また、映像を拝借します | 「灯りと温もり」の雑記帳

「灯りと温もり」の雑記帳

“高齢者” オヤジの雑記へようこそ。ご訪問に感謝致します。
平成29年元日に、ブログタイトルを「アメカジおやじの雑記帳」から「『灯りと温もり』の雑記帳」に変えました。


本日7日は七夕ですが、私は七夕で何かをする齢ではありません。

大型の商業施設など、大勢の人が集まる場所では子供達が飾り付け、願いを書き記した短冊が吊るされた笹の枝を見掛けます。

変わった処だと・・・神戸の『水の科学博物館』では幼稚園・保育園の園児らが書いた短冊が千枚ほど飾られているそうです。
こうした企画は全国で見られるのでしょうね。

息子が小学生の時に神戸市から、市内の公共施設のフリーパスが支給されていたので、その頃 息子と一緒に『水の科学博物館』を訪れて以来、まったく行っていませんが、結構 楽しい施設でした。



私は7年ほど前に傷めた脚の定期検診に、年一回のペースで総合病院に行きます。
先日、そこのロビーに設置されている複数の笹の枝に吊るされている短冊を幾つか読んだのですが、入院している子供さんが書いた「早く治したい」旨の記述や、「早く治って」と謂う友達らしき子の励ましや願いを読むと、いい齢をしたオッサんの涙腺が緩みそうになります。




ところで、7月7日は陸軍大将・栗林忠道さんの誕生日でもあります。
今から70年ほど前、栗林中将(当時)の指揮の下、硫黄島で日本人が見せた戦いぶりは、敵国からも尊崇の念を抱かれていますが、軍に招集されるまでは一般人だった兵士も多いのに、あの勇猛果敢な戦いには、いくら感謝してもしきれない程ですし、今を生きる日本人の誇りでもあります。

  「国の為重き努を果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」
                  (栗林大将 辞世歌)

  

毎年3月には日米合同の慰霊祭が硫黄島で行なわれていますが、戦った双方の国が合同で行なう慰霊祭は硫黄島だけなのだそうな。
此の島で約2万2千人の日本軍の方々が戦死されましたが、遺骨収集は半分も出来ていないと認識しています。

小泉首相から民主党政権までに少しずつ進んでいた遺骨収集事業が、第二次安倍政権になってから、大きく動き出しました。
一刻も速く丁寧な弔いを国が執り行い、遺骨を故郷の家族や親族の元に還らせて上げたいものです。


20年ほど前、天皇陛下と皇后陛下が硫黄島に幸啓され、その時に歌を詠まれました。

  『硫黄島』 (天皇陛下御製) 
   「精魂を込め戦ひし人未だ 地下に眠りて島は悲しき」  


  『慰霊碑に詣づ』 (皇后陛下御歌)
   「慰霊地は今安らかに水たたふ 如何ばかり君ら水を欲りけむ」 


また、高松宮宣仁親王殿下が二度、硫黄島をご訪問された時に、英霊に跪き首を垂れて瞑想されたり、裸足で洞窟に入られるなど、最上の敬意を示された話はよく知られています。
あの時の殿下の叡慮には、昭和天皇の大御心が共に御座したのではないでしょうか。



話は替わりますが、『愛国太郎2号』さんが、7月6日放送の『たかじんの そこまで言って委員会』の映像をアップされました。
これも直ぐに削除されるでしょうが、また貼らせて頂きます。
先週の方が面白かったと想いますが・・・。

今日のブログは、この映像を貼らせて貰うための更新です。