ようこそいらっしゃいました!
ここは、管理人・桔梗が日々の出来事や、興味のあることをめいっぱい語る(予定の)ブログです。
通りすがりの方も、お気軽にコメントしていってくださいね♪
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さて、今年最後の夜も更けてまいりました。
ツイッターの方では今夜もみんなでわいわいしていて、良いかんじにほっこりしております。
今年大きかったこと、はツイッターを始めたこと…という方が多いようです。
たしかに、おかげさまでライブ会場でお会いするだけでなく、オフ会にもちょくちょく参加して、たくさんの方と知り合えました。
出会いはどれも特別で、ほんの少しのひっかかりから言葉を交わした人たちと、これからずっと仲良くしていけるのだろうと思うととても不思議な気がします。
この出会いが、ご縁が、長く続きますように。努力します。
そしてまだお会いしたことがない方々にも、近くお会いできますように。
顔も知らない人たちと、「おはよう」「いってきます」「いってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」「おやすみ」と挨拶を交わす。
ツイッターで出会う人たちに多大な安心感を抱くのは、きっとそういう積み重ねだろうと思います。
家族でもなければ、いってらっしゃい、おかえり、おやすみ、なんていうお互いに言わないような言葉を、ごく自然に交わせるのは素敵なことだなあと。
ひとりで考え込んでしまうとき、ふと文字にしてみたら、誰かが見ていてくれて、思いもかけない言葉をかけてくれたりする。
ほんのすこしの、心嬉しいことをほろりと書いてみたら、誰と言わず一緒に喜んでくれる人がいたりする。
面と向かって、口に出して言うには大げさすぎるかもしれない、と言わずに済ませていた出来事が、あたたかな景色が、誰かの目に留まる。
気軽で、けれど想像以上にウェットなツールだなあ、と今になっては思います。
と、同時に、顔を合わせず言葉だけで人を見る/見られるというのも不思議なことだと。
ツイッターに限らずだろう、と言われそうなものですが、『独り言』のようなささいな言葉であっても、誰かが見ている場というのはなかなかに新しいなと。
気軽に呟けるからこそ、本心が零れる場でもあるなあと思います。
自分に関して言えば、日々の考えを文字にできるほどに、けれど硬すぎて形を変えてしまうこともなくまとめること、それにリアクションをされること、がとても新鮮でした。
思う以上に、なにげない言葉からいろいろと受け取ってもらえるのだな、とか。
そのリアクションが積み重なって、自分という人がなんだか興味深く思えたりもしました。
それから、こんな気軽な場でも、たくさん気を遣う人は多いのだな、と思い知ったりだとか。
私は裏も表も無いもので、どこにいようが見たままなのですが、思うよりずっとずっと、多くの人が相手のリアクションをとても気にして日々を過ごしているのだと。
そうして多くの人が、お互いに傷つけないように、傷つかないように、たくさんの緩衝材を挟むようにして毎日を過ごしているのだと思うと、なんだか愛おしいものだなと。
自分は優しくない、という言葉をわりとよく見かけるような気がします。
私は、お互いに傷つけあわないように気を遣うことも、正直に誠実にあるために厳しい言葉を使うのも、優しくないとは思いません。
まあ、優しい人の定義なんてなんでもいいのです。優しくなくたっていい。
8割キライになったって、1割でも好きなところがあればそれでいいだろう、と思う派です。
それを信じられないとか、確かめたいとかいう人が多いのかな。
あれ、何の話だっけ…
えっと、つまり、なんだかんだ言いながらも、お互いに少しずつ許しあって、傷ついてもあなたならかまわないのだ、と手を伸ばすかたちは、意外ととても身近に、どこにでもあるのだなと思いました、です。ハイ。
あいかわらずの構成を考えないノリを今年最後にも晒しておりますが。
ええと、こんな風に、多くの人が心の切れ端を言葉にする場所に触れられた、のがとても新しい一年でした。
もうしばらく、できれば長く、ツイッターというツールがあり続けてくれればいいなと思います。
そんなわけで、ここで言うのもなんですが、
みなさま本年もたいへんお世話になりました。
来年も明るく楽しく元気良く、素敵な一年になりますように!
以上ッ!
ブレイク・エドワーズ監督が亡くなった。
そんなにたくさん、作品を見ていたわけではない。
でも、『ティファニーで朝食を』よりもっと、『ビクター/ビクトリア』が大好き。
ツイッターで呟いてた人がいたのだけれど、
『映画は豪華絢爛、粋で笑えて、品がある』
その通りだと思う。
あんなに素敵な映画に出会えてよかった。
映画としてもとびきり素敵だけれど、あの映画でハリウッドきってのベストカップルの姿も見せてもらった。
DVD特典のふたりきりの音声解説の、なんて楽しそうなことだろう!
お互いに尊敬し合って、その才能に惚れこんで、ふたりでいることが幸せそうだった。
息子が出てるシーンでふたりそろって大笑いしながら盛大に親バカっぷりを発揮したりして。
You & Me を歌う、トディとヴィクトリアみたいだと思った。
こどもみたいに無邪気に笑い合って、ずっと一緒だと手を繋いで。
見ているほうがしあわせになるような。
And come what may, you and me
We'll stay together year after year
Won't we, my dear
"You and Me" - from Victor/Victoria
そしてなにより、Crazy Worldのシーン。
YouTubeのコメントにもあったけれど、どれほどエドワーズ監督がジュリーを愛していたかが見えるよう。
このシーンは妻へのラブレターだ、とも言われていた。
あたたかく、溢れるほどの愛情に満ちた視線。
ジュリーがどんなに素敵に見えているか。どれほど信頼を、尊敬を、愛情を交し合っているか。
監督と女優のカップルという形の、幸せな結末を見せてもらった。
いつまでもいつまでも、手触りさえありそうなほど確かに残り続ける、彼の視線。
http://www.youtube.com/watch?v=6-kKDaFXR9I
エドワーズ監督は、ジュリーに看取られて逝ったと聞く。
最後まで、ほんとうに最期まで一緒だったのだ。
今頃は、マンシーニと再会して楽しくやっているかもしれない。
ジュリー・アンドリュース、また良い映画に出てね。
ツイッターで書いて知らない人に絡まれるのがイヤなのでw、
あといつもながら、まとまってない本当につらつらとした文章なのでこちらに。
稲葉ソロツアー、en2に行って来ました。
ツアー前半の大阪城ホールと、後半の神戸ワールド記念ホール(追加日)。
そのうち映像化されると思うのでレポとかは特にしませんが、思ったことを書いておこうと思います。
まず、最初の丸い可動式のトラス組んだスクリーンのセット。
会場入ってあちこち見回していたらプロジェクタ的なものがあったので、
スクリーンになるんだなとはすぐわかったのですが、カッコよかったですねー!
始まって絵の具みたいなのが広がる映像が映されたとき
「あ、たまごだ…」
と思いました。その画が後ろからライトを当てた孵化前のたまごみたいに見えたので。
血管が走っていて、脈打っているものが見えるたまご。理科とかで見るやつですw
だから、私の中では今回のen2は
「たまごの中に招かれたんだな」
というのが全体としての感想です。
B'zのライブは『交歓』というかんじなのですが、今回は本当に内側に招き入れられた感がありました。
たまごから生まれた、というよりかは本当に殻の内側をご丁寧に案内してもらったかんじ。
自分の内側も投影するタイプの人(ファンの人は概ねそうでしょうが)はいろいろ感じるところ大きかったでしょうね。
が、まあ私はそこまで彼の精神世界に思い入れがあるわけじゃないので。
歌が好きで行ったんですよもちろん。歌詞も含む歌ですが、文章としてはそんなに興味ないので。
稲葉さんに限らず、ね!メロディありきなタイプです。
なので、ただただ楽しんできました。素敵なライブでした!
このライブの白眉は『透明人間』だというのが大方の意見だと思うのですが、
「こわかった」という感想を多々聞く気がします。
そして思い返してみたところ、私は特にこわくはなかったなと思い至りました。
それはたぶん「たまごの内側だ」という意識がOPで植えつけられたからだと思うんですけど。
そもそも稲葉さんがあの歌詞世界のままだというわけじゃなしというところはまず置いておいて。
歌という表現で、あの凝りに凝った演出で、本当に鬼気迫るようで見入ってしまいました。
あれが「外側」に出てきたらそれは、あの曲が簡単に連想させるように犯罪とかを思わせて、被害とかいう意味では怖いんですけど。
でもアレを見て怖い、と言うのは「犯罪者は異質だから怖い」と言うように聞こえて妙な違和感を持ちます。
なんて言うんでしょうね、稲葉さんの表現の根底にある「寂しい」という感情を、
いっぱいいっぱいに振り切ってわかりやすい形にした曲のような気がするのです。
あの前回ソロのときの音楽と人のインタビューで言われてたみたいな
「孤独感」「喪失感」
ですか。かっこよく言うと。
「寂しいから、どこにも行かないでずっと傍にいて、傍にいさせて」
となると恋愛の歌になるだろうし。極論ぽいですが。
だから怖いと言うなら、誰でも持ってる感情があそこまで行き着いてしまう可能性を思えば怖いですが。
でも誰でも持っているからこそ、みんなあの曲を絶賛するんじゃないかな。
ポケットのナイフを冷たいと感じるうちは、まだこの手は温かいのだと。
そんな確かめ方に、誰もが思い当たるんじゃないかと思ってしまったのです。
だからえーと何が言いたいんだっけ。
あれを見て感じたのは、異質なものだから怖い、よりもとてもとても強い「寂しい」でした、と。
寂しい。
誰からも見えないのも寂しいけど、後ろのスクリーンを流れていく人たちに顔がないのも寂しい。
見えていないのが寂しい。
でもあの「椅子」良かったですねー。おもしろい演出だったー。
マリオネットのようでした。ぎくしゃくして。
あとそう、小野塚さんが素敵すぎてド頭から腰砕けるところでした(真顔)
あの人も『陽』なのかな、と思わせるところが節々にありました。
「遠くまで」なんて、冒頭のピアノのおかげでずいぶん光差すような印象を持ちましたもの。
と、同時に松本さんの『陽』のパワーは本当に圧倒的というか、絶対(的)なんだな、とも。笑
そして正面衝突の楽しさが異常だった。笑
と、書きたいことだけ書いて唐突に終了しまーす。
また気が向いたら書きに来ますよっ。
というわけでびずさんハピバ更新です。
en2大阪にも行き、ブルーノート追加公演にも行ったんですがレポもなく笑
まあひとこと言っておくとブルーノートでは思わず泣きました。
日に日に松本さんがだいすきになってるなあと思います。
そんな本日は22年前にB'zがデビューした日!
ご本人方は気にしてないかもしれませんが、ファンはやっぱり大盛り上がりです。
節目の年じゃなくても、こうして重ねていく年月が22年になったのだなあと思うと、やっぱりお祝いしたいですね。
今はソロ活動中だけど、本体に対して不安にすらならない。
ソロもめいっぱい楽しんだあと、もっと楽しいことをしてくれると思って期待してます。
23年目も一緒に、走り続けたい。
で、22年前といえば私はちょうど生まれた年なのですが。
ソースがどこだったか失念したのですが、デビューしてそれほど経ってない頃の稲葉さんの発言。
「壁を作っちゃうんです。どうしても、人と付き合うときに。でも、松本さんは…向こうから、越えてきてくれたから。」
稲葉さんは出会いはどれだって特別だと歌うけれど、こんな幸せな出会いはそうそう訪れるものじゃない、と思います。
人と付き合うときに壁を作っちゃう人も、それを乗り越えられる人も、たくさんいるだろうとは思う。
でも、いろんな条件が重なってアレンジメントされた出会いで、
奇跡のような確率で(これもデビュー当時のラジオで言ってましたね)出会った人が、
じゃあちょっとやってみよう、ぐらいで始まった付き合いが、
『最高のときも 泥沼のときも 笑って肩を叩ける相手』("BIG MACHINE")になる確立はどれぐらいでしょう。
それが、20年以上続いて、これからも続いていく確立はどれほどなのでしょう。
同性であれ、異性であれ、それがどんな関係であっても、
ふたりの別個の人間を、自ら『陰と陽のようだ』と言ってしまえるような出会いが、それほどたくさんあるとは思えないのです。
自分でもわかっているほどの壁を、
おそらくそれまでは、誰に対しても何度も会ううちに少しずつ用心深く崩していった壁を、
越えよう、という明確な意志をもって越えて隣に来てくれた人が、
ずっと隣にいて、笑って手を引いてくれるなんて、それは望外の幸せだろうと思うのです。
そして同じだけの信頼を返されることも。
正直言うと、羨ましいぞ、イナバコーシ。笑
もちろん、それだけの労力を以って越えた壁の向こうに、とんでもないめっけものを見つけた松本さんも、羨ましいんですけどね。笑
そんなわけで、まあつまり、ラッキーな出会いに感謝!ってことです!
これからも、他の誰にも真似できない、同じ夢を追い続けてください。
眩しさに目を細めたり、癒されたり元気付けられたりしながら、ずっと追いかけていきたいと思います。
HAPPY HAPPY BIRTHDAY! & many many HAPPY RETURNS to B'z!!!
2010.9.21