18.現代は専門性の強い時代だから、自作品の専門の分野について努力しておくのは当然。
  さらに、そのジャンルの作家が普通やらない、異質な分野にも踏み込んで努力することが必要。


創造の法―常識を破壊し、新時代を拓く/大川 隆法

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このあたりが「プロ」と「アマ」の差かなあ、と思います。

アマチュアが趣味で作家活動をするなら、それほど専門性にこだわる必要はないかもしれないんですけど、プロとなるとそうはいきません。

その作品を構成しているいろんな部分に対して、「いちおう知っているよ」という程度の知識がないと、「作家のくせに、この程度のことも知らないのか」と、突っ込まれます。

「リアリティがないので面白くない」と感じさせたら失敗なので、そうした「裏方」を押さえる努力というのも必要かと思われます。


今年の1月7日に、「作家の司馬遼太郎さんが『坂の上の雲』を執筆していた頃、ロシア側の資料入手が困難だった」という内容の手紙が見つかった、というニュースがありました。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100107/acd1001071424003-n1.htm

これはやっぱり「プロの仕事だなあ」という感じがいたします。


「プロ作家」としてあるジャンルで作品を書いてヒットした場合、世間では「そのジャンルの権威である」と見て、雑誌やテレビでインタビューされたりします。

例えば、「いじめ問題」をテーマにした作品の作家ならば、「この作家は『いじめ問題』については、オピニオンリーダーである」と思われるのが普通です。


アマチュアの段階でこれにこだわりすぎますと、創作の勉強ができないのですけど、「プロだったらそのジャンルの専門家として恥ずかしくないレベルまでいかないと、本は出版してもらえない。出版してもベストセラーにはならない」くらいの覚悟はいるんだろうな、と思うのです。


去年、「真夏のオリオン」という映画があったのですけど、そこに「終戦のローレライ」を書いた福井晴敏さんが「脚色」という形で参加されていました。



これなども「終戦のローレライ」で第二次世界大戦時の潜水艦を舞台にした戦闘アクションがものすごいレベルで書かれており、また映画創りにも参加されていたので、「潜水艦映画の専門家」として招かれたんじゃないかな、と想像しています。

ひとつの理想の姿かなあ、とも思います。


どんな仕事でもそうでしょうけど、「プロ」としてやっていくには、それなりの「専門性」がいります。

マンガにおいても、「絵」や「ストーリー」だけを勉強していればいいのではなくて、「美味しんぼ」なら「究極の料理」、「ヒカルの碁」なら「囲碁」、「クロサギ」なら「詐欺の手口」という、「(マンガそのものとは)異質な分野」が大きな魅力として作品を支えています。

それは新たな文化を創ったり(「ヒカルの碁」では、小学生に囲碁ブームが起きました)、普段ならマンガを読まない人達をも顧客にする、という形での展開もありました。


そうしたことも考えながら、勉強をすすめていきたいものですね。



土佐広



「金の羽根ペンクラブ オンライン作品展」