21.幅広い興味・関心の原点は、「一人でも多くの人を幸福にしたい。日本および世界のあらゆる人々をも幸福にしたい」という気持ち。


創造の法―常識を破壊し、新時代を拓く/大川 隆法
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さて、この企画では「『夢中になれるものについては没頭するが、それ以外のものについては気にも留めない』のは、エジソン型の天才」と定義していたので、「そおかあ、それじゃあ、自分の興味のあることだけをやっていたら、エジソンみたいになれるのかあ」と思ったらちょっと違うよ、ということが、「快人エジソン」という本に書いてあります。
(この本は、創造性に関して考える際には、必読書です!)


快人エジソン - 奇才は21世紀に甦る (日経ビジネス人文庫)/和幸 浜田

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「エジソンは百科事典を隅から隅まで読破していた。また、新聞や雑誌からも膨大な知識を吸収していた」(文庫版・p139)


つまりエジソンは、興味のあることしかやらなかったかもしれないけど、興味のあるジャンルがものすごく多かった、ということなのです。


これでがっかりする人は多いと思います。
僕も「ああ、エジソンにはなれない」と、気落ちしました。


じゃあなぜ僕の興味や関心のジャンルが限られるかというと、結局のところ、「世界のあらゆる人々をも幸福にしたい」という気持ちが、そんなに強くはないからなのかなあ、と思うのです。



例えば、砂漠地帯で地下水脈のあるところを探して井戸を掘る、ということに対して、僕はあまり関心がありません。
(最近見たある映画でそんなシーンがあったので、例には出しましたが)

でも、「世界のあらゆる人々の幸福」を考えていたら、砂漠地帯で水に困っている人は現実にいるわけですから、そのことに対して関心が持てなかったのは、単に「世界の人々に対する愛情不足」ということなのでしょう。



「世界中の人々に楽しんでもらえるような作品を書きたい」と思っているのに、実は「世界中の人々に対する愛情が足りない」のでは、やっぱりアカンのではないか、なんて考えてしまいますよね。


ではどうしたらいいのでしょう……と、考えながら書いているんですけど……今思いついたのは、手塚治虫先生の「1年に映画を365本見る」ということが一番の近道かなあ、ということでした。


1年に映画を365本見る、ということは、もうハリウッド映画のエンターティメントだけでは済まない、ということになります。


レンタルビデオ屋では数は少ないですけど、ヨーロッパやインドや中国や、いろんな国の映画があります。
そこでは見たこともない生活様式や、驚くような人間関係のあり方が描かれていたりします。
それでいて、同じ人間だからでしょうか、文化は違っても全く変わらない愛情とか信頼のあり方もまた、描かれています。



実際に、手塚治虫先生の「ブラックジャック」を読んで驚くのは、そこで「患者」として登場してくる人々のバラエティの豊かさです。

王侯貴族や大金持ちから、極貧の犯罪者やら殺し屋やら、果ては動物や宇宙人や幽霊やスーパーコンピューターまで「患者」になっています。
(患者についてだけ書かれた本もあるくらいで)

Black Jack 300 stars’ encyclopedia (秋田文庫)/手塚プロダクション
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作家にとってそうした人物を登場させられるということは、少なくとも作家の「心の中」には存在しているわけです。
存在しているということは、ある程度のリアリティを持って、その人物の生い立ちとか生活環境とかを考えるだけの素材がなければなりません。


作者の知っている日常世界の中だけで物語が展開する、というものを書くのはそんなに難しいことではありません。
でも、「エンタティメントとしての物語」に期待することの一つは、読者が知らない世界を垣間見たい、ということではないかと思います。


そう考えますと、作家が「世界の人々」に対して関心を持つことは、作品世界を豊かにすると同時に、それは読者に対する愛情でもある、と言えるのではないでしょうか。


その具体的な行動としては、「世界のいろんな国の映画を見ること」であってもいいかもしれません。



というわけで、「世界のあらゆる人々」に対する愛情の足りない僕としては、ちょっと手塚先生を見習おう、とあらためて決意した次第です。




土佐広




「金の羽根ペンクラブ オンライン作品展」