いわがきJAPAN!世界制覇の牡蠣地獄(その2) | 気にするほどじゃないけれど

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気にするほどじゃないけれど、気になるものは気になるんです!そんな気になるモノ・コトを紹介します。



●「不味いと思って食ってた?心配するよな。俺だって不味いよ」
お伝えすることとは…、実は僕、牡蠣が苦手なのです。今回は牡蠣の不味さを我慢して、牡蠣嫌いを治すためにオイスターバーにやってきました。

食わず嫌いというわけではありません。牡蠣の美味しさは認識しています。たしかに牡蠣には旨み成分がふんだんに含まれており、その味に魅了される気持ちはわからなくもないです。独特の食感が好きな人もいるでしょうし、海の香りに心ときめく人の気持ちも汲みたいところではあります。

しかし、それら牡蠣の美点をどんなに脳内でウマさとして処理しようとしても、僕の味覚のプリミティブな部分が完全否定します。前ページの太字の部分を下のように変換してみてください。
「プルプルの身」→「ぐにゃぐにゃした物体」
「海の香り」→「泳ぎ疲れた時の海辺の臭い」
「貝の旨み」→「苦味の気色悪さ」

今までも、牡蠣嫌いを治そうとして半年に一度くらい試しに食べてみてはいます。しかし何度食べても不味い。試すたび、お酒で無理やり嚥下させていました。
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半年前の僕「食べられない牡蠣を食べてみるのも…」
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「マズーイ!!」

今まではスーパーで買ってきた惣菜のカキフライで勝負してきましたが、今回は専門店です。多少は美味しいと思えるはず。コースの料理も本気度を増してきます。

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続いて牡蠣のスープです。固くならない程度に煮こまれた牡蠣の身が入っています。スープを一口飲むと、鼻腔いっぱいに牡蠣の臭いが充満します。貝特有の苦味も口の中で暴れ回ります。耐えられません!

と、すごくネガティブに書いていますが、苦手でなければこれほど素晴らしい料理はありません。スープに牡蠣の濃厚な出汁が十分に出ていて、香りも飛んでいない。牡蠣の身は柔らかさを保ち、瑞々しい。この日は同行者がおり、意見を求めたところ、「私も牡蠣は得意ではなかったが、今日の料理はとても美味しい」とのことでした。そう、本来美味しいものなのです。これほどの料理に対して駄々っ子のように否定的な振舞を見せる僕の味覚。ゆとり世代の旗手を担えるほどの甘え体質といったところでしょうか。

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最後に現れた御大「牡蠣のステーキ」。まず写真を見てください。どうですか、このカキ殻の威圧感。ふてぶてしいですね~。そして添え物の温野菜。ゴーヤ、ナス、チンゲン菜、パプリカ各色。子供が嫌いな食べ物ばかりです。これ、好き嫌いのある子供が見たら泣き出すと思います。

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実食すると、今までにも増して濃厚な牡蠣の味。オイスターソースで味に追い打ちをかけているのかと思わせるほどの濃さ。牡蠣から少しでも離れようと、ゴーヤやチンゲン菜に箸が行ってしまいます。ただ、野菜も牡蠣で味付けしているようで、同じ味がします。頑張って笑顔でいようとしても顔がひきつってしまうほど。逃げ道を絶たれてもなお牡蠣を嫌悪し続ける僕の味覚は逆に凄いと思います。

$気にするほどじゃないけれど-ひきつった笑顔_02
※顔の筋肉だけで笑顔作ってます


●To Oysters Around the World,Thank You for Your badness.
我慢し続けて約2時間、なんとか完食しました。牡蠣を食べるたび、今までの自分を越えられないと感じます。まだ僕は子供だな、と。そういえば牡蠣は「大人の味」とも言われています。牡蠣の苦味、臭み、食感を克服しなければ、その美味しさに到達できません。食べるたびに味覚という困難に立ち向かい、不味さを曲解すべく試行錯誤を続け、克己心を奮わせてはじめて勝ち取る味わい。だから「大人の味」と言われているのでしょう。僕も一人前の大人になるには強い克己心を養わなければなりません。


さんざん我慢した後で導き出した結論が「我慢が足りない」。大人になるって大変だなぁ…