今日はちょっとした証です。
一人の青年が私が通う教会の一人の兄弟に話しかけてきました。
教会員ではない青年です。
「どうして統一教会はそんなに一方的に悪く言われているのですか?」とその青年が話しかけてきました。前に別の教会の方と話した時に非常に良い印象を受けたようです。どうして良いこともやっているのに、マスコミでは悪く取り上げられるのかと。
兄弟がいろいろと説明する中で、その青年は納得し、真実を知りたいと私たちの教会を訪ねてきました。原理について、今の摂理の内容について、僅かな時間でしたが、原理復興師が語られるその内容に感銘を受け、
その日のうちに統一原理を一通り受講することを決めました。
見ている人は見ているのだと実感します。
反対派はこれからも批判してくることでしょう。
しかし、私たちは臆することはありません。
どんなことでも、何かと外野はいつも賑やかなものです。
悪い噂に対して、たとえ同様することがあっても
それは、私たちが教会と先生を心から愛し、信じているがゆえと感じます。
教会に対して客観的に見ているならば、動揺することもあり得ません。
それを受け取る私たちが、批判の目、不信の目で見つめるのか。
それとも、問題を天的なものとして見つめ受け止め、消化していくのか。
「苦難よ、私たちを鍛えてほしい。」先生の自叙伝の中の1節のタイトルからです。心に響く一言です。文先生自身が草創期に苦難を受け、今とは比較にならない難しい環境の中で、正にこの様な精神で歩まれたと思います。
まず、私一人がどの様な人となるのか。自己伝道という言葉がありますが、いかに私自身を伝道していくのか、大切にしていきたいものですね。