もう20年くらい前でしょうか、とある神社の神主さんのお話を聴く機会がありました。
参拝の際に「お願い事」をする方がほとんどだと思います。
私ももちろんそう思っていました。
神主さんいわく「神様は聞くだけ。」だそうです。
「お願いされてもねー。」というスタンス。
ということを踏まえて、たとえば受験合格祈願の折には、
『私は合格に向けて精一杯の努力をし、全力を尽くします。どうぞお見守りくださいませ。』
と、神様に向けて自分の決意を「宣言」しに行くことだそうです。
神様は『はい、じゃ、見てるからねー。』
そして合格しても不合格でも必ずまた参拝に行き、
『お見守りいただきましてありがとうございました。無事合格しました(今回は不合格でした)。』
と報告します。
神様は『はい、良かったね、君が頑張ったからだね(残念だったね、次頑張ろうね)。』
商売をするにあたって、神様に対して『今日もお客様がたくさんいらっしゃるように。』とお願いするのではないのです。
『今日はこういう工夫をして、こういうアイデアを実行します。どうぞお見守りください。』と「宣言」するのです。
神様は『はいはい、見てるからねー。』
結果が出ても出なくても、毎日の努力や勉強、工夫とかアイデアの実行とか、そういうのをひたすら繰り返していくのです。
めげずに毎日そうしていると、時々チャンスが巡ってくるのですよね。
今度はその神様が『やってみる?』と、ご褒美的に巡らせたであろうチャンスは、自分にとってちょっと上のレベルなんですよね。
「うーん、まだ自分には無理かな…」と思ってチャンスを見逃すと、神様は『ふーん、そう。』と、もうそのチャンスを巡らせてはくれません。
やっぱり躊躇せず、巡らせてもらえたチャンスには飛びついたほうが良いみたいです。
掴めたかどうかは別にして、掴もうと飛びつく姿勢を神様は見るのでしょうね。
またいずれ、『やってみる?』と、次のチャンスを巡らせてくれる時がやってきます。
小さなトライ&エラーを繰り返し、巡ってくるチャンスに飛びつき、それを繰り返し繰り返し…。
するとやがて大きなチャンスを廻してくれるのですね。
それを掴もうと飛び出すには、相当なリスクと覚悟、まさに清水の舞台から飛び降りる気持ちで掴みにかかるのです。
そして、神様は見ているんですね。
チャンスが巡ってきたときのために、いつでも飛び出せるようにコツコツと準備をしていたことを。
布石を打っていたことを。
アンテナを張っていたことを。
決して手助けも助言もしてくれません。
ただ願うだけじゃ、何も聞いてもくれません。
「見ていてください。」
と胸を張って神様に宣言できるよう毎日を過ごし、たまーに巡らせてくれるチャンスに飛びつけるよう、
「今日も頑張ります、どうか見ていてください。」
と、神様に手を合わせに行く(もしくは神棚に)のです。
「見ていてください。」と頼みに行くのが「神頼み」です。
そんなお話を聴いていたから、自分のやりたいこと・やってみたいこと・目指すことが見えてきたとき、
その神主さんの言う「神頼み」をしてきました。
「見ていてください。」と、キプフェルの神棚を毎日拝み続けています。
そして時々巡らせてもらえるチャンスに飛びつくために、日々力を蓄えていくのです。
そうやっていると「失敗」は存在しなくなるんですよね。
積み重なるのは「経験」だけです。
「経験」は今すぐ活きなくても、忘れたころに活かされることが多々あります。
生きている間のどこかで活かされる時が来るであろう「経験」を得るために、どんどんトライしていくのです。