手術するかしないか、それぞれのリスクを比較し、1人考え続けた。
手術するのをほぼ決めてたけど、返事はギリギリまで待ってもらうことにした。

「病名で検索してもいいかも知れませんよ」と先生が言ってくれたことがあった。
先生は私に調べさせたかったのではなく、決断のヒントを提案してくれただけだとわかっていたから、調べなかった。

この状況でスマホを頼りに調べても、不安要素が増えるだけで解決しない。

同病でも、症状や予後は人それぞれ違う。
例え有名な先生が書いた記事であっても、その先生は私の画像を見た訳じゃない。

やっぱり、状況をわかっている先生と話し合い、自分で納得して決めたいと思っていた。

この緊張感が続く状況の中でフラットでいられたのは、
“調べない”ことにより、“余計な情報に振り回されなかったから”だと思っている。


そして何より、みんなが私に対して“普通に接してくれたおかげ”で、平静を保つことができた。

穏やかな先生のおかげで、話し合いの時は冷静さを保てた。
看護師さんや家族にも特別扱いされなかったから、普段通りヘラヘラできていた。


ただ・・・この決断は難し過ぎた。
泣いても解決しないとわかっていても、普通に感情があるから、1人の時は涙が流れてるのが普通になっていた。
(でも、この状況でも泣きながら完食できてたのは、今考えるとハートが強い気がする…)


そして今も、変に気を使わず、普通に接してくれる人といるのが心地いい。
「普通に…」というのは案外難しい。だからこそ、すごく大切だと感じている。