現在の国会情勢をいろいろ考えたときに、ふと気付いた事があった。

 それは「現況を視覚的にイメージすると、別にねじれてないんじゃないか?」ということである。


 しかし、マスコミはこぞって「ねじれ国会」などと言う。

 まぁそもそも、「ねじれ国会」という概念自体、ごく最近、マスコミが勝手に生み出したものだが。


 とはいえ自分は、あえてその概念を覆そうとは思わない。

 せっかくだから、この概念を、ゆっくり考える事から始めたいと思う(´ω`)



【そもそも、ねじれ国会とは】


 これが認知されたのは、たしか2007年の事だ。

 自公政権が与党だったのに対し、野党の民主党が、参議院で過半数を取得。

 この時はじめて「ねじれ国会」という言葉が生まれたと思われる。


 衆議院において、過半数を持つものが与党である。

 衆院で通過した法案は、参院でも与党多数であれば、そのまんま素通しされる。これが自民政権が長期間、維持してきた構図であり、「参議院は衆議院のカーボンコピー」と揶揄された。


 しかし、参議院で野党が過半数ならば「衆院案を全て否決」という事もありえる。これがねじれ現象(逆転国会)である。


 ・・・だが、その「ねじれの種類」は、考えてみると、いろいろなケースが考えられるのだ。

 今回はそれを検証していこう。



【ねじれケースその1:衆院で与党が2/3を占める場合】


 参議院で否決された法案は、衆議院に差し戻される。『再審議』だ。

 だが、ここにおいて「衆院の2/3以上の賛成で再可決」された場合、参議院の言い分に関係なく、この法案は成立する。


 つまり、与党が2/3以上であれば、すげえ乱暴な話、参議院に与党が一人もいなくても、法案は通せてしまうのであるwwww

 このケースの場合(かつての自公政権もこうだった)、ねじれ国会と言っても、イニシアチブは圧倒的に与党にあるため、与党視点で見れば「深刻なねじれ」とは言えない。



【ねじれケースその2:ケース1以外で、参院で野党が第一党の場合】


 参議院の第一党が野党、あるいは、野党連合が過半数を占めた場合には、与党の法案を「全て否決可能」という事態になる。


 この場合、衆議院と参議院のパワーバランスは、ほとんど「対等」になる。

 なぜならお互いに、「相手の法案を無に帰す」事ができるからだ。

 そのため、与党と野党のにらみ合いが深刻した場合、国会は完全に機能を停止することとなる。やれやれ(´Д`)



【ねじれケースその3:ケース1以外で、かつ、野党が強すぎない場合】


 さて、この『ケース3』こそ、現在の国会の状況である。

 過去のこの記事を参考にしていただきながら、話を進めたい。

『「恥ずべき失敗」の民主②:参院議席、その勢力図は?』 7/13

http://ameblo.jp/kitanotabito/entry-10589353441.html  


 与党の民主党(&連立)は、過半数に達していないため、そういう意味では「ねじれ国会」の概念に属している。

 だが、それでも民主党は、いまだ参議院でも「第一党」であり、第二の自民より22議席多いのだ。

 つまり、「衆参、両院で第一党」である事を考慮すると、「ねじれ状態だ!」と言い切るには、いささか無理がある、とも言える。


 これで、自民党を中心に、野党が大連立し、参院で過半数をとったのなら、話は変わってくる・・・・

 が、それを達成するには「右派政党全員集合+公明+みん党」が条件になる。今はそうではないし、そうなる可能性もほとんどなかろう(-ω-)


 しかし、民主が横暴な運営をすれば、野党は素早く一致するだろうから、与党・民主は、かなり慎重な審議を要求されるだろう。


 だがその「法案通過」は、「部分的な野党の協力」さえあれば達成できるため、「交渉の余地が広くなった」のが現状だ。これが現在の国会情勢であり、これを前提に政治を読みとかねばならない。


 ま、それについては、次回の記事の予定である。

 とりあえず、これが前提、ということだ。



【理性を求められる新国会】


 与党は、乱暴に法案を通す事が不可能になった。

 野党は、単に反発すればいいわけではなくなった。


 こうした状況が、「与野党の理性的な議論」を促す事になると思われるし、そうした兆しはすでに見えている。

 これは、「参院不要論」が蔓延していた今までの国会情勢から考えれば、大きな前進と言えるだろう。


 ・・・だが、本当にこれでいいのだろうか??



【参議院の本質には、ほど遠い?】


 そもそも参議院とは、何のためにあるのか???

『良識の府?参議院の本質を考える』 7/06

http://ameblo.jp/kitanotabito/entry-10582940023.html  


 任期が6年、解散もなく、少人数で・・・それが参議院の特徴だ。


 過去のように「カーボンコピー」でしかないなら、そもそも参議院は不要だ。

 そして今、前述のように、存在感を示せるだけの権力を獲得はしたが、そこにおいて「衆院と同じ振る舞い」をするのであれば、衆院と参院にせっかく設けられている「差」に、意味が見いだせない。


 参院議員は、党利党力にとらわれず、「真に、国民のため、国家のため」に、理性的に思考する事が求められるだろう。

 そして、「衆議院の決定は尊重」しつつも、「その問題点には、待ったをかける」のが、本来の「良識の府」の在り方ではないのか?


 確かに今は、与野党の「理性的な歩み寄り」という歴史的な政治転換に、ねじれ国会の元たる参議院が寄与している。

 だが、それは副産物であり・・・そうである現況こそ「参議院は本来の役目を果たさず、政争の具と化している」事の証明ともいえる(-ω-)


 まぁ、何もかも、イッキに変えるのは大変だろう・・・僕個人の感想では、政治はおおむね、成熟の方向へ向かってはいる。

 だが、それでも、つねに自分達の本質、政治の理念、国民の利益をつねに考え、たゆまず前進することを願う。



次回は、菅総理をベタ褒め(?)するかも!?!?

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