8.創造的な人間は変わっているので、組織のなかにいると潰されやすい。
  変わったアイデアを出し、行動し、それを実現するためには、勇気が要る。


創造の法―常識を破壊し、新時代を拓く/大川 隆法

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そういえば、物語世界の中で、「創造的な人間」というのは、「奇人・変人」として描かれることが多いですね。

「のだめカンタービレ」の、のだめちゃんなんて明らかに変人だし(でも、ピアノを弾かせると天才的)、「ハチミツとクローバー」の森田先輩もそうだし。

シャーロック・ホームズなんかも、常識人のワトソン博士の視点で書かれているものですから、その奇人・変人ぶりが楽しくて、大好きでした。


現実世界で創造的な人でいいますと、「機動戦士ガンダム」の原作・監督の富野由悠季氏もかなり変わった人らしいし、「エヴァンゲリオン」の原作・監督の庵野秀明氏の奇人ぶりなど、奥さんの手による漫画「監督不行届」に詳しく描かれていたりします。

小説家ではその昔、遠藤周作と北杜夫が「狐狸庵vsマンボウ」なんていって、お互いに変人ぶりを競い合っていたりもしました。

科学者では、ニュートンが卵と間違って時計を茹でたとか、アインシュタイン博士といえば「べー」と舌を出した写真ばっかり有名だし。


こういう方々の「創造的な生き方」を考えると、自分のエネルギーを自分の最もやりたいことに集中的に使っているんだ、ということがわかるような気がします。

普通に、無難に、みんなと違わないように、なんてことには関心がない。
自分が今、一番興味を持っていることに、全エネルギーを注いで、脇目もふらずに突っ走っているように感じます。


だから、主体的な「自分」というものがなくて、まわりに合わせてはじめてアイデンティティが確保できるような「普通の人」から見たら、どう見ても「奇人・変人」に見える。

でも本人は「奇人・変人」を演じているつもりなんてまるでなくて、ただ、プロスポーツにも、人気の漫才師にも、流行のファッションにも、暇つぶしの飲み会にも関心がないだけなのです。
ごく単純に、自分に正直に、自分のやりたいことをひたすらやっているだけ。
むしろ、まわりに合わせる器用さを持っていないだけのように感じます。


僕自身も、社会に出てから「まわりに合わせる」ことに気を遣うようにはなりました。
それは、少しは社会生活を送るのに役に立つことはあったでしょう。

しかし、「幸福であったか?」と問われると、疑問です。

「幸福とは何か」の答えの一つは、「悟り」です。

そして「悟り」とは、「これが自分だ」というものを、つかみ取ることです。

では、「自分が本当にやりたいことをやると、奇人・変人と見られる。だから、普通に、常識的なことをやっておけばいいだろう」という生き方をして、「悟り」が得られるのでしょうか?

「幸福」が得られるのでしょうか?


僕は、違うと思いました。
少なくとも、僕には自分の持つ「奇人・変人・ヘソ曲がり」を押さえて、世間的に見て恥ずかしくない常識的な人間になって得られた幸福はありませんでした。

わずかにはあったかもしれません。……でも、それらは全て失われてしまいました。


ですから僕は、「本来の自己」に戻ります。
「他人に取って都合のいい人間」ではなく、「自分自身の人生を生きる人間」になります。

それが完全に理解されることは、おそらくないでしょう。

ならば、覚悟すればいいのです。
そのための「勇気」です。

「創造的な人間」とは、そうした生き方をしている人だと思うのです。



土佐広



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