私にはわからない
自閉症の子が13歳にして何を考えているか突然タイプしはじめる
というブログ記事と映像が話題になり、私は動画も見ずに「そらそういうこともあるでしょう」なんてお気楽に言ってたのですが・・・
まず最初にお断りしておきますが、私には英語はほぼわかりません。ですから動画の中で何を言っているのか、何が書かれているのか、は全然わかんないまま書いてます。
今までアメリカ人、オーストラリア人、ドイツ人なんかとは英語・日本語取り混ぜてコミュニケーションしたことはあります。英語がそんなにわかってなくてもコミュニケートすることはできますから。
まずブログのエントリの題名に書かれている「13歳にして何を考えているか突然タイプしはじめる」ってことはないですね。動画の中でそう説明してるのかな?
1:53あたりから小さな頃からさまざまな「療育」を受けているようすがわかります。
で手をとられて指し示す、とかが多い。
もちろん「たまたま」かもしれませんが。
自発的なコミュニケーションとか、ひとりでできてやったあ、とかが無い。
教材も「音声言語で指示されやる」っぽく見えますね。できないと手をとってやらされる。
文字もそうやって覚えてきたのかな?
いえ、自閉症のお子さんで教えなくったって文字を覚える場合はありますから、教えたかどうかはわからないし、教えなくったってわかるようになった可能性もあります。
でも本当に「療育」場面が楽しくなさそうに見えてしまいます。
まあ、それであってもあれやこれやがあってて「13歳にして突然に」という説明は、動画の中でされていたとしても、ちょっと違うなあ、という気がします。しかしまた「あの療育のおかげでパソコンで表現できるようになった」というのも違うような気がします。「あの療育をしていたにもかかわらず」がいいかな。
ところでパソコンのキーボードを打っているところに、たいていそばに人がいますよね。
あれって何だろ。
単に「どんなことを打つのかなあ。楽しみだなあ」というのでいるのじゃない感じですね。
一度は「お菓子(?)」に手を伸ばした女性からその鉢を遠ざけているシーンもある。
彼女とのコミュニケートを楽しんでいる、という感じでは無い。
最後の方に1か所、彼女が一人で画面をのぞき込みながらニコニコしているシーンがあり、ほっとします。(もちろんカメラマンはいますが)
頭の中にあることを、パソコンで文章化する趣味は、もちろんあっていいものです。
そしてそれができる人はたくさんいると思います。
先日、「「きらっといきる」あら ってるねえ! ~・西畠義浩さん~」に出ておられた西畠さんもパソコンで日記を書くのは大好きでした。
う~ん、私は、このYouTube動画を見て、全然感動できないのですが。
多くの人が感動するのだろうか??
上のエントリには
「彼女曰く自閉症とは「外からの刺激がまったく違ったように見えており、その刺激を抑えるために自分で何かをしなくてはいけない。だから暴れたりしてしまう」とのことです。」
であるなら、周囲も彼女も回避する方法を考えないのだろうか。そのために「表現」というものがあると思うのですが。あるいは構造化。
まあ、幸せであるなら他人がとやかく言う必要の無いことではあるのですが。
というブログ記事と映像が話題になり、私は動画も見ずに「そらそういうこともあるでしょう」なんてお気楽に言ってたのですが・・・
まず最初にお断りしておきますが、私には英語はほぼわかりません。ですから動画の中で何を言っているのか、何が書かれているのか、は全然わかんないまま書いてます。
今までアメリカ人、オーストラリア人、ドイツ人なんかとは英語・日本語取り混ぜてコミュニケーションしたことはあります。英語がそんなにわかってなくてもコミュニケートすることはできますから。
まずブログのエントリの題名に書かれている「13歳にして何を考えているか突然タイプしはじめる」ってことはないですね。動画の中でそう説明してるのかな?
1:53あたりから小さな頃からさまざまな「療育」を受けているようすがわかります。
で手をとられて指し示す、とかが多い。
もちろん「たまたま」かもしれませんが。
自発的なコミュニケーションとか、ひとりでできてやったあ、とかが無い。
教材も「音声言語で指示されやる」っぽく見えますね。できないと手をとってやらされる。
文字もそうやって覚えてきたのかな?
いえ、自閉症のお子さんで教えなくったって文字を覚える場合はありますから、教えたかどうかはわからないし、教えなくったってわかるようになった可能性もあります。
でも本当に「療育」場面が楽しくなさそうに見えてしまいます。
まあ、それであってもあれやこれやがあってて「13歳にして突然に」という説明は、動画の中でされていたとしても、ちょっと違うなあ、という気がします。しかしまた「あの療育のおかげでパソコンで表現できるようになった」というのも違うような気がします。「あの療育をしていたにもかかわらず」がいいかな。
ところでパソコンのキーボードを打っているところに、たいていそばに人がいますよね。
あれって何だろ。
単に「どんなことを打つのかなあ。楽しみだなあ」というのでいるのじゃない感じですね。
一度は「お菓子(?)」に手を伸ばした女性からその鉢を遠ざけているシーンもある。
彼女とのコミュニケートを楽しんでいる、という感じでは無い。
最後の方に1か所、彼女が一人で画面をのぞき込みながらニコニコしているシーンがあり、ほっとします。(もちろんカメラマンはいますが)
頭の中にあることを、パソコンで文章化する趣味は、もちろんあっていいものです。
そしてそれができる人はたくさんいると思います。
先日、「「きらっといきる」あら ってるねえ! ~・西畠義浩さん~」に出ておられた西畠さんもパソコンで日記を書くのは大好きでした。
う~ん、私は、このYouTube動画を見て、全然感動できないのですが。
多くの人が感動するのだろうか??
上のエントリには
「彼女曰く自閉症とは「外からの刺激がまったく違ったように見えており、その刺激を抑えるために自分で何かをしなくてはいけない。だから暴れたりしてしまう」とのことです。」
であるなら、周囲も彼女も回避する方法を考えないのだろうか。そのために「表現」というものがあると思うのですが。あるいは構造化。
まあ、幸せであるなら他人がとやかく言う必要の無いことではあるのですが。