上松町をめぐり車を走らせていると、なにやら赤い橋が二つ並んで架かっている場所を発見!
…自動車用と歩行者用とか?というようなことを考えながら調査をしていると、なんと、一方の橋は渡れないようになっておりました。
この渡れなくなっていた橋。
名前を「鬼淵鉄橋」といって、木曽川を渡るように架かっています。
なんでも、国産としては、現存する最古の「トラス橋」なのだとか。
ちなみに、「トラス」とは、細長い部材を組み合わせによって桁橋を構成し、支える仕組みのこと。プラットトラス・ゲルバートラス・バートラス・ハウトラスなど、様々な種類があるようで、鬼淵鉄橋はプラットトラスの構造が用いられています。
さて、全長93.8メートルにもなるこの鬼淵鉄橋は、1914年(大正3年)に、宮内省土木技師 三根奇能夫の設計に基づいて、横川橋梁製作所(大阪にあった)によって造られました。
完成後は、森林鉄道の鉄橋として活躍。日本の各地にあった森林鉄道が徐々に廃止され姿を消していく中、木曽森林鉄道は最後までその運行を続け、鬼淵鉄橋が使用されました。木曽森林鉄道、締めくくりのフィナーレも鬼淵鉄橋の上で行われたのだとか!とても大切にされていた橋だったんですね。
森林鉄道が廃止されたあとも、しばらくは道路橋として使用されていたのですが、そんな頑張る鬼淵鉄橋を追い込む事態が…!
1996年(平成8年)のことです。鬼淵鉄橋と平行するように新しい橋が建設されました。
新しい橋が架かると、古い橋の行く末はなんとなく浮かんできます。取り壊されてしまうかも…
しかし、そんな危機の中、鬼淵鉄橋は住民を始めとする多くの人々の努力によって残されることになりました。それが、現在も橋が2つ並んで残っている理由です。(鬼淵鉄橋と一緒に並んでいる橋は「鬼淵橋」というようです。)
鬼淵鉄橋。
今も残る、木曽森林鉄道の名残です。(yoko)