ある認知症の方が腹痛のため消化器科を受診した際、「まず先に精神科を受診し、精神的に落ち着いてから、また来てください」と言われたそうです。自閉症児を授かった私は、そのご家族が感じたに違いない思いを、この20数年、数え切れない位、経験してきました。。


たまたま認知症が合併したら、命の綱である透析ができなくなる・・・。


平成26年、日本の総人口1億2700万人のうち65歳以上の高齢化率は26%ですが、31万人の透析患者さんに関しては64%にもなります。東京千葉埼玉神奈川に限っても約7万人の透析患者さんがおられますので、いきおい透析難民の方も多くなっているものと推測されます。

 

 

少子高齢化に伴い認知症透析患者様も増加していますが、当院は積極的に受け入れて行きたいと思います。


なぜなら、統合失調症の入院が主な精神病院では認知症の患者様は、その主な対象から外れ、いわんや透析が付け加わっていると、内科系病院しか行き場所がない現状で、特に重度の認知症透析患者様は最終的な居場所さえままならない状態と思われます。


単に収容するだけではなく、癒し、楽しんでもらえる医療を提供させていただきたいと思っています。徘徊に関しては開放病棟的な運営ができるようにしてまいります。ユマニチュード PIPCなどのメソッドを通して、医療者自身も認知症を誇り高く、患者様とともに楽しんで医療できるよう努めています。

    

重度認知症の方を透析で延命することに少し問題があることは承知していますが、その「重度」はコントロールできる可能性もあるのです。その可能性に挑戦したいと思います。なお、当院は認知症の方に新規透析導入の判断は一切しておらず、他院で看取りか透析導入かご判断いただいた後、ご紹介があれば鋭意取り組むという流れをとっています。

 

当院は、透析患者様の高齢化に生活丸がかえで対応している血液透析に特化した病院です。急性期病院や透析クリニックとは立ち位置を違え、さまざまな原因で通院困難となり、それらの医療施設から紹介転院されてくる透析患者様を比較的長めに半年程度までの入院でしっかりリハビリしたうえで、在宅、または関連施設へ入所退院とし、そこへ送迎透析をしています。 

 

透析コンソール58台、入院ベッド35床ですが、関連23施設に現在32名入所、送迎透析中で、今も増えています。 (平成282月29日現在)

 

医療と福祉の境を乗り越え、特に認知症透析患者様に関しては施設入所とセットで、関東一円の「駆け込み寺」であろうとしています。


お体の状態は変わらないのに、市の財政状況の変化から介護認定が変更となり、施設入所していた方々が追い出されると言う現状にも心が痛みます。行政の都合で生活の場を転々としないといけない状況だけは解決したいと思い、たとえ小さくとも、近々、給食サービス付き小部屋アパートなどもご提案する予定です。

 

旅行透析など中国との医療連携をとりつつあり、将来的には東南アジアの透析医療にも参入したいと思っています。成田空港、羽田空港にも、もよりの北総線・京成線のアクセス特急でダイレクト接続しており、ディズニーランド、東京観光の外国人透析患者様にもビックアップサービスで当院をご利用いただいています。

 

 院長は防衛医科大学校1983年卒業。特に学閥にこだわることなく、諸大学の先生方にも多数ご勤務いただいています。病院見学は随時可能です。お気軽にお問合せください。

 
先日受けたインタビュー記事の載った週刊新潮が7/30発売となった。少子超高齢化は誰の目にも明らかなのに、認知症や複数の合併症を負った高齢透析患者様の行き場がほとんどない。扱いが難しいということだろうが、個人的には重度自閉症で慣れているから、それに比べると比較的簡単だ。職員もよく付いて来てくれていると思う。新人さんは、また知的障害者の施設研修をしようと思う。

超高齢化社会到来を目前に控え、医療法人社団嬉泉会の定款変更が終わり、この8月から訪問系サービスを開始いたします。それに伴い、組織図も若干変更し、ご高齢透析患者様の生活そのものを出来るだけ支えられる方向へ舵を切り直すことにいたしました。また、各部署でこれまで点で見ていた患者様をなるべく線、あるいは面で見させて頂くことができるよう職員の院内の動きも各部署にまたがるように徐々に変更してまいります。ややもすると、臨床データとその場の会話だけで終わりがちな透析ライフを、ご家族や施設の皆様方のご協力を仰ぎながら、家族のような視点で、人生の流れを見据えながらご支援させていただきたいと思います。

ハイハイ

私の祖母は田舎の家で「這って」生活していました。外出は家族に押してもらう車椅子でした。小学校低学年の頃ですし、普段はそういうお年寄りを間近に見る事もなかったので、夏休みと冬休みで帰省する度に、特に違和感なく、足腰が不自由な人はそういうものだと思っていました。

それでも、片手でハケを握り掃除もしていましたし、畳の高さに作られたシンクで自ら簡単な炊事もしていました。トイレも板の間に穴を開けただけの和式トイレで、自分専用でしたので、まるで洋式便座トイレのように問題なく、清潔に使っていました。這う生活だとベッドも椅子もむしろ邪魔で、何にもない広い部屋を自由に動いていました。その頃はテレビにもリモコンは付いていなかったのですが、全然困っていませんでした。

這うだけですので転倒して骨折する可能性ももちろんありません。病院のようにリハビリの20分間、または40分間は理学療法士と1対1でリハビリをするものの、後の時間は「転倒が怖いのでベッドで安静にしていてください」という矛盾もなく、その筋力の付き方、循環器・呼吸器の調子が全然違ったように思います。

這う生活でしたが、最後の最後まで自分で自分の好きなように用事をこなし、待つ、受身の人生は、こと家の中ではほとんどなかった様に思います。

人類は立つことにより両手が自由となり道具を編み出し、今日の反映を築きました。しかし、その代償として、高齢になると腰痛、膝痛を抱えることとなり、歩けなければ、いきなり寝たきりという流れを作りました。

できるだけリハビリした果てに、どうしても回復困難な場合、最後の対策として立位歩行をいったん断念さえすれば、全く別の世界が広がるのです。在宅復帰前提の、ご同意いただける患者様にはその方向でのリハビリも考えてみたいと思っています

ある認知症の強い患者様の、ペースメーカーの電池交換の時期が来たからと、ご家族が専門外来の先生に相談されましたが、挿入当初と違い、重度認知症の進行からか、もとの病院では相手にされませんでした。やむなく、他院で電池交換となりましたが、元の病院を名指しで批判されながらの交換となりました。うちにはもう二度と来ないでくれといわれながら。

透析もそうですが、重度の認知症の方に何か医療行為をすることは、その意義に疑問を感ずることも多いです。透析のように、じっとしていて下さらないと事故につながりかねない医療は尚更です。

ご家族も右から左に電池交換の時期が来たからと思わないで、ご本人にとって真にいいことは何かを考えて欲しいのです。