駒ヶ岳神社という思わぬ発見をした後、一行は国道19号を南下して次の目的地である柿其渓谷に向かいます。


 19号の「柿其入口」交差点を右折し、戻る方向にしばらく国道と並んで走り、柿其橋を渡って柿其川沿いに続く道を蛇行しながらどんどん遡上します。柿其橋を渡ってまず目を惹くのが、頭上を左右に横断するコンクリートの巨大な構造物。初めて見る人はいったい何だろうと思うことでしょうが、これが知る人ぞ知る「柿其水路橋」。詳細はmuraさんのブログに譲りますが、私はむしろ、道路沿いに残る林鉄の遺構の方が気になっていました。

木曽路名水探検隊のブログ-柿其水路橋遠景


 柿其の御料林から木材を搬出する森林鉄道は、中央西線野尻駅貯木場を起点とする野尻森林鉄道として大正7年(1918年)に建設が始まり、大正13年(1924年)に完成しています。野尻貯木場を出て木曽川河岸を下り、木曽川を渡って対岸の野尻向から川上方向に殿線、川下方向に柿其線に分岐する、延長約11.3キロの森林鉄道です。


 この木曽川橋梁は、廃線後も撤去されることなく、赤錆びた鉄骨を風雨に晒しながら、今もなお木曽川にその姿をとどめています。並走する村道の橋梁が架け替えの度に取り壊されてきたのとは対照的ですが、いざ撤去するとなると億単位のお金が必要になるそうで、管理する森林管理署も手を付け兼ねているようです。「廃線ファン」としては、いつまでも残してもらいたいものですが。


 木曽川を渡ってしばらくすると、左手に林鉄の橋脚跡が見えてきました。もっと丹念に探せば林鉄の痕跡を見付けることができるのでしょうが、我が隊の調査目的はあくまでも「水」。車中からの調査に甘んじざるを得ません。この後、渓谷の駐車場に着くまで、目を凝らして外を眺めていましたが、それらしいものはついぞ発見することができませんでした。


 「きこりの家」駐車場で車を止め、ここから先は歩いての探査です。坂を下っていくと、その先にも小ぶりの駐車場がありました。この先からは歩道。その先に「恋路橋」という吊り橋があるのですが、これについてはmomoさんのブログをご覧ください。


 吊り橋から右手前方に小屋が見えます。「杣(そま)の家」と書かれた額が掲げられています。橋を渡り終えて小屋に向かうと、手前には池も設えられています。案内看板によれば、この建物は、江戸時代中期(寛政~文化期)の建築になる木曽の一般農家の建物で、築後200年余り経つものとか。町内の与川地区にあったものをこの場所に移築したもので、現在は柿其渓谷に向かう人のための休憩所として、飲食物が供されているとのこと。ほかの看板には「岩魚そば」や「岩魚ラーメン」、「岩魚まぶし」の文字が。いったいどんな味なんだろうとつい気になりますが、あいにくこの日は休業日とのこと。来るときに横を通ってきた近くの「渓谷の宿いち川」という旅館でも食べられるとか。

木曽路名水探検隊のブログ-杣の家遠景  木曽路名水探検隊のブログ-杣の家の由来


 折角来たのに中にも入れずじまいで、いったいどんなお店なんだろうと調べてみると、お店の中には囲炉裏があり、岩魚が2、30匹焼かれているそうです。岩魚ラーメンは、岩魚の出汁がよく利いたあっさりスープで、岩魚の塩焼きが載っているとのこと。チャーシューもトロトロとか。想像するだに涎が出てきます。一度味わってみたいものです。

木曽路名水探検隊のブログ-杣の家2


 ところで、この「杣」という字。「そま」と読める人はあまりいないのではないでしょうか。パソコンで「そま」と入力して変換しようとしても出てきません。「杣」の字は、日本で作られた字、いわゆる「国字」とされています。国字は、日本語を書き表すために漢字に倣って考案された字で、「働」や「峠」などはよく知られています。魚を食する文化が発達したためか、「魚」が付く国字が結構多いのですが、「木」の付く国字も多く考案されました。「枠」や「栂」「栃」「榊」「樫」などがあります。国土の3分の2を森林が占めるだけあって、木は日本人の生活と密接な関わりがあることが、国字からも窺えます。その中に「杣」の字もあります。


 「杣」の字の歴史は古く、平安時代中期の930年代に編纂された辞書「和名類聚抄」にも「杣讀曽萬所出未詳」との記述があるとか。意味は、字のとおり「木のある山」。植林した山(杣山)、杣山から木材を伐り出す人(杣人)、杣山から伐り出した木(杣木)という意味で使われる言葉だそうです。調べついでに、杣の面白い使い方に「蓬が杣(よもぎがそま)」(自分の家を謙遜して言う言葉)や「我が立つ杣」(比叡山の異称)があるとのこと。自宅
を褒められて、「いやー、蓬が杣ですよ」なんて言ったら、ただものではないと思われること請け合い!?(aki)

木曽路名水探検隊のブログ-杣の家1