無理がたたって持病の気管支炎に

熱中症でダウン中。

今日はブログの更新が

しっかりと出来そうにありません。

ごめんなさい。🙇

主を仰ぎつつ早期復帰につとめます。



あなたは私のために、

嘆きを踊りに変えてくださいました。

あなたは私の荒布を解き、

喜びを私に着せてくださいました。」

(詩篇30:11 新改訳)


皆様もご無理をなさらないでください。





あなたがたは、

このように主キリスト・イエスを

受け入れたのですから、

彼にあって歩みなさい。 

キリストの中に根ざし、また建てられ、

また、教えられたとおり信仰を堅くし、

あふれるばかり感謝しなさい。」

(コロサイ2:6-7 新改訳)



一番最後にある

〈あふれるばかりに感謝しなさい〉

忘れがちです。

感謝や有り難みが溢れ出てこそ信仰。

何気ない日常の中にも神様の恵みは

満ち溢れています。

それに気付ける霊性が成長しますように

祈りましょう。

神様があなたの願いを

聞き届けてくださいますように。

この世で善人や偉人だと

評価されている人でも

必ずどこかに落ち度があるものです。

大きな事をするとなれば

綺麗事ばかり言ってもおれず、

清濁併せ呑む者こそが

大事を成すという事は歴史を見れば

一目瞭然です。

残念ながらこの世は綺麗事だけでは

成り立たない不完全な存在なのです。

それ故に完全なるものに対する憧憬が

人間の心の奥底にはあるのでしょう。

自分も社会も完全ではない。

その裏返しである完全性への憧憬が

信仰の土台を形作っているのです。

ヨハネはかげりのない光として

イエス(福音)を紹介して、

この方への帰依を促しました。


神は光であって、

神のうちには暗いところが少しもない。

これが、私たちがキリストから聞いて、

あなたがたに伝える知らせです。」

(第一ヨハネ 1:5 新改訳)


完全なるもの、完全なる約束が

聖書に書かれています。

あなたも読んでみませんか?



先ず最初に知っておくべき事。

それは私たちクリスチャンが

健全な信仰を保持しているならば

あらゆる世俗的な誘惑や攻撃などに

決して負けることがないという事。

凄まじい誘惑や攻撃などの故に

怯んでしまう事はあるかもしれませんが、

負けることはありません。

いや、負けないんだという確信こそ

信仰だと言っても良いのかもしれません。

使徒ヨハネはこう教えています。


なぜなら、

神によって生まれた者はみな、

世に勝つからです。

私たちの信仰、これこそ、

世に打ち勝った勝利です。 」

(第一ヨハネ5:4 新改訳)


イエス様は世に勝利されました。

イエス様と共に歩む私たちも

試練には逢うでしょうが、

敗北する事はありません。



神様に喜んでいただけるように

生活したいと思ってはいるのですが

なかなか上手くいきません。

自己中心的考え方から

なかなか抜け出せない私たち人間は

神様を信頼しているようで

実は利用しているだけと

非難さてても仕方ないぐらいの

信仰生活を送っているのかもしれません。

自己中心的な考え方に

振り回されないようにするには、

心の中の自分の暴走を抑えて

逆に神様に活発に働いていただけるように

する必要があります。

そのためにも先ずは

自分の弱さを知ることです。

弱さを知ればこそその弱いところに

働いていただけるように神様に祈れます。

すると心の中での自我の暴走(我執)を

回避できると同時に

心の中で神様が働いてくださる領域が

どんどん広くなっていきます。

神様が働いてくださる領域を

拡げていくのも信仰の成長の

大切な部分です。

あの方は盛んになり

私は衰えなければなりません。」

(ヨハネ 3:30 新改訳)