果たして祠はどこに消えてしまったのか…

その謎を解決するべく一行が向かった次なる探索場所は諸原橋。

「橋」というと、鉄筋やコンクリート製で車も通ることのできる、しっかり造りの橋を思い浮かべる人も多いかと思いますが…この諸原橋は昔の風情残る吊り橋風。

 


 木曽路名水探検隊のブログ-諸原橋2   木曽路名水探検隊のブログ-諸原橋1    

 

 床のみならず、欄干も木造。写真だとわかりにくいですが、床板・欄干ともにかなり年期の入った風合いです。架け替えなくて大丈夫かな…と、ちょっと心配になってしまいましたが、歩くと床板がギシギシ音をたてるところや、ゆったり揺れるのを体感できるのは、やっぱり吊り橋のたまらない魅力。さらに、吊り橋から望む秋の紅葉の景色もまた、爽やかな美しさで一興でした。ちなみに、通れるのは人だけ。残念ながら車では通ることはできないみたいです。


                 木曽路名水探検隊のブログ-諸原橋3


この諸原橋。

諸原地区の集落と立町地区の集落とを結ぶようにかかっています。このことからすると、生活道路としての意味合いが非常に強いのでしょうが、昔から今の位置に架けられていたわけではないようです。


 なんでも、明治時代の頃は、現在、橋が架けられている場所よりも、さらに50~100メートルほど北の沢筋に、幅1メートルほどの木造の吊り橋が架けられていたものの、昭和27~28年頃に諸原地区で発生した土石流により流されてしまったとか。その後数年間は、渡し舟を使って対岸との行き来をしていたようなのですが、川を舟で渡るということで、何かと不便なこともあったのでしょう。町にお願いして、昭和31年に現在の吊り橋が架けられたそうです。


…諸原橋が車道となっていないのは、新たに橋を架けた昭和31年当時に、まだ自動車があまり普及していなかったというところにあるようです。



さて、消えた祠の謎を探るべく、諸原橋を渡り、諸原地区から対岸の立町地区に下り立ったメンバー一行。橋を渡り切った瞬間に、不審人物とばかりの勢いで、可愛いワンちゃんに吠えられるという、なんとも素敵な歓迎を受けてしまいました。

 
                  

                  木曽路名水探検隊のブログ-立町1


 そのワンちゃんと名残惜しくお別れをしたあと、立町地区の散策を始めたわけでありますが、その最中、これから大根のお漬物を作るということで、立派な大根を何本も、外の水場で洗っているご夫婦に遭遇。



                  木曽路名水探検隊のブログ-立町4


このとき初めて、立町地区の中にもいくつか水場があるということに気がつきました!…ただ、この水場(少なくともご夫婦が大根を洗っていた水場)は、衛生上の基準から飲み水等には適していないそうで、この日のように野菜を洗ったり等が主な利用法だそうです。

  

                  

                  木曽路名水探検隊のブログ-立町3
 



 そんなこんなで立町地区を調査していると、消えた祠と、隠れ滝の伝説の謎を解く運命的な出会いが…

(yoko)