◆テレビのバラエティー番組などで活躍したタレント、飯島愛さんの急死が伝えられたクリスマスイブの24日、芸能界にも大きな衝撃が走った。飯島さんと番組などで共演した著名人も驚きを隠さなかった。昨年3月の引退まで所属していた事務所は「10日ほど前に“新しい会社を立ち上げたので、あいさつに行きたい”と電話を受けたばかりだった」と明らかにした。
飯島さんが引退まで所属していたワタナベエンターテインメントによると、10日ほど前に飯島さんから電話があり、「新しいビジネスを立ち上げて会社もつくったので、あいさつに行きたい。報告したいから時間を取ってください」と話していたという。引退後も相談の電話などがたびたびあったといい、同事務所は「報告も受けていたのでショックです」と衝撃を受けている。
公私にわたり親交のあったタレントのうつみ宮土理(65)は「信じられないです。先日も代官山のレストランで、新しい事業の夢がかなったと言って喜んでいたのに…」と、ファクスで悲しみのコメントを寄せた。「彼女は“宮土理さんと話をすると元気をもらえる”とよく夜中に電話をもらいました。11月には私のディナーショーに来てくれて、抽選でキンキンケロンパの魔よけTシャツがあたったと大喜びしていた顔が忘れられません」と続けた。飯島さんは自身のブログで先月29日、「ケロンパと愉快な仲間達」という題で、うつみのディナーショーに行ったことを報告している。うつみはこの日昼頃、何も知らずにメールを送ったといい「あまりにも突然で気持ちの整理がつかず、ただ呆(ぼう)然としております。さっき3時間前にメリークリスマスのメールを送ったところだったのに」と、大きなショックを受けている様子だった。
大阪府の橋下徹知事(39)は、2月の知事就任前まで、TBS「サンデージャポン」でコメンテーターとして共演。24日、府庁を出る際に報道陣に囲まれ、「ショックです」と残念そうに話した。
スポーツニッポンより
◆亡くなった飯島愛さんは、バラエティー番組などでも赤裸々な発言で人気を集めていた。最近の発言を集めてみた。
「時々、急に、寂しくなったりしませんか? (中略)わたくし、かなり元気にやってます。ただ、もの凄い寂しがりやであります。だって寂しくねーか? 1人じゃ生きていけないんだモン」(平成20年11月30日、ブログで)
「最近、検査でピロリ菌が見つかっちゃいました飯島ピロリです。この2ヶ月ほど、軽いノイローゼで大変でした。精神疾病です。抗うつ剤を処方されたので凹みました。抗うつ剤なのに」(平成20年2月24日、ブログで)
「芸能界は厳しい世界であり、目標や夢が見いだせず、頑張れないのなら生き残っていくことは不可能です。悩みながらも引退を決意しました」(平成19年4月1日、マスコミ各社に発表した引退コメント)
「タレントのお仕事はやめます。3月末で調整させていただいてます」(平成19年3月11日、レギュラー出演していた「サンデージャポン」で引退宣言)
「2人の若い女優さんが自分の色を添えて、若い世代にメッセージを伝えてくれると思う」(平成13年7月17日、「プラトニック・セックス」の映像化で星野真里、加賀美早紀が主役に決まって)
「恋人はいないです。好きな人に遊ばれることはありますけど。まずいですね、29歳になってまで…」(28歳の誕生日だった平成12年10月31日、都内の書店で行った著書「プラトニック・セックス」のサイン会で、年齢を間違えて)サンケイより
◆元タレントの飯島愛さん(36)=本名大久保松恵=が東京・渋谷区の自宅マンションで亡くなっていたことが24日、明らかになった。数日間、連絡が取れず心配した知人女性が自宅を訪ねて、リビングで倒れている飯島さんを発見した。警視庁渋谷署では、病死か自殺とみて、25日に解剖し、詳しい死因を調べる。飯島さんは売れっ子タレントだった昨年3月、持病の悪化を理由に突然、芸能界から引退。最近は公式ブログで、円形脱毛症を告白するなど、体調不安や、不安定な精神状態をのぞかせていた。
◇ ◇
クリスマスイブ、芸能界に届いたのは、飯島愛さんの突然のふ報だった。
飯島さんと数日間連絡がとれないことを不審に思った知人女性が24日午後、飯島さんの自宅マンションを訪ね、管理人にカギをあけてもらうと、普段着のままリビングの床にうつぶせで倒れている飯島さんの姿があった。外傷はなかった。
119番通報で午後3時15分、渋谷消防署員が駆け付け死亡を確認。警視庁渋谷署の調べでは、事件性はなく、自殺と病死の両面から調べている。きょう25日に行われる行政解剖で、詳しい死因が判明するとみられる。
飯島さんは昨年3月に芸能界を引退。レギュラー出演していたTBS系「サンデージャポン」の中で「病気になった時にいろいろ考えました。身を削ってタレントを続けていくのは限界があります。若い子もたくさん出てくるし…。私はそんなに強い女性じゃないから」などと引退を決めた理由を語っていた。
飯島さんが引退直前まで所属していたワタナベ・エンタテインメントは「10日ほど前に新しいビジネスを始めようと思うけど、今度会ってほしいと連絡があった。前向きに話していただけにショックです」とコメント。将来に視線を向けていた様子を明かしている。
飯島さんは1992年にAV女優としてデビュー。その後、タレントに転身し、バラエティー番組を中心に歯に衣(きぬ)着せぬトークで活躍した。
しかし、07年3月、持病の腎盂(じんう)炎が悪化したことを理由に、突如、芸能界からの引退を発表。以後は、公式ブログ「ポルノホスピタル」で、自ら「セレブニート」と称する日々が続き、12月5日の書き込みが最後となったブログでも、体調不良や精神的に不安定な様子をのぞかせていた。
11月24日には円形脱毛症になったことを明かし、右耳上にできた“10円ハゲ”を写真入りで披露した。9月には一度、年内の更新を休むと宣言しながら、約1カ月後に更新を再開。最近では「寂しい」と連続してつづり、一方で、タレント時代から盛んに行っていたエイズ予防の啓発活動もブログ上で展開。死の直前までエイズウイルス(HIV)検査を勧めていた。
アダルトビデオから、グラビア、バラエティー、コメンテーター、作家までこなした希代のマルチタレント、飯島愛。36歳での早過ぎる死は、あまりに悲しく寂しいものとなった。デイリースポーツより
◆元タレント飯島愛(いいじま・あい)さん(本名・大久保松恵=おおくぼ・まつえ)が24日午後3時15分ごろ、東京都渋谷区内の高層マンションの自室で亡くなっているのが発見された。36歳だった。知人女性がリビング内でうつぶせで倒れているのを発見し119番通報したが、すでに死んでいた。警視庁渋谷署は自殺の可能性を含めて捜査を進めているが、事件性はないとみている。飯島さんは昨年3月に腎盂(じんう)炎などで体調が悪いため芸能界から引退。最近もブログで落ち込む様子をつづっていたが、引退から1年9カ月後の悲劇だった。
飯島さんはこの日、渋谷区桜丘町の高層ビル最上階の21階にある自室で死んでいるのが発見された。知人の女性が、飯島さんとここ数日間連絡が取れないため心配して訪れた。かぎがないため、管理人に事情を話して開けてもらい、部屋に入ったところ、リビングの床に飯島さんは普段着姿でうつぶせで倒れていたという。119番通報し救急隊員が駆けつけたが、すでに亡くなっていた。遺体は担架に乗せられて搬送され、午後6時すぎに警視庁渋谷署に入った。
警視庁渋谷署によると、遺体は死後数日経過し、室内が荒らされた跡や着衣の乱れ、外傷もないことから事件性はないとみている。自殺の可能性も含めて慎重に捜査を進めており、25日に行政解剖して詳しい死因を調べる。
同ビルはJR渋谷駅から徒歩約5分で、大手芸能プロの事務所も入っている。最上階21階にある飯島さんの部屋の家賃は月60万円といわれる。周辺は100人を超える報道陣とやじ馬で騒然とした雰囲気になった。テレビ局の中継車が並び、ヘリコプターも上空を飛び、渋谷署からパトカー2台が出動。警官が整理に当たった。
飯島さんは06年に腎盂炎などで体調が思わしくないことを公表。昨年3月に「目標や夢を見いだせず、頑張れないのなら生き残っていくことは不可能」と芸能界引退を発表した。引退後もブログで近況を報告し、今年2月に「軽いノイローゼ」で通院治療し抗うつ剤を服用していることを告白。また、ブログを突然休止したかと思うと、また再開するなど精神的に不安定な一面ものぞかせた。
11月30日の書き込みでは「時々、急に、寂しくなったりしませんか?」と落ち込んでいる様子で、発見した知人女性も「最近、ふさぎ込んでいた」と話しているという。ブログは今月5日を最後に更新されていなかった。同マンションに住む30代の男性も「1週間ほど前にエレベーターでお会いした。ノーメークで、脱いだブーツを手に持ち、はだしでした。顔色がとても悪かった」などと話した。
飯島さんは92年にAV女優でデビューし、テレビ東京系深夜番組「ギルガメッシュないと」で「Tバックの女王」として人気者になった。その後、バラエティー番組などで辛口のコメンテーターとして活躍する一方、00年に出版された半自伝的小説「プラトニック・セックス」は性病感染した経験や整形手術を告白する内容でベストセラーとなり、映画化、ドラマ化もされた。引退後もエイズ予防の啓発活動に積極的に参加し、今月6日にも宇都宮市内で行われた啓発イベントに参加していた。
「週刊朝日」12月26日号では近況について「10円ハゲはできるし、幻聴は聞こえるし」と話し、さらに投資会社に借金して「コンドームなどシモのケア用品をサイトで売る、かっこいいシモネタ産業。もうすぐショッピングサイトもオープンします」と社長になって会社を始めたことを明かした。芸能界復帰には「もう難しいと思う。今や私の知らないかわいい子ばっかりだし」と話していた。日刊スポーツ より
★飯島 愛(いいじま あい、本名:大久保 松恵(おおくぼ まつえ)、1972年10月31日 - 2008年12月?)は、日本の元タレント・元AV女優。東京都江東区出身。元ワタナベエンターテインメント所属。身長163cm。血液型:A型。
飯島 愛 プロフィール
愛称 愛珍(あいちん)
生年月日 1972年10月31日
没年月日 2008年12月
出身地 日本・東京都江東区
血液型 A型
公称サイズ(出典不明)
身長 / 体重 163 cm / 43 kg
BMI 16.2(低体重)
スリーサイズ 86 - 56 - 85 cm
単位系換算[表示]
身長 / 体重 5′ 5″ / 95 lb
スリーサイズ 34 - 22 - 33 in
活動
デビュー 1992年
ジャンル タレント、アダルトビデオ
モデル内容 ヌード
備考 1992年 - 2007年
他の活動 AV女優
既に芸能界を引退しているが、飯島 愛としてブログ(飯島愛のポルノ・ホスピタル)を続けており、連日ファンのコメントで賑わっている。
芸能界内での遍歴など
1992年、AV女優となる。
本名が「大久保松恵」であることは2007年4月8日放送分の『ウチくる!?』にて、中山秀征により公表された(その後、2007年5月2日に自身のブログでもさりげなく公表している)。
生年月日は、当初は1973年8月25日と公表していた。本人の弁によれば、デビューしたのが夏で、すぐに芸能界からいなくなるからその前に誕生日が来ればプレゼントがもらえると思って8月生まれと言った、とのこと。現在でも、1973年8月25日生とする資料がある。
芸名は水商売時代、所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて「愛」という源氏名を付けてくれたことによる(自著「プラトニック・セックス」より)とあるが、以前テレビ番組で「ラブ」という源氏名を自らつけたことを告白している。「本名が垢抜けないから好きではない」と、思い切った名前をつけた。その後に勤めることになったクラブのママが「ラブ」を転じさせ「愛」にするよう指導し、理由は後付で、客に紹介する際に「みんなから愛され~」のくだりが確立された。
芸名に「飯島」という姓がつけられたのは、当時の所属事務所社長(オフィスレオ)が飯島直子の大ファンだったため。飯島直子側はこれを快く思っていないと報じられることが多く、「W飯島」と括られることもあるが共演はほとんどなかった。しかし飯島直子が2006年10月に「ウチくる!?」に出演した際、両者の不仲説を明確に否定した。なお、この2人の数少ない共演として1994年10月30日の日本テレビ系『スーパージョッキー』がある。
1990年代前半、とんねるずのみなさんのおかげですのスタッフととんねるずの木梨憲武が、飯島のビデオのファンであったことから番組にハプニングゲストで出演(これがテレビ番組初出演になる)。
1990年代前半、深夜番組「ギルガメッシュないと」(テレビ東京系)で、スカートをめくり、世の男たちに活力をあたえた。『Tバックの女王』と呼ばれる。その後、次第に大人の女性としてトーク番組等でバラエティタレントとして活躍している。近年は気だるく重い口調が特徴。
1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。オリコン87位。このCDには飯島が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されていた。
2000年、半自伝的な小説「プラトニック・セックス」でAV出演や性病感染、整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、以来作家活動も行っている。週刊朝日にコラム「飯島愛の錦糸町風印税生活」を執筆。また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。
あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!にゲストとして呼ばれた回数No.1。奢った金額トータルもNo.1。放映開始1周年を記念した回では伊倉一恵の「本の印税で益々景気がいいに違いない飯島愛さんに、オヤジ三人がおごってもらう」との冷静なナレーションの中、登場早々に高田純次らに「金おろせよ」と言われ、銀行のATMから100万円を引き出す。途端にオヤジ三人のテンションは高くなり、「よし、100万円全部使い切るぞ!」「俺達いい仕事するからな」と散々。飯島は抵抗・抗議したが、無論受け入れられず。(エンディングでは、60万円弱を使った旨、明細が出ていた)
更には、番組最終回の打ち上げパーティーと称して高級ホテルの宴会場を借り切った際、実は招待客にパーティー費用を支払わせようという魂胆を知らされずに会場へ登場。総額100万円をあわや飯島一人で支払わされそうになった。
ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多かった。例としては「スパスパ人間学!」、「決定!これが日本のベスト」、「ロンドンハーツ」等がある。
胸や顔の整形等についてカミングアウトしていて、自らのスッピンネタ等自虐系の発言も時々する。そのメイク技術はテレビ番組『くりぃむナントカ』でも、「飯島さん、メイクの本を出すべきですよ!」と言われたほどだった。
2005年にブログを始める。同年、ネット配信番組に連動した株取引に関するブログも、短期間公開された。
2006年11月11日、個人事務所の経理担当の人間から数千万円もの横領被害に遭ったことをブログで告白した。
2007年3月31日、所属事務所から正式に芸能界を引退することが発表された。
2008年12月24日、東京都内のマンションで死亡しているのが発見された。
引退報道
2007年3月3日、芸能界引退の報道が、流れる[1]。
事務所もこの内容をFAX回答で認めた。生出演した『サンデージャポン』では、この件について、いつかは引退すると言うも3月末とは明言しなかった。その後翌週(3月10日)で3月いっぱいで引退することを本人が発表した。
腎臓病(腎盂炎)であることが報道された。それによると「症状が予想以上に重く、仕事を続ける意欲を完全に失っているという。」と理由付けされている[2]。
3月末で引退予定のため、その時期にはTBSで引退特番もすでに組まれていた[3]。
彼女のブログには「引退しないでほしい」「芸能界にまた復帰してほしい」など、引退を惜しむコメントが多数書き込まれた。飯島も「みんなのコメント読んでるよ」と返事を書き、ファンサービスをした[4]。
『サンデージャポン』最後の出演は2007年3月25日だが、ちょうど番組放送直前の午前9時42分頃、能登沖でマグニチュード6.9の能登半島地震が発生。TBSは地震の状況を報道。飯島最後の『サンデージャポン』の放送時間はわずか15分となってしまい、飯島本人が出演した場面は、たった3分(予告編だけ)しかなかった。飯島はこのことをブログで「大変な事態です。人命と私の引退は比べるに値しない。今はそっと、被害が最小限に収まるように見守りましょう。」と綴っている。なお、翌日のニッポン放送の生放送ラジオ番組『テリー伊藤のってけラジオ』において、飯島と『サンデージャポン』で共演しているテリー伊藤が「飯島愛ちゃんの分は収録しました」と話し、来週の『サンデージャポン』で放送すると明言した。
その後、テリー伊藤の言うとおり、4月1日の『サンデージャポン』のラスト10分で、事前に収録された「飯島愛 引退ファイナルカウントダウン」と題されたVTRが放送され、飯島は週刊誌で報じられている「藤田晋とITビジネスを行うという説」や「ニューヨークへ移住するという説」を否定し、「(今後は)医療関係の仕事に就きたいが、今から勉強しても間に合わない。でも、(医療と性質の似ている)カウンセリング関係の仕事をしたい」「歌や(お笑いの)ライブなど、板の上(舞台)に立つ仕事ができないと、芸能人としては限界がある。あと、病気で休んでいる時に、私の代わりになる若手はいっぱいいると思った」と語った(また、「精子バンクでシングルマザー説」については「試みようとしたことはある」と述べた)。そして、VTRの最後では、高橋ジョージが飯島愛のために「ロード」を熱唱し、飯島本人はみんなへの感謝のメッセージを贈った。
2007年3月31日に「目標や夢が見い出せず、芸能界で生き残っていくことは不可能」として所属事務所から正式に引退が発表された。
4/6放送の『金スマ』で、霊能師の木村藤子が「自分に嘘をついてる。あなたは病気くらいで仕事をやめるような無責任な人じゃない。芸能界を引退しては駄目。今まで築き上げたものを全部捨ててしまうことになる。(引退を撤回して苦難を)乗り越えるべき。あなたは無言のうちに人に影響を与えられる人。今が人生最高の時期。(芸能活動を続行すれば)2、3年後に大きな出来事が起こりすべてが変わる。(引退すれば)数年後に後悔する姿が見える。誰か、(飯島の芸能界引退を)止めてあげて下さい。あなたはこんなに愛されている」とアドバイスした。このとき、もっと飯島にアドバイスをすべきかどうかを迷う木村氏に対し、無声のまま口の動きだけで「だめ…だめ…」と訴える飯島の表情がテレビに映った。
木村がその発言をしたその次回の収録が奇しくも最後の芸能活動となるため、本人も再度引退を再考したが、結局飯島が出した結論は、「芸能界引退」。芸能活動最終日となる2007年3月31日が、その「金スマ」最終収録日となった。
2007年4月24日放送の『ロンドンハーツ』の『格付けしあう女』たちでは、(エミー賞ノミネートで、海外で引き合いが出ている)格付けの著作権が誰にあるのか尋ねたり、(変装は)スッピンが一番……等、普段と変わらない発言の後に無事格付けを卒業。いつものように明るい笑顔でスタジオから去った。その後、「番組が続く限り応援していく」とコメントを残した。ちなみに、このときの収録でドイツのプロデューサが見学していた。これが飯島愛の最後のテレビ出演と思われていたが、5月22日放送の同番組内の記憶の壁(解答者は石田純一)にも出演した。
突然の悲報
この節には現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず、検証可能な事実を確認の上投稿してください。
2008年12月24日、都内マンションにて死亡しているのが発見された。
逸話
人気AV女優・後藤えり子にスカウトされてAV界に入った。
週刊誌が本人に許可をとらずに勝手にヌード写真を載せたとして争った事がある。
『元アダルトビデオ出演女優』の肩書き(も同然)でデビューしたにもかかわらず、バラエティー番組・コメンテーター・ドラマ女優・作家・ボランティア活動等をこなすマルチタレントとして老若男女から広く支持を得るという成功をおさめた稀有な例であり、巷間のAV女優の憧れの的となっている。
岡本太郎とバラエティ番組「鶴太郎のテレもんじゃ」で共演した際、岡本が飯島の胸元を覗き込んだが、このとき『きゃあ、助平ジジイ』と叫んだ。
かつて光GENJIの大沢樹生の熱狂的なファンで、「どうしても大沢君に会いたいから一緒について来て!」と母親に泣いて頼み、2人で実際に江東区の大沢の自宅を訪ねた事実を『ココリコミラクルタイプ』(フジテレビ)のスペシャルにゲスト出演した際に自ら発表した。
2002年、サッカーW杯日韓大会の韓国-イタリア戦などでの、「韓国チーム寄りの意図的な誤審では?」との疑惑(当時、ほぼ全てのマスメディアが意図的に無視していたも同然の状況であった)について、テレビ番組の『サンデージャポン』内で疑惑について言及しない番組進行に激怒し、「もうキムチは食べない」などと発言をした。
「私的(わたしてき)には」というフレーズで流行語大賞をとったことがある。
TVの前のキャラと違い、共演者・スタッフ達にはプレゼントを欠かさず贈り、営業に余念が無いと(あくまで)自ら告白している。
TVでは自由奔放で辛口発言や暴言が多いと思われがちだが、実際は非常に繊細で、辛口や暴言を吐いた相手に対し、気遣いとフォローを忘れない。また気が回りすぎて、つい虚勢を張ってしまうタイプであることを、前所属事務所の社長により告白されているが、真実は定かではない。
知識を要するクイズ番組は苦手だが、頭の回転は速く、運や駆け引きを要するゲーム番組には極めて強く優勝回数も多い。そのため、出演者がチームを組みリーダーが挑戦者を選抜する形式の番組ではリーダーが「使いどころ」の見極めを要求されることが多い。
かなりのガンダム好きであり、富野由悠季と何度か対談を行っている[5]。
父親は自民党後援会員を務めている。その縁で、都知事選で柿澤弘治を応援したことがある。
2006年、『ウチくる!?スペシャル』に江原啓之が出演した際に、「“とにかくかわいそうなくらい繊細過ぎる。外見の印象と全く違う人。オーラの色はきれいな紫の色を持ってるが微弱。他人を信じ過ぎて、疑う事を知らな過ぎたために、さんざん、裏切られた事がいっぱいある。他人からの愛を信じられない所がある。他人への施しは程々にして、自分の幸せを考えなさい。去年まで人間関係、ゴタゴタ、色々とあったが、全部、切り捨て、今年から気持ちを切り替えて、新しい方向へ行きなさい。今まで一度も甘えた事が無い。自分自身が甘えられる環境を作る事がこれからの課題。幸せはある”と守護霊からのメッセージがあった」と指摘された。
芸能人の昔を再現フィルムなどで見せるという特番では中学の写真一枚で終わった。
現在では自身の事をセレブニートと称している[6]。
ブログでデザイン事務所へアルバイトに出かけると言い、その頼りなさに多数の助言がコメント欄でなされた。真偽の程は彼女のそれへの回答がない為、明らかではない[7]。
主な出演番組
テレビ
未来MODEL(テレビ東京系、2005年終了)
スパスパ人間学!(TBS系、2005年終了)
スーパークイズスペシャル(日本テレビ系、1999年終了)
クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! 常連ゲスト解答者(日本テレビ系、1996年終了)
新装開店!SHOW by ショーバイ!!
新装開店!SHOW by ショーバイ2
マジカル頭脳パワー!! 常連ゲスト解答者(日本テレビ系、1999年終了)
ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!(テレビ朝日系、2000年終了)
クイズ赤恥青恥 準レギュラー解答者(1995年~2002年)(テレビ東京系)
ろみひー レギュラー(1999年4月~2003年3月)(中京テレビ製作)
あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW! ゲスト(2001年4月~2004年3月(中京テレビ製作)
所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝 準レギュラー(2004年~2005年)(テレビ東京系)
決定!これが日本のベスト 準レギュラー(初期~中期)(テレビ朝日系)
タモリのSUPERボキャブラ天国 準レギュラー審査員(フジテレビ系、フジテレビ721にて再放送中)
タモリの超ボキャブラ天国
黄金ボキャブラ天国
家族そろってボキャブラ天国
続ボキャブラ天国
ウチくる!?(フジテレビ系)
中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS系)
サンデージャポン(TBS系:2006年11月12日・12月3日は出演せず)
金のA様×銀のA様(日本テレビ系)
ロンドンハーツ(テレビ朝日系)
エンターテイメント·マザーズ TV(BS-i)
爆笑問題&日本国民のセンセイ教えて下さい!(テレビ朝日)
FNSソフト工場『嘉門達夫と飯島愛のみちのくお遍路いい人いい歌の旅』(仙台放送製作フジテレビ系、1999年12月15日放送)
ギルガメッシュないと (テレビ東京、1991年10月から1998年3月)
笑っていいとも!(フジテレビ)
ライオンのごきげんよう(フジテレビ)
徹子の部屋(テレビ朝日)
元祖!混浴露天風呂連続殺人(テレビ朝日)
映画
ぷるぷる 天使的休日-1993年
ヅラ刑事 - 2006年9月16日公開(ホステス役で友情出演)
バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 - 2007年2月10日公開(本人役カメオ出演)
CM
NTTパーソナル東海
まんがの森
ラジオ
飯島愛のラブマゲドン(TBSラジオ)1994年10月~1995年3月
飯島愛の@llnightnippon Sunday.com(ニッポン放送)2001年10月~2003年3月、24:30~25:30
インターネットテレビ
渋谷ではたらく社長の会食
連載
日経エンタテインメント対談連載「お友達になりたい!」(日経BP社)
POPTEEN連載「飯島 愛のLOVE&SEX ER恋愛緊急救命室」
書籍
「タイムトラベラーズ愛」の漫画原案
「どうせバカだと思ってんでしょ!!」
「プラトニック・セックス」(小学館、ISBN 4093792070、2000年10月)
「生病検査薬≒性病検査薬」(朝日新聞社、ISBN 4022578440、2003年6月)
ビデオ
音楽ビデオ:「ナイショDEアイアイ」
テレビTーバックビデオ
まんがの森CM
飯島愛とSEXY MATES
ME「バニーガール~東京ドドンパ娘」
VIP「愛が忙しい」
VIP「花嫁の下半身修行」
ME「狙われた女学生」
VIP「同級生は甘ずっぱく濡れて」
FOX「美乳ナース~暴淫棒食」
FOX「魅せてあげる」
音楽作品
シングル
ナイショ DE アイ!アイ!(1993年7月21日発売)
“愛”のクリスマス・メモリー(1993年11月21日発売)
あの娘はハデ好き(1994年2月2日発売)
まんがらりん(1994年5月1日発売)
Dear女子高生(1994年10月21日発売)作詞・飯島愛、水野有平 作曲・水野有平
アルバム
なんてったって飯島愛(1993年12月1日発売)