南木曽町にある柿其水路橋とは、
柿其渓谷入り口に架かる巨大なコンクリート製の橋のことです。
国道19号から柿其渓谷に向かう途上、すぐ真上に見えます。
木曽路名水探検隊のブログ-柿其水路橋1


さてこの巨大な橋ですが、
一見しても素人目には何の橋なのかわかりません。
車や人のための橋でないことはなんとなくわかるのですが…。
木曽路名水探検隊のブログ-水路橋(近くで)

ということで少し橋に近寄り上から見ると何のための橋かわかります。
水のための橋なのですね。
しかも写真を見てわかるかと思いますが、かなりの水量です。
木曽路名水探検隊のブログ-水路橋を上から

木曽路名水探検隊のブログ


この橋、実は国が近代化産業遺産として重要文化財に指定した
読書発電所施設のひとつなのだそうです。
(橋の下に案内板がありました。)
木曽路名水探検隊のブログ-案内板

木曽路名水探検隊のブログ-指定プレート

橋の目的もこれが答えで、
木曽川上流の取水口より下流の発電所に水を運ぶ導水路の一部として
この柿其渓谷を渡す水路橋があったのですね。


しかし巨大な橋です。


発電に使うためにはそれなりの水量が必要であろうことは想像がつきますが、
しかしこれだけ巨大な橋を大正12年に
(つまり戦時中中国へ出征していた私の祖父が生まれるよりも前に)
完成させて、更に現在も現役の発電施設の一部とは。


昔の遺構なのか橋の北側には何やら小屋の土台のようなものもありました。
木曽路名水探検隊のブログ-遺構

まあでもよく考えればこの施設で木曽に送電されているわけでなし、
地元に大きなメリットはあるんでしょうかね。
(固定資産税や事業所の法人税はありそうですね。雇用はどうなんだろう?)
実際某N経済新聞社の記事に因れば、
建設当時、福澤桃介が行った木曽川の発電開発では水利権を巡り地元との衝突もあったようです。
(木曽川で川流し等を行っていた人々千人が職を失ったとのこと。)
しかし他方、安定した電力を関西圏や中京圏に供給することによって、
日本、ひいては木曽の近代化に大きく貢献したのも事実でしょうし、
それを受けての国の重文指定なんでしょうね。


というように朴念仁の私ですら様々に想起するように、
これだけ巨大な人工構造物ともなると
やはり見る人間に色々なドラマを想像させるものがあります。
(mura)