今日は1/17。
阪神淡路大震災から18年を迎えました。

当時、中学3年だった私。
午前5時46分には、既に起きていて地震に遭いました。
当日は月曜日だったのをはっきり覚えています。(※ 最後に脚注あり)

中学校の授業では、剣道が必須科目だったのですが、その週の5日間だけは授業の一環で連日寒稽古がありました。
そのため朝7時には学校に到着していなければならないということで、5時半に過ぎには目覚め、ちょうど制服に着替えようとしていた所でした。

ドンと下から突き上げられるような感覚のあと、味わったことのない突然の激しい揺れに恐怖を感じ、ベッドの上にある掛時計をとっさに外してから布団に潜り込みました。

初めての経験に揺れが収まった後も体の震えが止まりませんでした。


その後一旦学校に向かうも、寒稽古はおろかその日の学校自体も休校に。
帰ってきてテレビをつけると、目を疑うよな光景が飛び込んできました。

阪神高速の橋脚が折れて横倒しになり、電車は脱線、建物の多くが倒壊。
空から見た神戸の街の至るところから火の手が上がり、凄惨な光景に戦慄しました。


私の住んでいた地域は、震度4。
大阪南部だったため、家の中も棚のものが少し落ちる程度で被害はほとんどありませんでした。

テレビから送られてくる神戸や淡路の映像は、当時はほとんど行ったことがない場所であったため、すぐ隣の場所での出来事にも関わらず「どこか遠い場所のこと」という感覚で見ていたような気がします。
まだ半分子供だった自分には、「現実として受け入れたくない」という意識が自然とあったのかも知れません。



ここ数年は、神戸のJリーグクラブチーム「ヴィッセル神戸」の実況を数多く担当させていただきました。
ヴィッセル神戸は、JFLのチームとして旗揚げすることが決まり、1995年1月17日にまさにグラブ創設初の練習を予定していました。
大震災によりそれは叶わず、岡山の練習場などを転々としながらグラブが始動し1年目を戦ったそうです。

震災の復興とトモニ歩んで来たグラブ。
チームのサポーターソングである「神戸讃歌」がスタジアムで歌われる度、グッと来るものがあります。


“知らない隣の場所”は、大人になってからは何度も訪れているうちに“大好きな街”になりました。

そんな素晴らしい街を愛したまま亡くなられてしまった6000人を超える被災者に、改めて哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈りさせていただきます。



残念ながらJ2に降格してしまったヴィッセル神戸は例年、この1/17が始動日でしたが、今年はJ1奪還へ向け、いつもより早い始動となっています。

大久保選手などの主力選手が多くチームを離れてしまったのは残念ですが、新しいチームに期待しています!

私は、今年からはちょっと離れた立場からずっとずっと応援し続けています!(^-^)v


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※と、書いてからしばらくして気になってしらべてみると、震災の当日は火曜日でした。
15日が成人の日で日曜とかぶり、月曜は振替休日だったんですね。
寒稽古のスタート日というのは間違いなかったのですが、17日は火曜日でした。
人間の記憶とは、いい加減なものです。。。