私も数年前に知ったばかりなのだけど
戦国時代以降に建てられた日本の城の象徴とも言える建物は
「天守閣」ではなくて「天守」だそうだ
もう少し詳しく書くと「天守閣」という名称が発生したのは明治時代で
それまでは「天守」と言っていたそうだ
だから専門家は「天守閣という言い方は間違い」と言ったりする
たしかに専門家の立場としては「天守」と言わねばならないのだろうし
例えば時代劇に登場した徳川家光が
「江戸城の新たな天守閣を作る」
なんて言ったとしたら
家光が「天守閣」なんて言うわけがないということで
明らかに間違いなのだろうけど
日本語における言葉の変化
特に漢字の使い方に関連する変化を考えると
現代日本語において「天守閣」という言葉が間違いと言い切れるかどうかは
やや微妙だと思う
というのは日本語の場合
そして中国語でもそうなんだけど
一つの単語は漢字を使うこと
場合によっては追加することによって
意味をできるだけ明確化するように変化していく傾向がある
英語なんかはこの点がかなり違っているようで
意味のあいまいさをかなり容認しているようだ
例えば発電所のことを通常は
“ power plant ”と言ったりして
これは直訳すれば「力の施設」だから
単語に「電力」の「電」に関係する部分を入れることを放棄している
まあ
長らく使っていれば
“ power plant ”(=力の施設)というだけで
「ああ 電力を作る施設ね」と分かる
ということだろう
日本語や中国語では
漢字を使って単語の意味をできるだけ確定する
という習慣が長く続いたようで
確定の度合いが不十分と感じると意味をさらに確定したくなるようだ
私の経験では
地方新聞の元記者と仕事をした際
彼女は「リード文」てな言葉を使った
新聞なんかで比較的長い記事には
本文の直前に要約を記した文章を置くことがあって
この文は「リード」という
英語の“ lead ”から来た言葉で
要するに「導入部分」ということ
私は「リード」という言い方をしているけど
彼女は「リード文」と言った
もしかしたら
かつて仕事をしていた新聞社では
そういう言い方をしていたのかな
もちろん「リード文」と言ったって
悪いことはないのだけど
「リード」に「文」を追加する感覚については
興味を持った
おそらく「リード」だけでは実態をしっかり示せていないと感じて
「リード文」と言うようになったのではなかろうか
中国語での漢字追加における意味の明確化の例としては
船舶や鉄道車両、航空機などについて「号」を執拗に追加する現象がある
例えば自国製の空母だったら「山東号」
高速鉄道車両だったら「復興号」というように
中国語の場合には「山東」というと地名であり
「復興」では一般名詞なので
船舶名あるいは鉄道車両名であることを
確定したい心理がなおさら働くのかもしれない
さて
例によって長くなりそうなので「天守」の話題に戻ろう
実は「天守」の語源はよく分からないようで
中にはキリスト教のデウス(=天主)に関連するという説もあるそうだ
確かに「天守」の文字を見ても
城の象徴として最も高い建物を指すことが分かるような分からぬような……
「天を守る? なんだそりゃ」とも言いたくなる
江戸時代までは「天守」が“ 実用品 ”であり
城の象徴だったということは
つまり大名の統治の象徴であり
確立された抽象概念だった
抽象概念であれば現実の存在ではないのだから
実態をしっかり示す必要はかえって弱くなり
「天守」という言葉は
その言葉から大名による統治体制の感覚が
ただちに導きだされればよかった
ということではなかろうか
また権威の象徴を示す言葉なのだから
違った言い方をすることが
はばかられた面があったかもしれない
しかし明治時代になると「天守」は統治の象徴ではなくなり
建物の呼称となった
となると「天守」という
その言葉だけでは実態を想起できない言葉については
「実態にできるだけ迫る単語表現にしたい」
という感覚が強まった
だからこそ「天守閣」という「閣」を追加して
建物であることをさらに明確に表現する
という現象が発生したのではなかろうか
だとすれば日本語における変化の現象の一例として
「天守閣」という言葉は認めるべきかのかもしれない
もちろん個別の城については固有名詞の扱いをせねばならないので
「××城天守」とか「××城天守跡」のような言い方をすべきだろうけど
一般名詞としては「天守閣」という言葉を「間違い」と言えるかどうかは
かなり微妙だと思う
写真は松本城天守閣。12ある現存天守の一つ