ここ最近、facebookを中心としたSNSの普及によって、
ネット上でかなり気軽に、多くの人とのつながりを感じられるようになってきました。
友人の近況をSNSでチェックし、「いいね!」ボタンを1クリックするだけで、
お互いの存在を承認し合えますし、気になるインフルエンサーをフォローすれば、
自分の興味ある分野の最新情報をチェックできたりします。
情報をやりとりするコストが下がったという点で、
この状況は進化だと私も思いますが、
一方でSNSは危ない側面も持ち合わせていると思います。
その危ない側面とは、
「自分にとって都合のいい情報しか、自分に入ってこない」という点です。
今の時代は、たくさんの人と簡単に繋がれるため、
極端に言えば、自分を批判する人とは関係を切ればいいし、
自分にとって不都合な情報を発信する人はフォローをやめればいい
ということになってしまうわけです。
このような行動は、本人が自分勝手というわけではなく、
気持ちいいことを求めるのが人間の本能なので、
今のような環境に置かれたら、ある程度仕方ないことだと思っています。
そして、SNSを提供する運営者側も
ユーザーに長時間サイトに滞在してもらうためには
ユーザーを「気持ちよく」する必要があるので、
ユーザーの自己承認欲求を満たす仕組みや
ユーザーにとっても耳障りのいい情報が多く入ってくるシステムを
作ることにこれからも精を出すと思いますし、
それは経済合理性の観点から仕方ないことだと思います。
私自身、色んな人と会って話すことを心がけているのですが、
全然育ってきた環境が違う人と話すことで得られる気付きがあったり、
耳が痛い説教が後々考えると、自分の成長に役立った、という経験があります。
やはり、何か変化するには「異質な外部」の存在が必要だと思うので、
SNSが提供してくれる「居心地のよさ」に安住するのではなく、
積極的に「耳の痛いけれど、ためになる話」に耳を傾けないとダメだな、と思った次第です。
ちなみに「耳の痛いけれど、ためになる話」かどうかの判断基準として、
私はその話をする人の行動や実績を見ています。
その人の行動や実績が自分の憧れるものであれば、
多少今の自分と違和感があっても、素直にマネしてみたりします。