10.アイデアは、不断に何かを強く求めて研究したり精進したりしている状態が続いて、そのあとのリラックスタイムに何かがひらめくことが多い。

創造の法―常識を破壊し、新時代を拓く/大川 隆法

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やっぱりそうなんだろうな、と実感します。

単に散歩やお風呂でリラックスしたらアイデアが降ってくるわけではなくて、その前の精進の段階がある、というのがここでのポイント。

感じとしては、水溶液が過飽和状態になった時に、はじめて溶質が結晶化してくる……そんなイメージがあります。

ですから、個人の修行としては、いろんな知識や情報を入れたり、それを考えてみたりして、心の中が過飽和状態になるようにしておく。
そうすれば、何かのインスピレーションをきっかけにして、一気に結晶化されるように思います。


ウンウン唸ってもなかなか作品ができないのは、結局のところこの「心を過飽和状態にする」ということができていないように感じています。
過飽和状態でないのですから、結晶ができないのは当然。

過飽和状態を維持し、高めていくためには、登場人物のプロフィールやエピソードをメモしたり、必要な資料を調べたり、物語を作っては壊し創っては壊し、を繰り返すしかないのかなあ、とも思います。

絵でいえば、ラフスケッチを繰り返していくことに相当するのでしょうか。
ものすごく苦しい作業でもありますが、反面、一番楽しい作業でもあります。

ぼんやりしたイメージだけだったものが、次第に形を明確にしてくるプロセスです。
「あっちに行こうか、こっちにしようか」と迷うところも多々ありますが、ここで焦らないでじっくり熟成させると、心の中でいい感じに仕上がってきます。


そうして出来たものは、他人にどう評価されようと、自分としてはオッケイのものになります。
逆に、変に「受け」を狙うと、それは「自分の中にない感覚」で書こうとすることになるからでしょうか、あとがどうもよろしくありません。

「少なくとも自分にとっては最高のもの」を創ると、その創作の喜びみたいなものが、読者にも伝わってきます。
これは小説でも映画でも音楽でも同じでしょうが、「ここのところ、作者はノリノリで書いてるよね」というとこって、わかるんですよね。

そんなふうなものが書き続けられたらな、といつも思っているのですけど。


ところで、このように、考えて、考えて、考え抜いていく部分が、おそらく最も創造的な仕事をしているのでしょうが、端からは「ぼーっとしている」「暇そうにしている」ようにしか見えないのが、本当に残念。

まあ、仕方ないのかもしれません。
このあたりが、創造的な人が「奇人・変人」に見えるところなんでしょうね。


あと、物語のテーマ的なものも、作者がいつも考えていることが自然に出てきてしまいますので、自分がいつもどんなことを考えているか、いつも見つめて、コントロールする必要もあると思います。

小説で原稿用紙数十枚から数百枚もの文章を書いたら、作者の人生観・世界観はもう隠せないです。
何を正義と感じ、何を悪と感じるか。
何を喜びと感じ、何を悲しみと感じるか。
生きるとは何か、人生の苦しみに対してどう考えるべきなのか。
人はどのように生き、どのように死んでいくべきなのか。

だからこそ、作家には特に「心の修行」が大事なのだろうと思います。



土佐広



「金の羽根ペンクラブ オンライン作品展」