師匠と我らとの関係 16(安房方面の門下に宛てられた御抄)

 

 

「安房方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 

 

 

今回からは、全国に散在する大聖人の弟子・檀那衆に与えられた御手紙を方面毎に紹介します。

今回の安房(房州)は、大聖人が生誕し、修行し、立宗宣言された有縁の地域です。

 

 

「草木は大地なくして生長することあるべからず。日蓮、法華経の行者となって、善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたわるるこの御恩、さながら故師匠・道善房の故にあらずや。日蓮は草木のごとく、師匠は大地のごとし。」(華果成就御書 新1211頁・全900頁)

現代語訳:草木は大地がなければ生長することができません。日蓮が法華経の行者となって、善悪につけて日蓮房・日蓮房と呼ばれる様になった此の御恩は、そのまま故師匠道善房のおかげなのです。例えば、日蓮は草木の様であり、師匠の道善房は大地の様なものです。

※弘安元年4月に、大聖人の師匠である故・道善房時代の兄弟子の浄顕房・義浄房に宛てたお手紙です。師の道善房への恩を述べられ、華果の譬えを挙げて真の師弟関係を説かれています。

大聖人は妙法を持たなかった道善房に恩義を感じておられますが、創価学会員は三代の会長の死身弘法の御覚悟と実践に報恩感謝を申し上げていきたいですね。

 

 

「よき弟子をもつときんば、師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくわいぬれば、師弟地獄におつといえり。師弟相違せば、なに事も成すべからず」(華果成就御書 新1211頁・全900頁)

現代語訳:良い弟子を持った時は、師弟ともに成仏を成し遂げ、悪い弟子を養育したならば、師弟ともに地獄に堕ちると云われています。師匠と弟子との心が違えば、何事も成就することは無いのです。

※大聖人は、いかに師弟の関係が重要なのかを提示されています。私達は、私達の直接の師匠である池田大作先生の正義と偉大さを、世界の人々に示して行きたいですね。

 

 

「領家はいつわりおろかにて、ある時は信じ、ある時はやぶる。不定なりしが、日蓮御勘気を蒙りし時、すでに法華経をすて給いき。日蓮先よりげんざんのついでごとに難信難解と申せしはこれなり。日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんためにこの御本尊をわたし奉るならば、十羅刹定めて偏頗の法師とおぼしめされなん。また経文のごとく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮、偏頗はなけれども、尼御前、我が身のとがをばしらせ給わずして、うらみさせ給わんずらん。この由をば委細に助阿闍梨の文にかきて候ぞ。召して尼御前の見参に入れさせ給うべく候。
 御事においては、御一味なるようなれども、御信心は色あらわれて候。さどの国と申し、この国と申し、度々の御志ありて、たゆむけしきはみえさせ給わねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。それも終にはいかんがとおそれ思うこと、薄氷をふみ、太刀に向かうがごとし。くわしくは、またまた申すべく候。それのみならず、かまくらにも、御勘気の時、千が九百九十九人は堕ちて候人々も、いまは世間やわらぎ候かのゆえに、くゆる人々も候と申すに候えども、これはそれには似るべくもなく、いかにもふびんには思いまいらせ候えども、骨に肉をばかえぬことにて候えば、法華経に相違せさせ給い候わんことを、叶うまじき由、いつまでも申し候べく候。」(新尼御前御返事 新1222-3頁・全906-7頁)

現代語訳:領家(資産を有する家、大尼御前のこと)は偽りおろかで、ある時は信じ、ある時は破る、という様に心定まらず、日蓮が御勘気を蒙った時に法華経を捨ててしまわれました。日蓮が前からお目にかかる毎に「法華経は信じ難く解し難し」と話してきたのはこの事です。日蓮にとって重恩の人ですから、助けてあげようとこの御本尊をしたためて差し上げるならば、十羅刹はきっと日蓮を偏頗(人の扱いに公正を欠くこと)な法師と思われるでしょう。また経文に説かれている通りに、不信の人に御本尊を差し上げないならば、日蓮は偏頗はないけれども、大尼御前は自身の失を知られず、日蓮を恨まれることでしょう。その事は詳しく助阿闍梨の手紙に書いておきましたので、呼ばれて尼御前にお見通してください。新尼御前は大尼御前とご一緒の様ですが、法華経への信心は形に顕われておられます。佐渡の国までの御心尽くしといい、この国までといい、度々の厚い志で信心がたゆむ様子は見えないので、御本尊をしたためて差し上げたのです。しかし、この先はどうであろうかと思うと、薄い氷を踏み、太刀に向かう様です。詳しくは、また申しあげましょう。それだけでなく、鎌倉でも御勘気の時、千人のうち九百九十九人が退転してしまいましたが、それらの人々も今は世間も和らいできた為か、後悔している人人もあるということです。大尼御前はそれらの人々と全く違っているので、いかにもかわいそうだとは思いますが、骨に肉を換えられない道理ですから、法華経に違背された人に御本尊を差し上げることはできないと、時が過ぎてもお伝えください。

※文永12年2月、身延から名越家の新尼御前に与えられた御手紙です。

大聖人は、「信心強盛な新尼御前には御本尊を授与するが、大聖人の佐渡流罪中に退転した大尼御前には御本尊を授与できない」と述べられ、仏法の道理の厳しさを御教示されています。

 

 

「光日御前は、いかなる宿習にて法華経をば御信用ありけるぞ。また故弥四郎殿が信じて候いしかば、子の勧めか。この功徳空しからざれば、子とともに霊山浄土へ参り合わせ給わんこと、疑いなかるべし。(中略)今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給う。母と子と、ともに霊山浄土へ参り給うべし。その時、御対面いかにうれしかるべき、いかにうれしかるべき。」(光日上人御返事 新1267頁・全933-4頁)

現代語訳:光日尼御前は、どの様な宿習によって法華経を信ずるようになったのでしょうか。また亡くなった弥四郎殿が法華経を信じていたので、その子の勧めなのでしょうか。この(法華経を信じて)功徳が虚偽ではないのだから、子の弥四郎殿と共に霊山浄土に参って会うことは疑いがないのです。(中略) 今の光日上人はわが子を思うあまり法華経の行者となられたのです。だから必ず母と子が共に霊山浄土に参ることができるでしょう。その時のご対面は、どんなにか嬉しいことでしょう。重ねてどんなに嬉しいことでしょう。

※弘安4年8月に身延より安房国天津の光日尼に贈られたお手紙です。光日尼は、息子の弥四郎の勧めで入信し純真な信心を貫いた人で、題名の通り在家ながら「上人」の号を頂き、即身成仏(新1264頁・全934頁)されていると褒められています。本抄では、母子共に「霊山浄土に参ることができる」と繰り返して述べられています。

 

 

「日蓮は日本第一の法華経の行者なり。すでに勧持品の二十行の偈の文は、日本国の中には日蓮一人よめり。八十万億那由他の菩薩は、口には宣べたれども修行したる人一人もなし。かかる不思議の日蓮をうみ出だせし父母は、日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。父母となり、その子となるも、必ず宿習なり。もし日蓮が法華経・釈迦如来の御使いならば、父母、あにその故なからんや。例せば、妙荘厳王・浄徳夫人・浄蔵・浄眼のごとし。釈迦・多宝の二仏、日蓮が父母と変じ給うか。しからずんば、八十万億の菩薩の生まれかわり給うか。また、上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か。不思議に覚え候。」(寂日房御書 新1269頁・全902-3頁)

現代語訳:日蓮は日本第一の法華経の行者です。法華経勧持品の二十行の偈の文は、すでに日本国の中では日蓮一人が読んだのです。八十万億那由佗の菩薩は、口では宣べたけれども修行した人は一人もいません。この様な不思議な日蓮を生んだ父母は、日本国の一切衆生の中では大果報の人です。父母となりその子となるのも必ず宿習なのです。もし日蓮が法華経と釈迦如来の御使であれば、父母にどうして深い宿縁が無いことがあるでしょうか。例えば妙荘厳王・浄徳夫人と浄蔵・浄眼の様なものです。釈迦・多宝の二仏が、日蓮の父母と変じられたのでしょうか。そうでなければ八十万億の菩薩が生まれ変わられたのでしょうか。また、上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹でしょうか。不思議に思えるのです。

※弘安2年9月に、身延から寂日房日家に与えられた御抄です。

この箇所は、大聖人御出生の不思議さを述べられています。

 

 

「かかる者の弟子檀那とならん人は、宿縁ふかしと思って、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり。法華経の行者といわれぬること、はや不祥なり、まぬかれがたき身なり。彼のはんかい・ちょうりょう・まさかど・すみともといわれたる者は、名をおしむ故に、はじを思う故に、ついに臆したることはなし。同じはじなれども、今生のはじはもののかずならず、ただ後生のはじこそ大切なれ。獄卒・だつえば・懸衣翁が三途河のはたにていしょうをはがん時を思しめして、法華経の道場へまいり給うべし。法華経は後生のはじをかくす衣なり。経に云わく「裸なる者の衣を得たるがごとし」云々。この御本尊こそ冥途のいしょうなれ。よくよく信じ給うべし。おとこのはだえをかくさざる女あるべしや。子のさむさをあわれまざるおやあるべしや。釈迦仏・法華経は、めとおやとのごとくましまし候ぞ。日蓮をたすけ給うこと、今生の恥をかくし給う人なり。後生はまた、日蓮、御身のはじをかくし申すべし。昨日は人の上、今日は我が身の上なり。花さけばこのみなり、よめのしゅうとめになること候ぞ。信心おこたらずして、南無妙法蓮華経と唱え給うべし。」(寂日房御書 新1270頁・全903頁)

現代語訳:この様な日蓮の弟子檀那となった人々は、宿縁が深いと思って、日蓮と同じ様に法華経を弘めるべきです。法華経の行者と言われているのは、もはや不祥な事であり、まぬかれ難い身なのです。あの樊噲や張良、平将門、藤原純友などは名声を惜しみ、恥を思うために最後まで臆病な振る舞いをしたことはなかったのです。同じ恥であっても今生の恥は大したことではありません。ただ後生の恥こそ大切なのです。獄卒や奪衣婆や懸衣翁に三途の河のほとりで衣装をはがされる時の恥を思い合わせて、法華経の道場に参られるべきです。法華経は後生の恥をかくす衣です。法華経薬王菩薩本事品に「裸者が衣を得たようなものである」とあります。この御本尊こそ、冥途の恥をかくす衣装です。強盛に信心されるべきです。夫の膚をかくそうとしない妻がいるでしょうか。子供の寒さをあわれと思わない親がいるでしょうか。釈迦仏・法華経は、妻と親のようなものなのです。日蓮(に供養し、身)を助けてくださる事が、私の今生の恥をかくしてくださる人ですから、後生は日蓮があなたの恥をおかくしするでしょう。昨日は人の上でも、今日は我が身の上です。花が咲けば必ず実がなり、嫁はやがて姑になることは疑いない事です。信心を怠らずに南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。

※御本尊を信受できたのは過去世の深い宿縁であり、大聖人の弟子となった限りは法華経を流布すべきで、自身は必ず成仏すると励まされていますね。

 

 

◎大聖人・有縁の地である安房を説明します。

大聖人は、貞応元年(承久4年)2月16日、安房国長狭郡東条郷片海(千葉県鴨川市小湊)の漁村でご生誕(父は三国の太夫、母は梅菊)され、天福元年12歳で、近くの清澄寺に登られ、道善房を師匠として仏道修行されました。建長5年4月28日(大聖人32歳)、鎌倉より一時戻られて故郷・清澄寺で立宗宣言されました。また文永元年11月11日(大聖人43歳)、同国東条郷松原大路(千葉県鴨川市広場付近)を通行中に、地頭の東条景信や念仏者の襲撃を受けるという「小松原の法難」又は「東条の難」として知られる事件が起こっています。

安房方面にも、上述の他に多くの弟子・檀那がおられた模様です。

 

 

 

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