手折りこし 赤き木の実を 水口に 手向けて去りし かの泉はも  邦彦




 前回の「名水百選『猿庫の泉』探訪」の報告の中で、泉に通じる径の右手に見た歌碑に書かれた短歌です。

木曽路名水探検隊のブログ-歌碑


 晩秋のある日、泉への道すがら手折ってきた、真っ赤に熟した木の実を、泉のほとりにそっと置いてきたことを思い出して、「あの泉だったなぁ」と詠嘆しているのでしょうか。「手向ける」には、「神仏や死者の霊に供物を捧げる」という意味と、「旅立つ人や別れていく人にはなむけをする」という意味があります。赤い実を泉の精に捧げたのか、それとも故郷を離れて旅立つ前に、泉に別れを告げにでも行ったのか。はたまた、何か別の意味が込められているのか。よりどころがこの歌しかないので分かりませんが、歌に描かれた情景から想像を逞しくするのも興をそそられるものです。




 ところで、作者の「邦彦」とは、飯田市出身で文部省の委嘱を受けて教科書の編集に携わられた故矢沢邦彦さんのことだそうです。矢沢さんの歌碑がどうしてこの場に建てられたのか。前回の報告の中で、龍渓宗匠の逸話が小学校の国語の教科書で紹介されたと書きましたが、その作者が矢沢さんだったとのこと。矢沢さんは、昭和23年、小学校4年生の国語の教科書に「いずみを求めて」と題する文章を載せています。当時、猿庫の泉の周りは草が生い茂り、その間から水が流れるさびしいところでしたが、教科書に載ったのがきっかけとなって周辺が整備され、全国的に知られるようになりました。泉を管理していた地元の区長さんが、矢沢さん直筆の色紙を持っていたことから、昭和56年にこの歌碑が建立されたのだそうです。




 今では、立派な庵や四阿、野点を行う場所まで整備され、往時の雑草に埋もれた泉の様子を偲ばせるよすがとてありませんが、それも、地元の人たちの地道な保存活動の賜物なのでしょう。




 「いずみを求めて」は長文のため、掲載することができません。興味のある方は、次のURLで全文を見ることができます。(aki

http://homepage2.nifty.com/HUKUSHININ-TEIJIROU/ss_pa00_002imakura/002imakura.html