私は自転車を走らせる。首に巻いたマフラーは耳が冷えないようにするためとなびくのをとめるためと、両方の理由でぐるぐる巻きにして後ろで結んだ。赤っぽい色を選んだのは去年こんな色が好きだと言っていたからで、それからその時にあぁそういえばこんな色が似合うなぁと思っていたからだ。同じような色の手袋は、自転車に乗っていると朝と帰りに指先が冷たくなるけれどまだ少しはやいかと思って、タンスの中に去年買ったイヤーマフと一緒に仕舞っている。そんなことは今はどうでもいいのだ。
とにかく私は自転車を、ただひたすらにまっすぐ走らせる。少し薄暗い夕方の帰り道、私が出るよりも少し前に学校を出た、後ろ姿を見つけるために。
車や人の通りが多い道は選ばずに、静かでも人の生活を感じるような道を選ぶことを、私は知っていた。帰る道がたまたま一緒だったのもあるけれど、私が抜け道として使っていたらある日、偶然出会ったのだ。それから時々、いや、時々と言うよりもよくその道で会うようになった。約束をしていた訳ではないけれど、一緒に帰ることも多かった。私は自転車を走らせる。カゴの中のカバンが音を立てて、落ちそうになったぐしゃぐしゃの手紙を急いで中に押し込んだ。そして、また、走らせる。
コンビニの角を左に曲がって住宅街に入って、それからしばらくして右に曲がって公園の近くまで来て、ようやく、追いついた。いつもよりも足取りが速く見えるのは私の被害妄想なのかそれとも本当にわざとそうしているのか、分からない。ガチャンと自転車が大きく音をあげて、そうしたら私が探していた牧伸一の後ろ姿はようやく、こちらに顔を向けた。
「思ったよりはやかったな」
「こ、ここまでくるのに、どれだけ、頑張っ、たと、思って」
「無理してしゃべることないから。とりあえず落ち着け」
牧伸一は含み笑いでそう言う。悔しかったのでカバンの中に手を突っ込み、ぐしゃぐしゃどころではなくなっている手紙を、投げつけた。すると少しだけ驚いた顔になって、それから私の自転車のサドルを支える。やっぱり、含み笑いのまま。
「なんか飲み物でも飲むか?」
「い、要らない」
「自転車から一回降りて、息整えろ」
「りよ、りょうかい」
自転車から降りる。牧伸一はどこか楽しそうに口角をあげたまま、息を整える私を見下ろしていた。
「・・・・・で?」
「でって、何よ」
「これ、読んだから来たんだろ。こんなに必死になって」
今度は声に出して、クククと牧伸一が笑う。呼吸を整えようと俯いていたけれど、急に恥ずかしくなって顔があげられなくなってしまった。自転車は取られてしまったし、なによりもこんなになってまで、走って来てしまっている。
足下が、急に暗くなった。それは冬になって日が短くなったからとかそういう理由ではなくて、牧伸一が私の上に、大きな影を落としているからだろうと思う。
「・・・・・・牧くん」
「うん」
「・・・・・私の負けってことで、もういいですか」
「こういうのって勝ち負けじゃないだろ」
「いや、もうさ、分かってるじゃん。っていうか、分かっててやってんじゃん」
「うん。だけどさ、分かってても、知りたいもんだから」
ちらり、と顔を挙げてみると、思いの他近いところに牧伸一の顔があってびっくりした。彫りの深い日焼けした顔。どちらかと言うと私の好みではなくて、だけど、いつからか帰り道に探すようになった忘れられない大きな背中。私よりもきれいな文字で書かれた牧伸一の手紙は、大雑把にふたつ折りにされただけで自転車のカゴの中に入っていた。
「俺は、ずっと、暴走自転車に乗ってる後ろ姿を、見てた」
手紙に書いていた言葉を、まるで確かめるように、言う。暴走自転車っていうのが余計だけれど、文句を言う気にもなれなかった。
含み笑いの牧伸一の顔は、私の好みでじゃないし、それに、いつも後ろ姿ばかり見ていたせいでなんだか落ち着かない。だけど、隣りから見上げる横顔と大きな背中は、結構、好みにぴったり当てはまっていたり、する。
私は顔を挙げて、間近にある牧伸一の顔を目を合わせた。そして深く息を吸って、長く息を吐いてから、観念して同じ言葉を告げる。
わすれられないうしろすがた
2008/11/17
イメージはソラリズムの方の『底なしの世界』。なんか、真新しいのが浮かばない・・・・