イノセンスの身体論 | just an old occurrence*

イノセンスの身体論

 僕たちの身体は喪失しつつある…と押井守が言ってた。

 そもそも身体の喪失というのは、身体に広がる感覚が退化していってるのではないか?ということです。

 以前哲子の部屋を見ていたときに、大山のぶ代が、最近の人は歩いてて他の人とよくぶつかる。昔はどんなに人が歩いていてもぶつからないのが粋だった…みたいな事を言っていたが、まさにこれは身体の喪失だと思う。今の人は自分の身体をうまく扱えなくなっているんじゃないかということです。(もちろん僕も含めて)

 そのかわり感覚は、無限に広がっている。

 “個体が作り上げたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現系である”イノセンスに出てくる言葉ですが、これはそんな事を表しています。感覚は身体をこえて、人間が使う道具にまで広がっているのです。

 そして都市でさえも、それは人間の身体の一つである。そう押井守は言います。

 “皮膚とは延長された脳だ。唯一他人にさわれる脳がここなのだ。そして水は皮膚を遮断するのではない、限りなく延長する。”赤坂真理『ヴァイブレータ』

 身体が限りなく延長される感覚がそこにある一方、自分の身体に対する感覚が薄くなる。

 まさに押井守監督が『イノセンス』『攻殻機動隊』『アヴァロン』で取り上げたSFのサイバーパンクがその代表格ではないでしょうか。インターネットに直接脳(電脳)からつながる事によって自分という存在が無限に広がる感覚を持つ。

 そして押守守監督は身体を喪失することはしかたがないといいます。身体を失ったら失ったなりの生き方があると。

ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
イノセンス スタンダード版
押井 守
イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談

 身体は将来失っていくものではなくて、既に失いつつあるのです。そう考えるとなんか恐ろしいですね。

(『文学の徴候』 斉藤環著 文藝春秋 参照)