最近、フェイスブックがうっとうしい。


みなきゃいいのですが


まぁ必要な情報もあるわけで


誰がどうしましたとか


何がああしてとか


自己主張が激しい方の話はめんどくさい。


だから何?とツッコム自分がいることが


心の温度が正常でないことを物語っている。


いいね だけだと


どうでもいいねがあるかも。


いまいち とか


そうは思わない


的なボタンもほしいものです。


ブログとかフェイスブックとかって反応を楽しむものなのかな。


自分の考えを誰かに聞いてもらいたいのか


褒めてもらいたいのか


すごいといわれたいのか


どこか満たされない渇きを癒すもので


自分の今をさまざまな反応で自分を確認すると


ツナガッテルって思うのだろうか。


本当に伝えたい事は 何を?じゃなくて 誰に?なんだろうか?


こんな話もイエスかノーかに分かれるのだろうか。


とりあえず誰かに言いたくなる気持ちを


一方的に吐き出せればそれでいいんだろうね。


そこはワカルかな(・ω・)







よく理解できませんが


人の上に立つとか 下につくとか なんなんでしょう。


私はいろいろな団体に所属して いろいろな人と出会い


いろいろな人の考えや知識を聞いて


自分なりに自分を成長させていただいているつもりです。


組織や団体に所属するということは それぞれの組織においての考えがあり 


自分よりも先に所属された方は先輩であり 後に所属した方は後輩となるわけです。


先輩からも後輩からも学ぶことは多く


古いことはダメ 新しいことは違う


そんなことは 今この瞬間にいるべき人間と時代にあわせるべきだと


わたしは思うんです。 古いこと=伝統ではありません。


本質を見失い、


何もわからない後輩が


何かを任された時に


経験しているはずの先輩が


何も教えず 出し惜しみして


ギリギリまで悩ませ


結局 偉そうに口だけだして


例年通りのことを 例年通りに形にする。


そんなことの繰り返しでは


まったく成長しないことに


気がつかない。


なんなんだろう。


後輩に経験を伝えることは 良いことだけを伝え偉そうにすることじゃなく


失敗したことも伝え一緒に成長していくことなのではないでしょうか?


私は絶対にそんなくだらない人間にはなりたくない  


 


  





あの日から4年経ちました。

しばらくぶりに更新でございます。

私は、地震の日に食べたチョコアイスを食べながらあの日あの時からのしばらくの間を思いだしてました。

震度6の揺れ、度重なる余震、買い占めによる物質の不足、燃料がなくて行列ができたり、計画停電とかもありましたね。

人は自分が感じた悲しみや痛みやツラい事は少しずつ忘れるようにできているのでしょうが

同じ悲しみや痛みやツラい事が自分以外の人に起こらないように

また起きた時には助けてあげる事ができるような生き方をしていかなきゃです。

もう4年ですか?まだ4年ですか?

来年の3月11日

アイスクリーム食べながら

私は何を思うのですかね。

明日という日が訪れる事だけでも感謝。

まだまだがんばっていきやしょー♪

















ハナ唄♪ぶろぐ
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