皆さま お疲れさまです


 久々の強い日差しからの朝でした 空梅雨では 明けてから困ってしまう… という事は判っていても 毎日々 いつ降り出すか判らないような天気の中を バイク通勤する… という事は 結構難儀します オマケに 行きだけではなく 帰りの時間帯の心配までしなくてはならない… 半分以上は開き直っていますが(笑) とは言え 鹿児島市在住の時には 熊本県で開催された AA九州・沖縄地区ラウンドアップ参加の時には バイクで鹿児島から 国道3号線を使い 熊本まで走っ経験もあります 丁度 今頃の季節で梅雨明け前… 往路の降りは大した事なかったのですが 帰りは出発地から土砂降り… 国道に出る前に 峠越えがあるのですが 物凄い霧で視程20㍍位… 来た以上 帰らなくてはならない… トラブルなしに帰れた事は 大きな糧となりました しかし やはりお日さまの日射しは良いですね PC.に向かっているのがもったいないくらい(笑)


 仕事から帰宅した時等 梅雨の盛りとは言っても 昼間多少の日射しがある日等は気温もそこそこ上がり 湿気も多くなり 真夏時とは言えないまでも 自宅の中では 夏に近い状態で 「むっ」 とした空気が漂っている時があります…  緑が多い鹿児島で 「回復」 を目指していた時 当時 掛け持ちで ガソリンスタンドでアルバイトをしていた時 真夏で抜けるような青空の下 洗車をしながら聞いた鳥のさえずり… 鹿児島の自宅で聴こえた キジ鳩の あの独特な鳴き声… 色々な状況で ふと蘇るあの苦しかった頃… 

離婚という話も現実を帯びてきた 2007年の7月… それまで 三鷹市と世田谷区千歳烏山のアルコール専門病院を 再飲酒のため 2ヵ所とも強制退院となり 3ヵ所目の 八王子の山奥にあったアルコール専門病院に入院していた時でした 最初の三鷹の病院では 元嫁も見舞いに来てくれたり 1時帰宅が認められるようになってからは日曜日等 帰ったりしていました その病院を追い出されてからは 元嫁も 娘たちふたりも含め 実家に帰ってしまったような状況の中で 7月末に 離婚が成立した3ヵ所目の病院に入院していた頃と ここも 「規律違反」 という理由で3回目の強制退院となりましたが そこから4ヵ所目の病院に 殆ど自ら入院となるまでの間が 今思えば1辛く 苦しかった頃でした


 AA(アルコホリック・アノニマス) や 断酒会等 自助会も頼らず 18年も断酒し続けていたのに 自分の生き方が間違っていた至らなさの中で 商社系不動産管理会社に転職を機に 再飲酒を始めてしまいました 今まで苦しみながらもナントカ生きてくる事が出来た… それまで狭い世界でしか生きられなかったけれど 転職という 広い世界でも認められる事が出来た… 再びアルコールを飲んでしまう事には 確かに不安は有ったけれど 自身の弱さから 外海の荒波に向かう不安を打ち消す… という側面の方が大きかった事は否めません そして ナントか自分の魂を 解放させるキッカケも掴みたかった… そんな事を考えていたのかもしれません… 2006年の8月… お台場の転職した会社での3回目の面接 ゆりかもめを使って 夢を掴めたかもしれないレインボーブリッジを渡り ネクタイを締めた 暑苦しい格好で 汗を掻きながら有楽町線で帰宅し 「内定」 の知らせが 携帯の留守電に入っていた事が判った時には 元嫁と抱き合って喜んだモノでした 

八王子の山奥の3ヵ所目の病院で いつも聴こえていた 無感動な中での あの鳥のさえずり… 強制退院となり ありったけの荷物を抱えながら 誰も居ない自宅に帰宅した時… あの 「むっ」 とした空気に包まれた自宅内… 真夏だというのに 雨戸も閉め切り 飲み続け 食べるモノも食べず フラフラになりながら聴いていた 自宅庭の柿の木辺りにいたキジ鳩の鳴き声… 1年前には 長女の友達を伴い 下田の海に行った事… 少し前まで 家族と暮らしていたのに… 今は 飲んだくれている自分しかいない自宅… あまりのスピードでの奈落の底に墜ちての行き様… 1年程度の内の劇的な変化… 余りにもの変わり様に自身が追い付いていけず 再び入ってしまった 依存症のスイッチの中で 飲む事しか出来ませんでした… 自分は 最低最悪な人間で 私以外の方は 全てシアワセに見え 翌秋も越え 冬に入り 行き倒れになる前に 警察に捕まった時には 誰が悪い… とかいう感情も消え去り 捕まって当然な人間に成り下がった… という 想いしかありませんでした…


 今朝のテレビ番組の中で 熊本県の天草地方での 「地方創生」 に関るモノを視ました 少量多品種だけれど ビジネス的にみても スバらしい資源が沢山あり 工夫次第で これからの日本を背負う若年層に対する雇用さえ創出出来れば U・I ターンも含め 若年層を定住させる事は可能だと思います 

私も 全てを失い 鹿児島で始まった 「回復」 での 濃縮された5年弱… 帰京した東京… 自身が変わる事が出来たから諸々の困難を受け入れながら乗り越える事が出来ますが 辛く苦しかった事の方が多かった東京では 上記のように 今でも どん底の 「想い」 のフラッシュバックがあります 今朝の良い天気の中 朝食を作りながら 3Fの玄関の外に出た時…  

鹿児島市在住時での下田町の自宅から 日置市の海がキレイな江口浜まで アップダウンがある 山あいの中を縫うように走る国道3号線を バイクで走れば 1時間余りで行けます 休日の午後から走り 行って帰って来る事も可能でした 時間的に余裕があれば 江口浜から海岸寄りに 指宿方面に向かい 「砂の祭典」 が行われる 吹上浜辺りから 再び薩摩半島の山中に入り 加世田辺りを経由し 鹿児島市の中山辺りを抜け帰宅… というルートもよく走りました 午前中に出発すれば夕方帰宅可能でした 「こんな天気の下 鹿児島の道 走りて~(笑)」 東京は生まれ育った所ですが 第2の故郷 鹿児島でまた暮らしてみたい… 「想い」 と ナントか食べていけるモノがあれば 東京より鹿児島の方が暮らし易い… 日々そんな 「想い」 が強くなっていきます 逃げていくんではないですからね~(笑)

 

  PS 


 冒頭の写真は 今朝の富士山です 雪も少なくなり 夏の富士に衣替えしています 東京に居ても 山梨辺りまでバイクで走ってみたい… とは たまに思います 帰京して直ぐの頃は 近郊まで走ったりしていましたが 気持ち良く走れる道に出るまで 信号が多すぎてゲンナリ…(笑) 休日でも走る気は余り起きません 通勤時の渋滞している 走り難い川越街道だけで充分です…(笑)