初めて書く私が取り上げさせていただくのは、大桑村の「須原宿の水舟群」です。


中山道六十九次の宿場町の一つであった須原宿は、国道から外れていることもあり、往事の町並みや通りの面影が感じられる地域なのですが、当時の水場の形態のままに「水舟」もいくつか残されています。(宿場町は、旅人の拠点として重要な、食・宿そして水が整備されていたようです。)


いきなり横道にそれますが、「水舟」と同じ生活用水形態は近くに今も残されていませんか?有名どころではお隣の岐阜県は郡上八幡などに江戸時代からの石造りの水舟があるようですが、そこまでではなくとも、流れる水(山の湧水等)を漬物用の一斗樽等に貯めて洗い場などを設けてある場所が、私の故郷(長野県中信地域です。)にもいくつかあったことを思い出しました。


さて、この須原宿の「水舟」群は、

木曽路は全て山の中である


という風情のまま、木曽の木をくり抜いて作られてあるのが特徴です。

丸のままの木をくり抜くことによって、水舟を目で見て楽しみ、手で触って楽しみ、そして水に触れ飲んで楽しむことができる。木曽の方も“へうげもの”だったんですねえ。

木曽路名水探検隊のブログ-須原宿の水舟

(この写真は、定勝寺という須原宿内にある古刹の前にある水舟を撮ったものです。)

 

このような「水舟」が、須原宿内にいくつもあります。中山道を往来した人々は、こうした水場で喉を潤し、顔や手を冷やして、また歩き始めたのでしょうか。

自動車で行き来するだけでは、こういう風情を感じながら旅が出来ないなあ、と思ってしまいました。トレッキングとまでいかなくとも、ツーリングならいいでしょうねえ。(mura)