不世出のパンク小説 夜の果ての旅
一分刻み、一銭刻みで勘定する神。情欲で狂った、豚のようにうめく、なりふりかまわぬ神。
ところきらわず舞い降り、下腹を投げ出し、愛撫に身をゆだねる、金の翼を生やした豚、
そう、これがおれたちの神様だ。さあ、みんな乳繰り合おうぜ!
(夜の果ての旅 セリーヌ著 生田耕作訳 以下同)
時代は第一次大戦下、主人公のバルダミュは、クリシー広場に面したカフェで友人と政治談議をしていた。
そこへ丁度、軍隊が行進しながらやってくる。興奮した学生たちは兵隊の列に加わる。
そしてそのまま志願兵として兵士になったバルダミュは、前線へ送られる。
完全な敗北とは、要するに、忘れ去られること、とりわけ自分たちをくたばらせたものを忘れ去ることだ、
そして人間どもがどこまで意地悪か最後まで気づかずにくたばっていくことだ。
棺桶に片足を突っ込んだときには、じたばたしてみたところで始まらない、が、水に流すのもいけない、
何もかも逐一報告することだ、人間どもの中に見つけ出した悪辣きわまる一面を、
でなくちゃ死んでも死にきれるものじゃない。
そこからバルダミュの、しみったれていい加減で、無軌道で倦怠に満ちた波乱の人生が始まる。
戦争に参加したはいいものの、現実を目の前にして早速嫌気がさす。
怪我を負って前線を外された後は、南へ向かう船に乗り、一路アフリカ大陸を目指す。
大陸ではひどい下痢と熱帯の暑さに悩みつつ、貿易会社の下働きをし、悪夢のような日々を過ごす。
しかしここも嫌気がさし、文化も文明もないと思われるアフリカから抜け出し、アメリカに渡る。
要するに、戦争の間は、平和になったらよくなるだろうといって、その希望に飴玉みたいにしゃぶりつく。
が、そいつもやっぱり糞のかたまりに過ぎない。
フォードの工場で働きながら、商売女とよろしくやっていたが、バルダミュは帰来の風来坊なのだろう、
急にフランスに帰ることを決める。
フランスへ帰り、医師免許を取り、ガラの悪いランシー界隈で小さな診療所をはじめる。
全てを語れるだけ長生きできれば、僕はいつか全てをぶちまけてやるつもりだ。
用心するがいい、ろくでなしども!あと何年か俺にご機嫌をとらせておくがいい。
いましばらくだけ殺すのを見逃してくれ。
卑屈な無抵抗なふりを装っておいて、なにもかもぶちまけてやる。
診療所に来る人々は、底辺の人間だけだ。そもそもそんな場所で始めたから当たり前なのだが、
向上心がなく学もなく攻撃的で、不摂生で不健康で不潔な、そんな人間をバルダミュは毎日相手にしていた。
バルダミュのまわりには、そういう人間しかいなかった。
貧乏人たちは、血の混じった積極的な痰で年金にありつこうという、卑しい計画にかじりついた物質主義者なのだ。
そのほかのことは奴らにはどうでもいいのだ。四季の移り変わりにしたところが、どうでもいいのだ。
何もかもが厭になったある日、バルダミュは発作的に診療所を捨てて、街にさまよい出てしまう。
しばらく旅芸人の一座に入り込んで毎日を送っていたが、妙な縁で精神病院の医師として雇われる。
住み込みなので住居の心配はいらない。バルダミュは新しい生活をはじめる。
しかしどんなに新しい生活を初めても、時間が経つにつれて、またあの倦怠が訪れる。
いつだってそうだ。常に新しいことなんかありゃしない。それがいやなら、気付かないふりをするか、諦めるしかないんだ。
生活は、いつか必ず倦怠という諦めに溺れてしまう。倦怠に溺れた生活から生まれるものは無気力だけだ。
擦り切れたテーブルクロスで、薄汚れたテーブルを隠し続ける生活。誰がそんな生活を望む?
望んでいたわけじゃない。それでも生きていかなきゃなんねーんだ。出口のない、絶望しかない世界で。
いつまでもしゃべり続けていることに飽き飽きするのだ・・・・口数を減らし、・・・・ついには口をつぐむ。
・・・・30年もしゃべり続けてきたのだ・・・・もう自分を主張しようという気もない。
いまでは僕らは行き来も絶えた道路の片隅の古びた思い出の街灯にすぎない。
どうせ退屈するなら、いちばん疲労が少なくてすむのは、まだしも規則正しい習慣で退屈することだ。
バルダミュは常に、いまいる場所からの逃亡という、抗いがたい欲望を持っている。
知らず知らずのうちに与えられた宿命と役割に、彼は抵抗する。抵抗しつつも、役割を演じている自分を憎む。
生きていること、それが彼の苦痛でもあるかのように。
この小説は何の前触れもなく、読者を混沌へ陥れる。
ギアをいきなりトップへ入れて発進する。アクセルは常に全開だ。
エンジンが焼けつこうがブッ壊れようが、お構いなしにぶっ飛ばす。保険を掛けた人生なんて真っ平だ。
そんな人生に縋りついて生きるのは、臆病者か負け犬だけだ。
「夜の果ての旅」は、ルイ・フェルディナン・セリーヌの処女作であり、作者の半自伝的小説である。
実際のセリーヌも、第一次世界大戦に従事し、苦学の末に医者になり、国際衛生事務局の一員として、
衛生事情視察の目的で、アフリカ、アメリカを巡った。
その後、パリの西北にあるクリシーで、貧民治療のための診療所を開き、死ぬまで医業を続けた。終生、貧乏だった。
そんなセリーヌが著した、このパンクな小説は1932年に発表された途端、文壇の話題をさらった。
破天荒で過激な内容、下品なヤクザ言葉、いつも何かに苛立ち、怒り、退廃的になってゆく主人公。
その他の登場人物全てが、品性も学識も遠慮もない、厚かましく厭らしい奴らばかりだ。
彼のまわりでは、愚かで醜くふてぶてしい人間たちが犇めき、また彼も、そういった輩を批判しつつ諦めつつ、
自分の置かれている状況を呪いながら、相手にしていたのだろう。
いつまでたっても変わらない絶望、足掻くだけで無為に過ぎてゆく年月、衰えつつある体力。
人生のやりきれなさが、パリの底辺に渦巻いている鬱屈したカオスが、この小説にパンパンに詰まっている。
セリーヌの怒りは、一体どこに向かっているのか?誰に向けられているのか?
冒頭の戦争場面で、バルダミュは戦争批判を行っている。そのせいで反戦家だと思われたセリーヌは
当時の進歩的左翼文化人から、圧倒的に支持された。まだ若かったサルトルとボーヴォワールもセリーヌに熱狂した。
しかしセリーヌは、反戦家などではなかった。
それを的確に言い当てたのが、永続革命提唱者であり、革命家であり、スターリンが放った刺客によって暗殺された
トロツキーであった。
「夜の果の旅」はペシミズムの書、人生を前にしての恐怖と、そして反逆よりもむしろ人生への嫌悪によって
口述された書物である。積極的反逆は希望と結びつく。セリーヌの書物の中には希望がない。
セリーヌは革命家ではない、また革命家たらんとする気持ちもない、彼は社会を改造しようとは心掛けない、
そんなものは彼の目には、まったく幻想である。
彼は小説の革命家として現れた。・・・・自分自身に対しても情け容赦なく、鏡に映る己の姿に嫌悪を覚え、
鏡を叩き割って己の手を引き裂くモラリストにもたとえようか。
(トロツキー「小説家と政治家」 訳者生田耕作のあとがきより抜粋)
さすがである。革命家で文芸評論家でもあったトロツキーは、表面的な解釈に惑わされずセリーヌを正しく理解している。
そしてセリーヌも、進歩的左翼文化人など鼻にもかけず、2作目では反ユダヤ主義という姿勢を明確にした。
そのせいで左翼文化人は恐れをなして離れていった。(無節操な変節が左翼の左翼たる所以であろうか)
しかし過激な反ユダヤ主義のため、セリーヌは一時期亡命しなければならなかった。
晩年は故意に忘れ去られ、死の際には、「国賊」として教会から葬儀の執行を拒否された。
ただし彼の反ユダヤ主義は、拝金主義と選民意識を極度に嫌うところに繋がっているように思う。
精神的潔癖症と形容できるだろうか。それもまたセリーヌ的。
ムードンにあるセリーヌの墓には、一言、「NON(否)」と記されているそうである。
死んでからでさえ、何かを拒否し続けるセリーヌ。
趣向の満ちた派手派手しい墓が多いフランスにあって、これほど重い一言もないだろう。
セリーヌはペシミストだったという。しかしマダムは違うと思った。自由主義のパンクスだと思った。
自由主義とは、あったことをあったと言い、なかったことをなかったと恐れずに言い切ることだ。
(この部分が、平気で改竄捏造してしまう左翼との決定的な違いだ)
一切のフィルターを通さず自分の言葉で表現することだ。そしてそれには覚悟がいる。
セリーヌは「夜の果ての旅」で、完全な敗北とは、要するに、忘れ去られること、と語っている。
まるで自身の晩年を予言したかのような一文だ。皮肉である。
タイトルに「不世出」と付けてしまったが、決して不世出ではない。むしろデビューは衝撃的であった。
しかし上記で述べたように、いまでは「故意に忘れ去られた作家」にされてしまっている。
反ユダヤ主義を記した彼の文献は、いまだにフランスでは出版できない事態となっている。
「反」であろうが「親」であろうが、どちらかの言い分を出版させないということは、これもひとつの言論弾圧だと思うのだが、
違うだろうか?
そこまでフランス国内では、容赦なく「異端」のレッテルを貼られているセリーヌの反ユダヤ主義を著した書物、
なんと唯一読めるのが日本なのである!
さすが翻訳大国日本!日本語さえできれば、世界各国のあらゆる文献が読めるというのは、伊達じゃなかった!
BANZAI!NIPPON!さっそく注文しよ~~っと。