひらけるというのは、自由になっていくことだと思うのです。
言い換えれば、自由になっていくというのは、悪魔と出会うことです。
利己主義、堕落、虚栄、嫉妬、暴力、支配、偽善...、
もしこういう人間の側面が「悪魔」だとすれば、それらとの出会いによって、人間は、より人間の本質を理解することができると思うのです。

誤解がないように申し上げますが、これは決して、悪魔になれというわけでも、それを無条件に受け入れたり、その生き方が良いと言っているわけではありません。

そういうものと出会った時に、「出会っている」という自覚を持って、「自分がどうすべきか考える」ということが大事だと思うのです。自分の中にそれがあるかどうか、よく自分を見つめることが大事だと言っているのです。

人を非難する時、それが自分の嫉妬心から生まれていないか、
人に何かを教える時、それが自分の虚栄心から生まれていないか、
人を心配する時、それが相手をコントロールしたいという欲求から生まれていないか...。
実際、人間の行為のかなり多くが、この意味で悪魔的ですが、
まずそれを認識しなければ、それらの側面は自分や他者を知らないうちに苦しめます。
認識したからと言って、すぐに消えてしまうほど人間は単純にできていませんが、でも、最初は認識することから。「悪魔と出会うことから」。この意味で、私は、悪魔と出会うことは、人間を少しずつ自由にして行くと思うのです。
そういった側面から、タロットカードに触れるのは、とても意味があることだと思います。

なぜなら、タロットカードは決して、悪魔や死神を排除しません。
向き合うべき時には、必ず向き合うということを教えてくれます。
執着の苦しさ(悪魔)、迷い(月)、手放す痛み(死神)、別れの辛さ(ソード3)…、
それらは、現実世界を生きる人間の一部です。

そういう考え方に慣れて行くと、一見すると無駄なもの、非合理的なものにも、何らかの意味を見つけることができるようになってきます。
これは、人間が現代を生きて行く上で、大きな支えになります。
この意味は、一人一人が自分で感じて、手に入れて行くしかないのですが、それを見つめる作業をして行く上で、タロットカードはとても大きな支えになります。

●現代という時代を生きる上で

現代という時代は、合理的、経済的、生産的であることに、意識の重心がかかっていて、だれでも、多かれ少なかれ「何をすべきか」「何が好きか」わからなくなっています。
「したい」と思うこと、「好き」だと感じることを否定され続けていると、だんだんその感覚が麻痺してきます。
自分じゃない誰かに判断を委ねてしまいます。
遠回りをすること、道草をくうこと、無駄なこと、周りや社会がそう判断することに対して、「本当にこれをやっていて良いのだろうか」と不安になります。

この不安を打ち消すために、別のことで埋め合わせしようとしたり、
結果を保証されていることしかできなくなってしまう。
ここに、個人の強烈な思い込みの力が加わって、自分の利益だけを追求して、自分のために周りを道具として扱うことに何の抵抗も感じなくなる場合もあります。迷いはないけれど、冷たい人間になってしまうということもあり得ます。あるいは反対に、現実世界から逃避して、根拠のない迷信に振り回されて、大切な人間関係を失ってしまうということもありえます。
どちらにしても、こういうことは、「個」と「全」の意識の繋がりを、柔軟にon/offできないから起きることだと思います。

タロットカードを理解し、その言葉を持って、自分が生きている世界を見直してみると、世界が違って見えてきます。
今まで意識できなかったものを意識できるようになってきます。
その見方を持って生きると、運命が変わってきます。
運命に対する意識が変化してくるからです。

もちろん、悪いことや不都合なこと、辛いことが起こらなくなるというわけじゃありません。それも自分の一部で、世界の一部だという見方ができるようになってくるのです。
苦しみや痛みの中でも、その意味を考えられるようになってきます。
意味がわかること、意味を知るために努力することは、必ず人間を支えてくれます。
痛んでいる人に対して、向き合い方が変わります。
全体との関わりの中で考えれば、その痛んでいる人は、もしかすると、私が経験するはずであった、私の一部かも知れないと思うようになるからです。

●イメージを形にしていく力。イメージと宇宙の法則性との繋がり

カードには「絵」があり、「数字」があり、「象徴」があり、「言葉」があります。
カードに向き合うと、様々なイメージが浮かび上がってきます。
カードを読む訓練は、このイメージを言葉にしていく訓練です。
そして、これはやればやるほどセンスが磨かれていきます。

そして、だんだん、浮かび上がってくるイメージの中から、
重要なものと、そうでないものの違いがわかるようになってきます。
イメージを形にしていく力は、人生をクリエイティブにします。
そして、「予感」や「直感」のような繊細な感覚が育ってきます。

イメージについてひとつお話をすると、私がタロットをする時、視覚的に表現すると、よくこんなイメージが浮かびます。

半透明の、けれどとても美しい水がありまして、水の底には、桃色の薄い和紙が何枚も何枚も、それこそ何千枚という感じで層になって沈んでいるんですが、水面は自分の胸というか、お腹あたりにありまして、水の底は地球の中心みたいな、ずーっと遠くという感じで、自分の額の奥のあたりから、そこを真っすぐ見下ろしてると、一番上の一枚がはがれて、ゆっくり水面に浮かび上がってくるんですね。ユラユラ揺れながら。一枚、二枚...とゆっくりはがれて、少しずつ水面に上がってくる。それは薄い紙なんですが、生き物のようで、形を変化させている。それで、そこに何かが書かれている。字が見えるとかじゃないんですが、なにか「手紙を受け取った」という感じがするんですね。無理に視覚的に表すとこういう感じなんですが。

そういう感じがしながら、タロットを読むんですが、それで、水面に表れたとたん、1枚のカードが、現実との繋がりを持った限定された意味を持つものになります。

こういう感覚を研ぎすましていくと、タロットをしていない時でも、
自分に必要なメーッセージを日々の生活から読み取ることができるようになってきます。何か、まだ形になっていないものが、今後どのような形になって行くか、直感されるようになってきます。

また逆に、形ある事物の中に、その背景がイメージされてきます。
ある「フォルム」を見た時に、それを、そう形作った、先行する精神がイメージされてきます。

そして、カードを見ながら、こういう訓練をくり返しくり返ししていると、自然の事物、物事の流れ、人間の心の中には、何か共通のイメージがあることも体感されてきます。

それは「神話」とも言えますし、あるいは、ゲーテの言う「原形」であるとも思うのですが、何か、イメージの向こうに一つの法則性のようなものが予感されてきます。現実世界とは違う時間が流れる、もう一つの世界が見えてきます。

シュタイナーはこのことに関連して、こんなことを話しています。

「人間が、偉大な宇宙神殿の中に自らを組み入れるべきであるという知識は、人類からますます失われてしまいました。今日では、私たちの中に法則が生きていること、為すことすべてが宇宙の法則に支配されているということを、人間はまったく知らずに生まれ、死んでいきます。私たちの現代という時代そのものが『失われた時代』なのです。なぜなら、人間が法則に従って生きなければならない、ということを人びとは知らないでいるのですから。
それゆえ太古の賢明な 祭司たちは、霊界の偉大な法則を少しでも新しい文化の中に採り入れるための方策を考え続けました。生活の多くの分野に、ゲームさえも、法則的な秩序を秘密 裏に組み込んだのは、偉大な賢者たちのいわば策略だったのです。トランプやチェスその他のゲームのルールの中に、私が法則的な秩序と称したものの模像を、たとえおぼろげでも、見ることができます。トランプをするとき、ルールを知らなければ、うまくいきません。これは、実に、偉大な宇宙法則の模像なのです。
カバラのセフィロートやさまざまな分野での数による秩序の法則は、トランプの組み合わせの中にも見出せます。人間が遊びながらでも叡智の模像を持てるように、ゲームの魅力の中にまで偉大な法則をこめることを、賢者たちは心得ていました。」(R・シュタイナー『神殿伝説と黄金伝説 シュタイナー秘教講義より p142p143』)

タロットカードの中には、さまざまに解釈可能な法則性が見つけられますが、それを、知識として理解する段階を超えると、だんだんと世界の見え方が変化していきます。
見方が変わるので、自分と他者との関係性が変化してきます。

一番遠いところが一番近いところであると気付いたり、
一番大きなものを、一番小さなものの中に発見したり、
タロットカードに触れているとそういうイメージが日常生活の中に入ってきます。

これは、最初の話とも繋がっていくのですが、
そうすると、より客観的でもあり、しかしより主観的でもあるという、本来ならば矛盾したあり方が自分の中に生まれてきます。
自分の中に何人もの人間が生まれ、また逆に、外に見る何人もの人間がたった一人の人間であるというイメージも生まれてきます。

●「もう1人の自分」としてのタロットカード

少しコツをつかめば、タロットカードの応用範囲は無限に広がります。
慣れれば、それほど難しくはありません。
私は、タロットカードを、自分のもう一つのカラダだと思っています。私のカラダから流れ出た、私のカラダとしてのタロットカード。私の指先としてのタロットカード。私であると同時に、宇宙の法則をそっくりそのまま縮小した一つのシステム。

言葉にならない言葉を、タロットカードは言葉にする手助けをしてくれます。
講座では、この「自分とタロットカードを繫げる」ことに重点を置いて進めたいと思います。

みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

アストロマーメイド西湖