体育祭が終わりました | kingstone page(旧)

体育祭が終わりました

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。

 これ、以前、まったく同じのを書いたような気もしますが・・・・

 体育祭が終わりました・・・

 何人かの児童・生徒には確実にすごくつらい目をさせたと思います。
 楽しめた子もいるのは事実。それが多数かもしれない。
 しかし少数かもしれないけれど苦しんでいた子はいる。

 実は体育祭の反省記録に「体育祭はやめよう」という意見を書こうか
と思っていました。しかしだんだん「ちょっと違うかなあ」とも思い
出しました。

 毎日の授業や生活を本人が「いつ」「どこで」「どれだけ」
「どういうふうにやって」「終わったら次に何をして」がわかる
ようにすること。

 そしてやったことは褒められる。

 そういう体験をどんどん積む。

 そのためには、そのお子さんが「どんなことができて」
「どんな手だてをとれば理解しやすく」「どんなことは
苦手」なのかがわからなければならない。

 そしてそこがわかった上で体育祭を考えていけば・・・

 ほんのちょっとした考え方の違いなんだけど、それがものすごく
大きな違いになっていくような気がします。

 日々の生活や授業がそういうふうに考えて組み立てられていく
なら体育祭もやっていいだろう。でもそうでないならやっぱり
やめた方がいいよなあ。
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 ○○さん、こんにちは。

 >個人的には、そういう行事があるからこそ何とか構造化のアイデアを
 >ひねり出そうとか子供に適応のスキルを身につけさせようとか思うんじゃ
 >ないかと思うし、子供と親と先生にとっての小テストだとも思うし
 >単に楽しそうなことが減ってしまうのは残念だし・・・。

 そうなんですよね。
 また

 >でも、どうしても何をしてもだめだという子もいるしなぁ。

 少なくとも「現時点で」そう見えるお子さんもいます。

 で、そういうお子さんには「この場にいなくて、落ち着ける場所
にいてもいいよ。でも君も参加しているんだよ」というふうに
考え方を変えればいい。

 でも「最初に体育祭ありき」で、何がなんでも(手だてなどは
講じずに)同じ場所で座って、待って、演技して・・・になって
しまうところがあるな。

 私の

 > 日々の生活や授業がそういうふうに考えて組み立てられていく
>なら体育祭もやっていいだろう。でもそうでないならやっぱり
>やめた方がいいよなあ。

この「体育祭」は「学校」に変えてもいいのかもしれない、
なんて思いました。(過激(笑))