3.クリエイティブな「創造力」に加え、イマジネーションの「想像力」で周囲の人の気持ちを酌み取り、どうすればいいかを考えれば、人間関係の問題の九割は解決できる。


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これもちょっとアレンジしてあります。


「想像力のない人」というのは、付き合ってみて本当に神経をすり減らすというか、周囲の人間をぼろぼろにさせてしまうことがあります。


自分の気持ちを他人にわからせようとするだけで、他人の気持ちをわかろうとしない人たち、ですね。


そうした人の共通点は、……あくまでも僕の経験からなんですけど、……小説を読んだり、ドラマや映画を見たりしないんです。


おそらく、「他人の人生に関心がないんだな」と思うのです。
小説なんかは、登場人物に感情移入して、自分でいながら他人の人生を生きる、という経験ですものね。



こうした「感情移入」は、ドキュメンタリーとか、講演を聴くのとはちょっと違うところがあります。


ドキュメンタリーとか、講演というのは、受け取り方としては「他人の話」なのです。
そこからいいところがあれば学ぼう、という姿勢、それ自体は悪い事ではありません。


ただ、語る相手がいて、聴く自分がいる以上、そこには「他人と自分」という隔たりがあります。



これを越えるのが、文学に代表される「物語芸術」だと思っています。


小説、マンガ、ドラマ、映画……そうしたものは、自分でいながら、その物語の主人公になりきって、自分とは別の人生を生きています。


そこでは、自分の人生では経験しなかった様々な事件にぶつかり、いろんな人のいろんな立場を経験します。



確かに、「小説なんて、ただの暇つぶし」かもしれません。
読んで得になることなんて、何一つないかもしれません。


しかし、一冊の小説、ひとつの物語を読み終えた時、僕たちは少しだけ人生観の器が拡がったように感じます。
他人を理解する、そのキャパシティが大きくなったように感じます。



例えば、「金田一少年の事件簿」というミステリーを読んだとします。


殺人事件が起きます。憎むべきは殺人犯です。
でも、物語を読み終えた時、僕たちは犯人を必ずしも憎みきれない気持ちを発見します。
犯人の人生を知り、犯人の動機を知り、犯人が「殺人は悪い事である」というのをわかっていながら犯さざるを得なかった、その心情を知ります。


「人殺し=悪」という単純な人生観とは、違う何かが心に生まれて来ます。


人を理解すること、そして、それが許しへとつながっていく感覚です。



あるいは、古典でもある「ロミオとジュリエット」の演劇や演劇を見た方ならどうでしょう。


その方の息子さんが、大嫌いな近所の人の娘さんと恋仲になったとき、その方はどう考えるでしょう?


親が反対し続けたらどうなるか……そう、そのひとつの答えを、物語は教えているのです。
であるならば、「ロミオとジュリエット」を見たことのない人とは、違う結論が出てくる可能性が大きいのではないでしょうか?



いじめ問題にしてもそうでしょう。


さっきまで見ていた大河ドラマ「龍馬伝」などで描かれた、いじめる側の醜さ。


「自分は客観的に見たら、あんな感じなんだろうか」と考えることで、職場や学校、姑や舅の嫁いびりの問題も、現象するんじゃないでしょうか。



そう、みんな「自分は正しい」と思っています。「間違っているのは他人だ」と。


でも、他人の立場に立ってみたら、その相手にもまた、それなりの正しさがあり、人生があるのです。
それをわかるために、物語というのは存在するのではないでしょうか。



イマジネーションの「想像力」を鍛えるには、やはり訓練がいります。
その訓練とは、数多くの物語と接することだと思います。


そうすることで、「今のこの人は、昔読んだあの小説の登場人物と同じような立場にいるんじゃないだろうか」と考えることができます。



想像力の欠如した人の言動に接すると、「この人、幸せになりたくてこんなことするんだろうけど、こんなことしたら幸せになれないことが、わかんないんだろうか」と悲しくなることがよくあります。


残念ですけど、わかんないんでしょう。



だから僕は、物語芸術というのは、イマジネーションを鍛える上で、とても大切なことだと思っています。



土佐広



「金の羽根ペンクラブ オンライン作品展」