パンデミックのリオデジャネイロで
ものすごく、ご無沙汰しています!
またしても我に返って、どんどん書くぞと、誓っています ♪
パンデミックで世界中が大変な中、いろいろ報道されてきた通り、ブラジルも大変でした。
(今もまだまだ大変ですが…)
大統領が、新型コロナ軽視の発言や姿勢で、ずいぶん有名になってしまったけど、ブラジルは連邦制なので、各州・各市の自治の範囲も広いんですね。
なので、私の住むリオも、3月下旬から外出規制に入って、一部地域ではロックダウンもしながら、頑張ってきました。
いやもう、感染者や死亡者の数字からは、多分、想像できないほど、カリオカ(リオっ子)達も、頑張ったんですよ。
例えば、4月の写真なんですけど、銅像しかいない、コパカバーナビーチ。
鳩しかいない、イパネマビーチ。
いつもは観光客やリオ市民のお出かけで賑わう、ムゼウ・ド・アマヤン(明日のミュージアム)と、その広場。
外出できないから当たり前だけど、ゴーストタウン状態。
私は普通、リオにいるのと、出張と、どちらの方が長いか、というぐらい、外国、ブラジル国内を含め、あちこち取材で出かける人生を送ってきたんですよね。
でも、この外出規制が始まってからは、ずーっとリオにいて。
家を出るのは、週1回のスーパーへの買い出しと、必要に応じて銀行。
ちなみに銀行も、中で3密にならないよう、応対される人しか入れなかったりするんですが、ウチの近所の銀行に行くと、誰が見張ってるわけじゃなくても、入り口の外に、ちゃんと一列に、距離を取りながら、ずらーっと並んでいて。
どこでもそう、というわけじゃないけど、すごいやん、カリオカ!っていう感じで。
で、私の仕事も、さっきの写真のような、新型コロナ関係の撮影以外は、ほとんどスマホとパソコンでした。
インタビューとかも、電話、whatsapp、Zoom、スカイプ…。
選手、元選手達も、私から質問項目を送ったら、自分でスマホで録画したインタビュー映像を、whatsappで送ってくれる…、なんて方法も取ったり、その協力には、本当に感謝しまくりの日々で… ♪
とまぁ、そういう日々が、振り返ると、ビューンと過ぎて、もう半年ですよっ、半年!
とは言え、6月の途中から段階的解除が始まって、9月にもなると、街の雰囲気はかなり緩んでたんですけど。
特に、ビーチとバール。
週末にもなると、めっちゃ混雑してます…。
私は普段でも、リオにいる時は、取材で出てる時以外は自宅作業なので、家で仕事するのも苦じゃない、というより、それはそれで好きなんですよね。
でも、とにかくそういう期間が長いので、ウニウニなる時もある。
そんな時、頭と心を休めるのが、夕方のウォーキングでした。
もともと、仕事でスポーツに関わっているくせに、自分では全っっ然、スポーツしないので、唯一の運動がウォーキング。
家の前の海岸通りを歩きます。
もっと日没に近い時は、
この風景に癒やされつつ、テクテク歩く時間が、ものすごい大切でした。
あんまりマスクの顔、好きじゃないんだけど、こういう日々を過ごしていることを、記録と記憶に残すのも大事かなと、時々、自撮りする日もあったり(笑)。
仕事のこと、暮らしのこと、またいろいろ書いていきたいので、是非、おつきあい下さいませ ♪
戦う意味。ジエーゴとフラメンゴ
大変ご無沙汰しています!
ここへ来て、また我に返った藤原清美です。
12月に入り、またPlaneta Kiyomi に力を入れて、どんどんアップし始めています。
そんな中、12月の頭のことなんですけど、とても心に残るインタビューをしたんです。
フラメンゴのジエーゴ。
ジエーゴは2002年、 16歳にしてサントスでプロデビューするやいなや、若い選手主体のチームでブラジル全国選手権優勝して、大きく話題になりました。
その後はヨーロッパ、特にドイツでのプレーが印象に残る選手です。
セレソンでもプレーしていました。
そんな彼が今、フラメンゴで、ピッチの内外に渡る、リーダーとして戦っているんですね。
フラメンゴ、今年は本当にすごくて、リオデジャネイロ州選手権、ブラジル全国選手権、南米最高峰を争うリベルタドーレス杯と、3冠を達成しました。
そのジエーゴを訪ねたインタビューを2つ、アップしました。
それを、見てもらいたくて。
1つめはこちら
Planeta Kiyomi
Entrevista com Diego Ribas 1 : Mundial Interclubes
YouTube
https://www.facebook.com/planetakiyomi/videos/447892519232639/
フラメンゴとジエーゴの今季の成功について。
ジエーゴが来てから3年半、どうやってここまで来ることができたか。
まだクラブワールドカップの前だったので、一緒に戦おうという、サポーターへの呼びかけ。
そして、彼の内面に、より深く触れたのが、こちら
Planeta Kiyomi
Entrevista com Diego Ribas 2 : A vida no Flamengo
フラメンゴ、夢を絶たれた少年達に捧ぐ
日本でも報道されていますが、今月8日、フラメンゴのトレーニングセンターにある下部組織の寮で火災があり、寮で暮らしていた10人もの少年達が亡くなりました。
フラメンゴは、リオデジャネイロの4大サッカークラブの1つであるだけでなく、ブラジル屈指の強豪。
国内随一のサポーター数を誇っています。
ジーコの古巣でもあり、今も深い関わりを持っているジーコが、自身のSNSに投稿している言葉からは、深い悲しみが伝わってきます。
フラメンゴのトレーニングセンターは、広い敷地に新築・増築・改築を重ねて、ものすごく立派なものになったばかりでした。
でも、下部組織の寮は、寮としての建物の安全基準を満たしたものではなく、それが被害を大きくした要因でした。
もう、2度とこんなことが起こらないよう、この火災の後、全国のクラブの下部組織の寮にも監査が入り、まさに全国各地で問題が発覚。
今、解決が急がれています。
ブラジルのメディアでは、そういう今後に向けた取り組みと平行して、この1週間、連日、亡くなった少年達の故郷での葬儀、家族や友達、関係者の嘆きや、助かった選手達の思い、入院している選手達の経過などが、報道され続けています。
亡くなった少年達の年齢は、14〜16歳。
毎年8月、ジーコがリオにあるジーコサッカーセンターで、U−15日本ブラジル友好カップというのを開催しているんですね。
昨年、第21回を迎えた大会で、ブラジル全国の強豪クラブと、日本からはアントラーズの下部組織3チームや、Jリーグ選抜が参加し、例年16〜20チームで優勝を争います。
プレイベントとして、市川トレセンもリオに来て、ブラジルのチームと親善試合をおこなっています。
今回、亡くなった選手達の中にも、昨年、一昨年の大会に出場した選手達が何人もいます。
これを編集するために、昨年と一昨年の4つの試合映像を、ずっと見返していたんですね。
そこには、夢に向けて頑張っていた少年達の、エネルギーや明るさがあって。
その夢と人生が、突如として断ち切られたことを、見れば見るほど感じて、胸が詰まる思いで編集しました。
そして、助かった選手達や、その日、練習が休みだったことで、たまたま寮にいなかった選手達、みんながこれからも、前を向いて、夢の実現のために頑張ってくれることを願いながら。
今も入院している選手の1人は、自分はちゃんと脱出できたのに、その後、チームメイト達を助けようと、また戻っていったんですよ。
実際にそれで何人かを助けることができて、その自分は重体なんです。
回復を祈らずにはいられません。
そういう、色んな気持ちを込めたビデオ、是非、ご覧下さいませ。