8月の終わり頃、テレビで少し見かけて気になっていた
臨床宗教師。
放送の全てを見ることができなかったから。
内容を少しメモしておいたのを思い出した。
やっぱり気になるからネットで自分なりに調べてみました。
臨床宗教師とは?
病院や被災地などの公共空間で宗教勧誘を目的とせず相手の価値観、人生観、信仰を尊重し生きる力を育む心のケアを実践する宗教者。
WHO・世界保健機関では、命を脅かされる状態にある患者の痛みとして4種類あると定義。
①身体
②精神(うつ・不安)
③社会(家族・仕事・お金の問題)
④スピリチュアル(死の恐怖・死生観の悩み)
治療が長くなるにつれてダンナさんの心のケアが今まで以上に重要で必要になってきている。
と最近は感じていまいた
抗がん剤をいれたのにまだ腫れの引かない自分の顏。
ヨメよりも軽くなった体重。
リハビリしても続く身体の痛み。
もう1年以上も坊主頭の自分。
そんな色んな事が積み重なって。
強かったダンナさんの心をもろくしてしまっていると感じています。
今すぐに臨床宗教師のような存在が必要な状態ではないけれど。
自分の生きる意味
死んだらどうなるか
とういうようなことをダンナさんも。
もしかしたらすでに一度くらい考えたかもしれない。
そんな気がします。
医療現場での臨床宗教師は「穏やかな死」へと患者を導く手助けをしてくれる存在です。
患者は医師や看護師に対して遠慮があったりで。
言えないことも多くあると思います。
もちろん聞いてくれる医師や看護師も多くいます。
でも忙しい医療の現場で医師や看護師が身体のケアだけでなく心のケアまで行うのは厳しい。
患者の家族目線で見てもそう感じます。
この医師や看護師が支えきれないところを臨床宗教師が担っているようです。
人はいつか必ず死を迎えます。
私だって今日事故で突然、死ぬかもしれない。
でもがんのように、自分の残された時間を(告知されていたら)ハッキリと。
あるいはなんとなく分かっていながら最期を迎えるのとでは。
終わり方に違いがあると思います。
だからこそ臨床宗教師のような存在は必要だと感じました
もちろん精神腫瘍科も同じように心のケアをしてくれるけど。
医師と宗教家ではそれぞれ違ったいい点があると思います
宗教というワードだけでなんとなく嫌悪する人もいるかもしれないけど
東日本大震災の後で被災者の心をケアした功績は忘れないでほしいです