受容するこころ | just an old occurrence*

受容するこころ

ジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』から引用…三回目です。

男:「悲しそうだ」
女:「あなたは言葉で語る、私は感情で見つめているのに。」
男:「君とは会話にならない、思想がない、感情だけだ。」
女:「違うわ、思想は感情に有るのよ。」
男:「それじゃ、本気で会話してみよう。君の好きなこと、したいことは?ぼくも言うよ、君からだ。」
女:「花、動物、空の青、音楽…わからない全部よ。あなたは?」
男:「野望、希望、物の動き、偶然…わからない全部だ。」
*引用終了*

思想は、感情にある。

 これからの社会、重要なことは、シンプルに考える事ではなく、複雑な事を、複雑なままに受け入れる事ではないでしょうか。

…理解するわけではない。受容する事です。それがコミットメントする と言う事ではないでしょうか。そのためには、心に余裕が必要です。

 言い間違えは許さない。ちょっとでも、違うことを言うと指摘する。そんなことでは、コミュニケーションの齟齬は埋まりません。

「人は、人の考えというものは、はじめから一人ひとり違う。一人ひとりの考えをすべて理解する事なんてできないという事を」理解というか受容…していないと、いつまでたっても分かり合えない。

 声によるコミュニケーションだけですべてを理解できるはずがない。

(相手を理解する必要なんて無いと思う。受容するんだ。)

 だって、完璧なコミュニケーションなんて存在しないんだから。

 特に男は、受容すると言う事をできにくい…ここでぼくは男女差別を持ち出そうとしているわけではない。男女に差別があってはならないつまり、扱いに差があってはならない、でも差異はある。…男は、シンプルに考えようとするがゆえに、論理的を必要とするがゆえに、上の引用のように、感情よりも、思想を上位に見てしまいがちです。

 でも、大切なのは、思想も、感情等のためにあるって事。思想はあと付けなんです。感情があって、思想があるんです。

〔たしかに論理も大切です。例えば最近多くなってきた、何に対しても、敗北感を感じる人たち。この人たちには、なんに対しても自分たちは負け組みなんだってことに圧倒的な無力感を感じて、NEETやひきこもりになったり、そうならなくても、劣等感を感じてしまっています。
自分が負け組みだからといって、自分が無力でだめなやつと思う感情は、論理的に間違っています。〕
↓参考までに。
斎藤 環
「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論
 しかしこのような人たちを生み出すのも、また論理的であるがゆえにおきた切捨て、であり、世の中の考えが受容的でないから、言葉の一つ一つに、物事の一つ一つの欠点に、目がいってしまう。
大きく受容するという考えに行き着かない。

 いいたいことは、論理をとるか、感情をとるかと言う事じゃない。話し合うときは、論理が無いとうまくいかない。しかし、黙って受け入れる事。受容すること。そんなことも大事です。世の中はどんどん複雑になっているのに、アメリカを中心とする世界は、今までよりも増してシンプルに考えようとする。

 しかし、それによって現実の世界と解離してないかな?だってどんなにシンプル化しようとしても、その事によって、排除される世界がテロを起こす。切り捨てる。さらに排除された人ができる。テロを起こす。ある意味当たり前。受容しようとしていない。ただ、シンプルに切り捨てるだけ、まるで悪い部分を切り捨てれば病気はよくなるって言わんばかりの勢い。

“切捨て切捨てする間に、自分たちの考えを受け入れる人たちに援助援助していく間に、いつの間にか、最下層の人たちができました。でもその人たちは必要です、仮想的がいないと世の中はうまくいきませんから!”
…本当にそうかな???

 なんか、大きな話になったので、話を戻す。というかかえる。

 男と女の差異について…たぶん中沢新一さんの本で読んだと思うのですが、インディアンだったかな…とにかく先住民族的な人たちの風習で、男だけが、食料を持たずに修行のような狩りに出かけるというものがあるらしい。その事によって、男たちは、何かを体得する事ができるらしい。しかし、女はその狩りに出かけないから、その修行によって体得できるものを得られないわけなんです。その修行について調査した人が、女の人たちにこの狩りは不公平なんじゃないか…男女差別なんじゃないかって聞いたらしい。それについて女の人たちは、「そんなことをしなくても、女は、その修行によって男が体得するものを、生まれながらにして、分かっているのよ」って言ったらしいです。

 この男が苦労して、食料も食べずに体得するもの…これが受容の精神。だと思う(僕的に)。そして今の社会一番必要なものが受容だと思う。受容とは許す事じゃない。受け入れる事。他者を受け入れる事。他社に受け入れられること。おおっと話が、『デタッチメント・コミットメント 』と同じになった。

 何回かジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』から引用していると、この作品に僕の求めるすべてがあるんじゃないかって思ってしまう。映画自体はあんまり理解できない。でも一つ一つの映画に出てくる会話を取り出すと、すごく重要な事を言っている。
ハピネット・ピクチャーズ
気狂いピエロ
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11月14日の記事、或る日のできごと は、実はこの記事と同じ事が言いたかった…というのもあります。実際あの記事は、何かいいたいことがあって書き始めたわけではないですが…今思うとそんなことかな…なんて、よくわかんないや。前半は、前に書いてあったものですが、後半は、日光に旅行に行った帰りに、突然思いついて、一気に書いたものです。パクリが多いですが…。