【森本敏 VS 石破茂はどちらがオタクか】 | 電子文学

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■本邦初の電子書籍レビュー

こんにちは。


森本敏先生が防衛大臣ですか。石破茂氏との討論は、さぞオタッキーで面白いものになりそうですね^^


さて、


長い間、日本の美意識の最たるものは、わび・さび(侘・寂)であるとされてきました。一般的には、質素で静かなものを指す言葉です。


WIKIによれば、


侘(わび)とは、動詞「わぶ」の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となる。


転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味している。


もっと端的にいえば「貧しい様子」「貧乏」ということになろうか。


本来は良い概念ではなかったが、禅宗の影響などもあってこれが積極的に評価され、美意識の中にとりこまれていった。


寂(さび)は動詞「さぶ」の名詞形で、本来は時間の経過によって劣化した様子(経年変化)を意味している。


転じて漢字の「寂」が当てられ、人がいなくなって静かな状態を表すようになった。


同様に金属の表面に現れた「さび」には、漢字の「錆」が当てられている。


ということですが、


ここには評価基準としての「粋」というやせ我慢の要素が対になっています。


わび・さびの評価には粋の後押しが必要です。


高齢化、縮小化、固定化の流れの今、必要なものは、この流れではなく、元来日本にあったもう一つの美の流れ、


同じく「粋」を評価基準としての、


ざれ、ふざけではないか?


なんてひらめきました。


「戯れ」は古くは11世紀初めころからの猿楽の芸態の一つとして文献にあらわれていて、空戯(そらざれ)(ふざけごと)を弄する京童の姿がおもしろおかしく演じられて笑いを呼んだということですが、


もともと、「洒落る」の語源は「戯れる」であって、まあ機転がきいた会話とかおしゃれなことですね。


もっと古くは、たわむれる、ふざけるの「サレル・サル」「猿」の語源でもあるということです。


ふざけるは、「巫山戯る」と書いて、戯言の一種。


巫山は中国の険しい山で、その山でざれよう(あそぶ)とするのはたわけ(バカ)のやることであるというような意味合いらしいですが、


静的な経年変化の中に「美」を見出す「わび・さび」という概念は、平安・平穏・もののあわれなどという日本の美意識を表す文化であることは認め、評価しますけど、


これは究極的には人の手の及ばない「自然崇拝」の一種じゃないのでしょうか。


人間が積極的に関与して現状にコミットする方法としての「ざれ・ふざけ」の方が、なにやら得体のしれない破壊的なエネルギーを持ちうるものであって、


ここに「粋」を感じることの方が多いですね、最近。


幕末、閉塞した社会の中で大衆の不満は浮世絵のグロテスクさに反映されますが、


結局、次の時代は「わび・さび」から起こったものでは無く、「ざれ・ふざけ」から始動した、とも思えます。









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