大正11年9月、木製補剛トラスを持つ吊り橋としては日本有数の長大橋が木曽川に誕生した。
当時の土木技術の粋を集めて架けられたこの橋は、発電事業を牽引した偉人、福沢桃介の名前をとり「桃介橋」と呼ばれている。
桃介橋は全長247m、幅2.7m。
主塔3基(下部石積高さ13m、上部コンクリート高さ13.3m)から橋桁に斜吊索が張り巡らされたデザインは、19世紀末のアメリカの吊り橋に似ている、と言われている。
また、主塔上部は、アーチの上にまたアーチが施され、西洋のモダンな雰囲気を醸し出している。
主塔3基のうち、真ん中の主塔には、水辺に降りる石段が設けられている。
今でも石段を降り、水と親しみ、公園でくつろぐことができる。
天気がよければのんびりできそうだが、この日はとても寒かった。
橋を渡る際、足元には2本の筋が残っているが、これはレールの跡。
この橋を建設した当時、ここにはトロッコが走っていた(!)
読書発電所の建設資材を運ぶためだ。
この橋は、人々の交通のためではなく、読書発電所の建設のために架けられたもの。
そんな経緯から、桃介橋は、柿其水路橋、読書発電所とともに、「読書発電所施設」として、国の重要文化財に指定されている。
当初の目的を達成したこの橋は、昭和25年から村道となり、両岸集落の交通や、中高生の通学など、地域の交通に貢献する。
老朽化が進み、昭和53年に通行止めとなるなど、一時は廃橋の危機に立たされるが、保存・活用を求める声が多く寄せられ、平成5年、天白公園整備に併せて復元される。
かつて、住民は「桃介橋」と呼ぶことに反対し、「桃之橋」と呼んでいた時代もあったそうだが、現在では、住民の声により見事に復元され、電力王の輝かしい功績を後世に伝えている。(momo)
<福沢桃介が設立した企業等>
大同電力(現関西電力)、東邦電力(現中部電力)、東邦瓦斯(現東邦ガス)、大同特殊鋼、日清紡績、大同大学など