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愚僧日記3

知外坊真教

資源のない日本でも戦争十五年資源豊富なロシアならば

 去る2022年3月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。あれから5ヶ月が過ぎようとしています。ロシアは3日で落ちると思っていたと言われていますが、思惑通りに行かず、ウクライナの抵抗は激しく、また欧米諸国の批難や制裁も激しく、ロシアは苦境に追い込まれているかの如く報じられています。しかし、1931年日本が中国で侵略戦争を始めて(満州事変)から、1945年に太平洋戦争が終わるまで15年も、資源のない日本は戦い続けました。資源豊富なロシアならば、さらに長く戦い続けても不思議ではありません。
 

 イギリスBBCの調べでは6月24日迄にウクライナ人の死者は1万人を超しているようです。またロシア軍の死者も1万人を超しているようです。ところが、日中戦争では、日本軍の死者は41万人。戦傷病者は92万人と言われています。中国軍の死者130万人以上、戦傷病者は約300万人,民間人の死傷者は200万人を超しているとも言われています。日中戦争から太平洋戦争に続く戦争犠牲者は、このウクライナ侵攻の10倍以上悲惨で長かったのです。そんな悲惨な戦争をどうして続けられたのでしょう。


 理由のひとつは戦況が正しく国民に知らされなかったことがあります。このことは、今のロシアも同様です。通信手段の発達した都会に暮らすロシア人は徴兵されることが少なく、辺境の貧しい少数民族の人たちが兵士として雇われて、ウクライナの戦地で命を落としているというニュースが最近ありました。辺境の少数民族ならば、ウクライナの酷い戦況を知ることなく、安い賃金で兵士として雇えるからだともニュースでは解説していました。酷い話です。かつての日本でも、国内では連戦連勝と伝えられていたのです。現実は全く逆の戦況でしたのに、似たようなことが77年たった現代でも起きているのです。

日本もかつて戦争で過ちを犯し長仙寺もそれに加担していました
 

 戦争を始めるのは政治家たちです。ウクライナ戦争も、プーチン大統領のNATO勢力の侵略に対する危機感から始まった戦争と言われます。しかし、プーチン大統領自身が戦場で戦っているのではありません。戦っているのは、多くの名も無き戦士達です。彼らは上からの命令で侵攻し、ウクライナに踏み込んだ途端、攻撃しながら自分も攻撃されるかもしれないという恐怖感を抱いて戦っているはずです。やらねばやられる、やられる前にやる、そういう生命の危機が急迫した状況で殺し合いが繰り広げられているのでしょう。そこにはイデオロギーとか政治的立場など関係ないのでしょう。そんな状況に陥らないようにするのが、為政者の役割だと思います。


 そんなロシアの酷い侵略は、約80年前の日本も中国でしていたことでした。充分な兵站(人員・兵器・食糧などの整備・補給)能力のないままに進軍し、兵士が飢えと恐怖に陥り、前戦では市民への略奪や虐殺を行ったのです。そんな酷い戦争を七十七年前に終わらせて、日本は非戦の誓いを憲法に記しました。自主憲法ではないと否定したい人もいますが、多くの国民は、もう戦争はイヤだ、二度と戦争はしないと思ったに違いありません。


 実は長仙寺が戦前所属していた本山は、戦時中は頻繁に朝敵退散祈祷をしていました。長仙寺でも、戦地に赴く人たちの戦意高揚のための御祈祷をしていました。長仙寺が所属していた本山は、皇族と縁の深いお寺で、上層部には代々皇族や外戚の人たちがついていました。日清日露戦争の時から朝敵退散祈祷や、出征していく兵士の武運長久を祈っていました。日露戦争の時には、合同で「征露軍人祈願」と称して大勢の兵士を送り出す御祈祷をしていました。こうした風景は、日本各地にありました。
 

 明治維新以後、日本仏教は廃仏毀釈の嵐の中で、境内にあった鎮守社が分離され、境内地そのものも神社に取られた寺も有りました。相対的に神道が力を持ち、仏教寺院にとっては厳しい時代でした。そんな厳しい時代を生き残るために、既成仏教各宗は、日清日露戦争以来、戦地に教師を派遣したりして、前戦での葬送儀礼や慰霊事業に率先して取り組んでいました。その一方で武運長久祈祷をして、宗勢維持のために積極的に戦争に協力していました。皇道仏教という言葉があるくらい、戦前の仏教は国家神道にすり寄って生き延びてきました。不殺生を旨とする仏教が、宗門維持のために殺生に積極的に加担していたのが、明治から太平洋戦争が終わるまでの日本の仏教だったのです。
 

 終戦後、太平洋戦争の実態が明らかになり、あまりに大きな過ちと犠牲を日本中の人々が後悔したのです。長仙寺が当時所属していた本山内局は、その過ちを認めなかったので、長仙寺は本山から離脱して単立の宗教法人になりました。長仙寺が単立の宗教法人になったのは、戦争の過ちを直視して、この過ちを繰り返さないために単立になったのです。

深い繋がりを守る真の慈悲を忘れない


 仏教に於いて、迷いの原因は十二の要因があると説きます。なかでも物事の実態が見えていないことによる迷い「無明」は根本原因とも言えます。周囲の雰囲気や不正確な報道に惑わされて、冷静な判断をすることなく妄信して流されていた戦前の既成仏教教団は、戦後七十七年が経っても反省が足りないように思えます。
 

 ウクライナで戦争を経験した人は、平和な土地に避難しても、結局家族や友人知人のことが気がかりでウクライナに帰っていく人が少なからずいるそうです。戦禍のない静かな土地にいても、生まれ育った土地や人との繋がりは深く重いのです。この深い繋がりへの渇望は、銃や剣では断ち切れないのです。この深い繋がりへの渇望は、人間らしさの根源ではないでしょうか。

 

 日本人は、その歴史上で、祖国を追われたり奪われたりすることはありませんでした。しかし、七十七年前の八月、その危機に見舞われました。辛うじて私たちは国を追われることも、国を奪われることもありませんでした。しかし、その代償は計り知れません。広島長崎の原爆のみならず、多くの人が国内国外で帰らぬ人となりました。その過ちを繰り返さないために、仏教徒は仏教徒らしい心を保たねばなりません。憎しみを憎しみの心で押さえこんだり、駆逐するのではなく、慈しみや哀れみの心を惜しむことなく注ぎ、それでも無闇に情動に流されない平常心を保ち続ける真の慈悲の心を失わないようにしたいものです。