罪刑法定主義 | コンセントの穴

罪刑法定主義

法治国家である日本では、罪刑法定主義の立場を取っている。

罪刑法定主義とは、「何をすればそれが罪にあたり」、「その罪に対してどんな刑に処するか」は法律によってのみ定められるというもの。

「何が罪」で「その罪に対する刑」は国家元首が一時的感情において決めるものでもなければ、メディアの扇動による一時的世論で決められてはいけない。

あくまでも、法律に定められたことに基づかなければならないというのが罪刑法定主義だ。

そしてこの罪刑法定主義は自由主義・民主主義の原理に基づくものである。

例えば、近代法治国家とはとても呼べない国を想像すれば、罪刑法定主義の重要性が理解できると思う。

北朝鮮。法に定められた罪に対して、刑を科すのではなく一部国家の中枢部のその時々の判断により罪と刑が決められる。

そういう意味では中国も怪しい部分がある。

法律が定めるのではなく共産党が判断する国家。非常に危険だ。国民の生命は共産党の判断にゆだねられてしまっているのだから。

日本は。立派な法治国家で罪刑法定主義を憲法31条や39条ではっきり規定している。

昨日、山口県光市での母子殺害事件に対して死刑判決が出た。

日本において「殺人は罪」でありその罪に対して「死刑または無期もしくは5年以上の懲役」という刑が定められている。

死刑の目的は

1.同様の犯罪を犯す可能性のある予備軍に対しての威嚇効果

2.被告人の再犯による被害の防止

3.被害者遺族の感情や、直接行動による報復を防ぐための国家による報復の代行。

である。

したがって死刑か無期かは「殺害の動機」、「再犯の可能性(逆に言えば被告の更正の可能性)」、「殺害方法の残虐性とその結果による遺族感情」によって判断されることとなる。

このことが正しいのかどうかは刑事裁判の法定で争うことではなく国会の場で法の改正手続きとして論争すべき問題である。

罪刑法定主義においては、法が殺人に対して死刑という刑を定めている以上、その法律に従うべきで、そこには裁くものの感情や同情が入ってはいけない。

死刑が違憲か合憲かは最高裁で1948年に判決が出ている。罪刑法定主義に基づき合憲であると。

今回の裁判。死刑廃止論者かなんか知らんけど大勢の弁護団が組織された。

犯行当時18歳と1か月という年齢を考慮すれば死刑判決は誤りであるとか間抜けなことを言ってた弁護士がいた。

日本の法律では犯行当時18歳以上であれば死刑が適用されると法律で定められている。(正確にいうと18歳未満には適用しないという逆説的規定ではあるが、18歳以上には適用するということを準備した法律だ。)

何度もいうが罪刑法定主義の国家において「18歳」と決められているのであれば、やはりそれは法に従うことは誤りではない。

17歳と11か月には適用されず18歳には適用されるのだ。

その時々の感情で18歳は若いからとか、勝手に基準を決めちゃいけない。法律で決めなければ。

逆に聞くが、体も立派に成長して判断力も大人以上で年齢が15歳の少年が飲酒してもいいのか?

法律で飲酒は20歳からと定められている以上それに従うのが当然だろう。

俺は、この記事で死刑を肯定しているのでも否定しているのでもない。

裁判は法に従うべきだといっているのだ。

死刑の是非を論議する場所は立法府である国会だ。

死刑の是非を問う世論は国会の場に向けるというのが罪刑法定主義の国家だ。

しかし・・・

少し問題点を提議するならば、来年から始まる裁判員制度だ。

罪刑法定主義を貫くならば、裁判員の感情により裁判結果が左右されるようなことがあっては絶対にならない。

また、刑法においては類推適用が禁じられている。

類推適用とは、法律が想定していなかったような状況による犯罪において、立法趣旨が同じであろう別の法律や、背景が似ている犯罪に対する判例を適用すること。

騒ぎ立てることの好きなメディアに扇動された一時的世論に左右された判断がされないよう、量刑の基準を明確にする法整備が重要だと思う。

犯罪の種類や方法は世の中の変遷によりどんどん変わる。

しかし、「だから法整備が追いつかない」といういいわけは法治国家では許されないと思う。

人が人を裁く以上、根拠となる法律の整備は非常に重要だと思う。

裁判員制度。

そのへんが若干心配だ。




今日のこの記事。あるひとから死刑に対する意見を求められて書いてみた。

死刑判決の対してメディアが正しく伝え切れていないような気がして書いてみた。

感情で論議するのではなく法律がどうなっているかで論議すべきだと。

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