こんにちは。
今日は、社長に関するちょっといい話を聞いたので、
それをご紹介したいと思います。
セーレン株式会社の川田達男社長のお話です。
川田社長は1962年に明治大学を卒業し、地元で有数の企業、
福井精錬加工(後のセーレン)に入社。
エリートコースを歩いてきた川田氏でしたが、当時のセーレンは
繊維メーカーから受注を受け織物を預かり、言われたとおりの
色柄に染めるだけの加工業を行う会社。
企業とはこうあるべき!という理想に燃えていた新卒の川田氏は
それを率直に上司に意見し、上司の逆鱗に触れ、大学卒としては
異例の工場勤務になってしまったのだそうです。
でもそこでへこたれなたったのが川田氏のすごいところです。
工場で仲間と共に汗をかき仕事を覚え、めきめきと頭角を現し、
新しい製品を開発していきます。
大きな転機となったのが自動車のシートカバーの素材に同社の
合成繊維を使うアイディア。
前例のない仕事だったため、上層部のひどい反対にあいつつも、
かつての工場の仲間たちの協力を仰ぎ、シートカバーを初出荷したのは
1976年、川田氏が36歳のときでした。
その後、世界の自動車のシートカバーは合成繊維に変わっていき、
現在ではセーレンはシートカバーのトップシェアの会社で、
国産車の3台に1台のシートカバーはセーレンが作っているそうです。
2005年にはカネボウの繊維事業を買収、わずか2年半で見事に
黒字化、業界を驚かせました。
これも、川田氏の「大改革」があったからだと言われています。
どんな状況にもへこたれず、努力を惜しまなかった川田氏。
凡人の私でも、見習える点がありそうです。

今日は、社長に関するちょっといい話を聞いたので、
それをご紹介したいと思います。
セーレン株式会社の川田達男社長のお話です。
川田社長は1962年に明治大学を卒業し、地元で有数の企業、
福井精錬加工(後のセーレン)に入社。
エリートコースを歩いてきた川田氏でしたが、当時のセーレンは
繊維メーカーから受注を受け織物を預かり、言われたとおりの
色柄に染めるだけの加工業を行う会社。
企業とはこうあるべき!という理想に燃えていた新卒の川田氏は
それを率直に上司に意見し、上司の逆鱗に触れ、大学卒としては
異例の工場勤務になってしまったのだそうです。
でもそこでへこたれなたったのが川田氏のすごいところです。
工場で仲間と共に汗をかき仕事を覚え、めきめきと頭角を現し、
新しい製品を開発していきます。
大きな転機となったのが自動車のシートカバーの素材に同社の
合成繊維を使うアイディア。
前例のない仕事だったため、上層部のひどい反対にあいつつも、
かつての工場の仲間たちの協力を仰ぎ、シートカバーを初出荷したのは
1976年、川田氏が36歳のときでした。
その後、世界の自動車のシートカバーは合成繊維に変わっていき、
現在ではセーレンはシートカバーのトップシェアの会社で、
国産車の3台に1台のシートカバーはセーレンが作っているそうです。
2005年にはカネボウの繊維事業を買収、わずか2年半で見事に
黒字化、業界を驚かせました。
これも、川田氏の「大改革」があったからだと言われています。
どんな状況にもへこたれず、努力を惜しまなかった川田氏。
凡人の私でも、見習える点がありそうです。
