あの少年はどうしただろう」 | 北風家のおやじのブログ

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今朝はいわき民報 2011年5月7日トップ面記事より



「天国の工藤君、命を救ってくれてありがとう 」

鈴木さんは仲間の看護師と介護員の3人で、いわき市の海岸地区、豊間(とよま)の利用者宅で訪問入浴の仕事をしていた。

その時、大地震が襲った。記録は恐怖に満ちたその時の状況や、必死に利用者を守り高台へ目指す3人の前に現れた工藤君の勇姿が記されている。

「手伝います」

地域に不慣れな3人が高台への道が分からず迷っているところに現れた工藤君。

一緒に利用者を乗せた担架を持ち「ホテル塩屋崎に行きましょう。あそこなら大丈夫」と、先頭に立って誘導してくれた。

ホテルに到着し鈴木さんたちの安全を確認すると「ばあちゃんを捜してきます」と戻っていった。

「あの少年はどうしただろう」

無事帰宅できた鈴木さんたちは少年が気になり、「お礼をしたい」と少年を捜すことにした。

名前を聞かなかったため、少年の背格好や服装などを手がかりに、後日現場を捜したり、ラジオで呼びかけた。

なかなか消息が分からなかったとき、県警のホームページで震災による死亡者名が発表された。

その中に1人、17歳の少年の名前があった。工藤盛人(もりと)君。

鈴木さんたちはインターネットで何とか住所を捜すと、少年が出てきた家と一致した。

「人違いであってほしいと思った。でも工藤君があの少年だったら。息子はどうして逃げ遅れたのか。

あの時どこで何をしていたのか。ご両親は知りたいはず。知っているのは私たちだけ・・」

鈴木さんは工藤君の両親に会い、工藤君があの少年なら勇姿を伝えねばならないと、両親を捜した。

そんな強い思いが伝わったのか3月25日、両親と連絡が取れた。震災から2週間がたっていた。

26日、3人は工藤君の両親と面会し写真を見せてもらうと、捜していた少年の顔がそこにあった。

鈴木さんたちは、自分たちが記憶する限りの工藤君の様子を伝え、勇気ある行動が自分たちの命を助けてくれたことを両親に告げた。

工藤君の父親は

「盛人は地震が来たとき、1人で怖かっただろうな。あいつなりに精いっぱい頑張ったんだろうな。こんなにも男らしく、立派な行動をしていたことは親としてとてもうれしい」と、

涙をこらえながら、話してくれたという・・。

美空ひばりさんの歌「みだれ髪」の舞台となりました塩屋岬灯台の灯りは、今日も豊間を照らし続けています。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます