「あそこに見える橋は、何という名前の橋なんですか?」



 「二又橋っていうらしいですよ。」



 「えっ!じゃあ橋が二又に分かれてるんですか!?」



 そんな会話から始まった今回の探索。

 (南木曽の方に向かって)「柿其入口」の信号機を右折し、最初のT字路を柿其渓谷の方に左折せず、木曽川の上流に向かって沿うように車を走らせていくと、左手に二又橋が顔を出します(他に十二兼駅近くの脇道から入る方法もあるようです。)





 …果たして橋は二又に分かれているのか…





 ちょっとした期待に胸を膨らませながら、橋を目指して歩いていった一行。そこでメンバーが目にしたのは…!



 竹薮の中、対岸の林に向かって架かっている、一本の吊り橋。

 


木曽路名水探検隊のブログ-二又橋1


 …やっぱり橋は二又に分かれていなかった…



 ちょっと残念に感じながらメンバー一行は橋の調査を始めたわけであります。



 そこで最初に気がついたのは、遠目から見た頑丈そうな雰囲気とは裏腹に、近くで見るとかなり古い橋だということ。

 橋の両端こそ、しっかりした石造りになっているものの、橋の床は木の板をいくつも繋ぎ合わせた感じの造りです。



木曽路名水探検隊のブログ-二又橋5

木曽路名水探検隊のブログ-二又橋4

 床板はところどころ隙間もあって、歩くととにかく揺れる揺れる。

以前に、諸原橋(上松町)を吊り橋として紹介させていただきましたが、揺れ具合は諸原橋の比になりません。

 加えて、歩いていると少しばかり床板がへこむような感じがするところもあり、落ちないだろうか…とドキドキでした。(なお、転落しないように、橋の両サイドに緑色のネットが張られています。)






 ちなみに、この時、橋を渡ったメンバーは3名。

 同じタイミングで全員が渡り始めると、橋に大ダメージとなるおそれがあったため、渡るタイミングを1人ずつずらして、橋にかかる力を分散させるようにして渡りました。

 この方法で渡りきれたので、3名くらいならなんとか乗っても大丈夫そうです。





 この二又橋。

南木曽町の十二兼地区にあり、木曽川に架かっています。



木曽路名水探検隊のブログ-二又橋3


 気になる「二又」の名前の由来…。その昔、二俣橋の対岸に走っていた森林鉄道の一部に、すれ違いのために複線になっている区間があったそうなのですが、その複線区間の線路が二手に分かれていたことから、「二又橋」の名前がついたとか。


 ちなみに今の橋は二代目にあたるそう。初代の橋は1921年(大正10年)頃に出来たものの、1959年(昭和34年)に伊勢湾台風が上陸した際に壊れてしまい、その後、架けられたのが今の二又橋のようです。以前は、多くの世帯が対岸(林の方)で、桑や野菜などの作物を栽培するのに二又橋を利用していたのですが、今では数世帯にまで利用者は減っているそうです。



竹薮の中にひっそりとたたずむ二又橋。


昔から人々の生活を支えてきた、歴史ある吊り橋です。(yoko)








ちなみに、二又橋の近くで、国道19号を潜るように通るトンネルを発見!



木曽路名水探検隊のブログ-二又橋9

木曽路名水探検隊のブログ-二又橋8


こちらも調査してみましたが、潜った反対側は、きれいな水が流れる沢がありました。




木曽路名水探検隊のブログ-二又橋10







(参考)

信濃毎日新聞/2002・11・22/朝刊/「木曽川に架かる橋(4)=二又橋 畑減り、利用今は3世帯」