クララの思うところ

ブログタイトル変えました。
旧タイトル「30女の思うところ」

元ニート、社会不適応者なクララが、

スピリチュアル、AC、発達障害などについて書いてます。
自分大嫌いだった私が、少しずつ自分らしく生きる記録。

※ペタ、いいね、は基本しません。


テーマ:

前回の記事に付随して気が付いたこと。

 

他人からの見張りに脅えるということは、イコール

 

「そのままの自分では、決して受け入れてもらえない」

 

と思っていることになるなと思った。

 

 

私がもし、完全防音の最新鋭セキュリティ搭載で、絶対に誰も入ってくることも中を見ることもできない空間でしかくつろげないとしたら、

それはちょっと健全な精神ではないなと思った。

 

普通は、隣から生活音がしようか、

なんなら人前であろうが、もっとリラックスできるのではないだろうか?

 

私は母親からのダメ出しに脅えている。

多分、小さい頃にお店で騒いで怒られたとか発端はそんな些細なことかもしれない。

 

「ぼーっとしたありのままの自分」では受け入れてもらないないから

「緊張したきちんとした自分」を見せないといけない。

 

どうもそう思い込んでいるようだ。

「そのままの自分を受け入れて欲しい」なんて、書き出してみると痛すぎて恥ずかしすぎる。

けど、私はどうやら「そのままの自分を受け入れて欲しかった」らしい。

 

母からもらった愛は

 

「そのままのクララでいいよ。 でも、○○ができるともっといいな」

「そのままのクララでいいよ。 ただし、××には気を付けてね」

 

って愛情だった気がする。

母がクララがいつか最低限のことをちゃんとできる子になると信じていたように、

クララもまた母がいう最低限のことをできる人間になりたかった。

そしたらいつか母と笑って話せる日がくると、それだけを希望にしていた。

 

……けど、なれなかった。

 

そもそも「ありのままの自分」ってなんだろうと思う。

 

朝起きれない

部屋を片付けられない

間食ばかりする

ネットとゲーム依存

ブログに毒吐きまくり

仕事ができない

そもそも働いてない

 

 

そんな私を他人に受け入れて欲しいというのは確かに傲慢だと思う。

 

(私の場合基本スペックがそもそも低いというのが、どうしてもハードルになる)

 

でも、自分は受け入れてもいいのではないかと思う。

 

「私は、ありのままの自分を受け入れます」

 

そんなアフォメーションを唱えてみようかと思う。

 

 

 

 


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気が付いたことの記録。

 

私には「見張られているのが怖い」と思うトラウマがあるようだ。

 

実は、クララのアパートの隣の部屋はしばらく空き家だったのだが、最近誰か引っ越してきた、どうやら男性らしいという以外情報はない。

 

なにぶん、家賃の安いぼろアパートなので、けっこう音が響く。

その生活音からして、隣の男性が、なぜか24時間ずっと家にいるようなのである。

平日、休日おかまいなくである。

たまに出かけるようだが、1、2時間で帰ってくる。

 

ということは、つまりクララの生活音も隣に筒抜けということ。

 

多分お互い思っているはずである。

 

「隣の人、なんで平日の昼間なのに家にいるの? キモチワルっ!叫び

 

隣の人が引っ越してきてから、クララの心休まる場所がなくなった。

テレビの音は小さく、

タンスはそっと開け、(開けたものの、音がするのが怖くて閉められなくなることもしばしば)

そっと移動する。

 

逆に隣の音(足音とか、扉を開ける音とか)がすると「ビクッビックリマークビックリマークガーン

となる生活を送っている。

 

 

さらに加えてもう一つ、

会社の産業医から生活の記録表を付けるように指示された。

 

これはうつ病等で休職している人がよくつけていることは知っていた。

何時に起床して、なんじに食事をして、どこに出かけて……ということを記録することで生活のリズムが整ってきているかなどを把握するのだ。

が、正直クララはつけたくない。

 

産業医からは「そんなに難しく考えることはないですよ。一日の終わりにちょっとつけるだけでいいんですから」と言われた。

 

小さな記録でも、毎日つけなくてはいけないというのは、クララの特性からして相当ハードルが高い。

だが、本当の問題はそこではなく、

自分が何時に起きて、何時に食べて、どこへ行ったか……それを24時間記録して誰かに開示しなくてはならないと事実が恐怖で絶望的な気分になった。

 

毎日を好きなように生きるのと、

毎日を好きなように生きていい、ただし、記録して開示すること。

では、まったく違う生活になると思う。

 

この心理を利用したのがレコーディングダイエットだろう。

家計簿をつけると無駄遣いしなくなるというのも同様。

 

その「監視」を生活すべてに置いてつけられている感覚がして。

重い気持ちで、会社の面談から帰ってきた。

鎖でつながれた気分だった。

 

もちろん、私の休職中も他の社員は働いているわけで、私も休職している以上、早く復帰するために最大限努力せねばならず、生活を記録するくらいのことを拒否できる立場でないことは重々わかっている。

 

それでも、なんだかものすごく気分が重くて、

隣の音に脅えながら、部屋で1人考えていたら、ふと気が付いた。

 

私は

「見張られている」ことにトラウマがあるらしい、と。

 

他人の目を異常に意識してしまう。

 

よく

「あなたが思うほど、みんなあなたを見てない」と言うが、

私に言わせれば、

「かといって、まったく見てないわけでもない」

 

目立たない行動をしていればとくにみられることもないかもしれないが、

おかしな行動をすれば間違いなくみられる。

だからおかしな行動はしないようにする。

 

発達障害の特性なのか、他人の顔や名前や服装を覚えられない私に言わせると、

「他人はけっこう見ている!」

会社の噂話を聞いていると、あの人は服が〇種類しかないの、鞄を変えたの、「よく見てるな~!」と感心するし、少し恐ろしくなる。

 

私にとって他人の目とは「私がおかしな行動をしないか見張る目」なのである。

 

元をたどれば、多分母親に行きつく。

 

母親の監視が、他の母親と比べて常軌を逸していたかは定かではないが、

母親の目線が私には辛かったらしい。

 

常に見張っておいて、悪い所があれば指摘し、

いいところがあれば、それも指摘し、さらに上の課題を課す。

 

そんな風に思っていたらしい。

 

前回のレイさんのヒーリングで、改めて「人生の中で印象に残っていることはなんですか?」と聞かれて、

浮かんだエピソードをいくつか話した中に、人生で一度だけ家出をした話があった。

 

大学生の頃、私は朝が苦手で、大学生は朝から授業がない日もあるし、あってもある程度ならサボっても単位は取れたので、いつも昼過ぎまで寝ていた。

 

正確には、家族みんなが起きる時間に起きることができず、

毎朝、起きるタイミングを逃し、

「娘の望ましくない行動に怒り心頭」の母親に脅えるあまり部屋からでてこれなくなる日が多かった。

 

母親の中では、「朝は全員そろって朝食を取り(理想としては朝食前にランニングなど一仕事はさむともっとよい)気持ちよく一日を始めるべきであり、1人だけダラダラ寝ているのはみっともなくありえない」

らしかった。

 

私も起きられればよかったのだが、なぜか起きることができなかった。

なので、母親が毎日不機嫌で、父親に

「自分が言っても聞かないから、お父さんから叱ってくれ」と頼んだところ、父は私を擁護したらしく、

両親の仲が険悪になり、プチ家庭内別居状態になってしまった。

 

すべての原因が私にあり、

私さえいなければこの家庭は幸せであると思った私は家を出た。

 

……お金がなくて、すぐに戻ったけど(ふがいない)

 

このエピソードからなにがわかるかと言うと、

 

私は小さい頃から生活態度がだらしなかったということ。

そんな私を母が許せなかったということ。

 

私がいろんな人に「頑張っている」と言われても、信じきれないのもこの辺に原因があるのかもしれない。

そもそも朝も起きれないような人間のどこが「頑張っている」のか理解できない。

 

だから生活時間を記録して開示しろなんて言われた日には、

「ちゃんとした生活でないと、怒られるショボーン」と脅えてしまうのだ。

隣の音に脅えるのは、母親の生活音に脅えていた名残だろう。

(母親がいなくなった途端、体が軽くなって部屋から出てくるので、それを「感じが悪いムキー」とさらに怒られていた)

 

いつも緊張していると感じる理由もここら辺にあるのかもしれない。

 

思えば、

私は心の底から、「安心できる」と思えたことがあまりないのかもしれない。

そして「自由」も、レイさんのヒーリングのテーマに出てくることがあるのだが、クララは自由がよくわからない。

「でも結局制限された自由で、おかしな行動をしたらすぐに剥奪されるんでしょ?」と思っている。

学校の「自由時間」や「自由研究」なんて実際にはちっとも自由じゃない。

自由とは息をするように空気が読める人間にだけ与えられるものだと思っている。

 

 

「誰にも干渉されない」

「誰にも怒られない」

「誰も見てない」

 

時間と空間が欲しいなと、ふと思った。

 

それにしても、私は独身の1人暮らしで、

結婚している人やましてや子供がいる人は『1人の時間』なんてない人も多く、

(クララの両親も1人の時間がほとんどない人生だった)

辛くないのかなと思う。

乳児を抱えた奥さんが旦那さんがいる時間に「自販機に行ってくる」といってほんの数分の『1人の時間』を味わう、ってエピソードがネットに上がっていたけど、「辛そうだな」と思った。

つくづく、結婚無理だな~と思うクララなのである。

 

 

 

 


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努力教とは努力を善とする宗教でる。(あくまでもクララの妄想)

その教義の一つに、「努力している人に悪い人はいない」がある。

 

日本人の大好きな「休んでない自慢」「寝てない自慢」も

「私は努力をしていますよ、だから悪い人じゃありません、信頼していいですよ」

というメッセージだと思う。

 

毎朝、新聞配達をしている少年と聞いただけで、「心がキレイに違いない」と誰でも思うし、

毎日、遅くまで部活動(運動部限定)に取り組んでいる学生に悪い子はいないとおもいがちである。

 

逆に家に引きこもってゲームばかりしている少年と聞いて心が汚いとまでは思わなくても、あまいいい印象は受けないだろう。

 

よく考えたらなんでなんだろうね。

この「努力している人に悪い人はいない」は裏を返せば「努力してない人は悪い人」になり、生活保護バッシングなんかにつながっていると思う。

 

不思議なことに努力教の教えは、学生と社会人で少し違う。

 

学生時代は、「努力すること」に重きを置かれる。

だから、たとえ100位中87位でも、「めちゃくちゃ努力していれば」賞賛される。

例えば、足をけがしているのに我慢して完走した結果87位だったとすれば、多分めちゃくちゃ褒められる。

 

≪学生時代の評価基準≫

努力して1位・・・・評価される

努力せずに1位・・・・評価される

努力して87位・・・・評価される

努力せずに87位・・・・評価されない

 

 

これが社会人になるとこうなる

 

 

≪社会人の評価基準≫

努力して1位・・・評価される

努力せずに1位・・・・評価される

努力して87位・・・評価されない

努力せずに87位・・・論外

 

社会人になると努力教は急に「努力」よりも「功績」に評価を置くようになると思う。

これがあまりにも急だから面くらう。

ものすごくがんばった87位よりも、そこそこがんばった50位の方が重宝されるのが社会人からの時代である。

  

社会人になると本人がものすごくがんばって87位でも、企業は雇用したくないし、従業員側も一緒に働きたくないのが本音だと思う。

数か月単位で職を転々としていたり、働いてない期間が長かったりした人の履歴書を見て、「採用したい」とは思ってもらえない。

たとえその人にとって、それが精一杯の職歴であったとしても。

 

「どっかいい職場が見つかるといいね。(うち以外で)」

 

と思われるのが関の山である。

 

 

どうにか就職できたとしても、87位の人間は、他の社員のサポートを受けながらの仕事になるため、企業からすればぶっちゃけコストだし、従業員からは不満しか出ない。

クララの会社でも昼休みで一番盛り上がる話題は、「できない社員の悪口」である。

できない社員にどれだけ迷惑をかけられて大変だったか、反省する態度がなってないのという話題は尽きない。クララもいないところではどんな風に言われているかと思うと、とても怖かった。(そして休職した)

 

じゃあ、ものすごくがんばっても87位の人間はどうしたらいいのかという問題の答えはまったく出てないし、誰かが着手した形跡もない。

 

87位なんだから非正規雇用で年収200万以下で我慢しなさい。

 

少なくとも経済活動という視点だけで観ればいない方がいい人間はいくらでもいて、経済活動に貢献している人に生きやすい社会であるべきだというのもわからなくはない。

 

わかるけど、やっぱりしんどい。

 

おかしな話だ、学生時代までは順位は関係ないとか、人それぞれ特性があるとか、(ものすごく上っ面ではあるけど)教育されてきたはずなのに。

まれにではあるが、努力して87位になった学生が、その後も努力を続けて50位以上になることがある。

努力して87位の場合は、そのルートに乗る可能性があるから評価されるとも言える。

 

 

ネット上でも弱者は自己責任だから切り捨てるべき、とまでは言わなくても(言ってる人もいる)、「普通の人間」に迷惑をかけている自覚をもって最大限の努力をするべき、という意見と、

弱者であっても、無理なく生活できるようにするのが社会であるべきだという意見と

真っ向から分かれている。

 

弱者は努力すべきだと言う人に言いたいのは、

多分そういう方はすごく仕事ができる人だと思う、

だったら自分1人でやった方が早いのに、できない人がいるせいで何倍も時間がかかり、

 

「頼むから給料だけもらって家で寝ていてくれ」

 

と思ったことがあるはずである。

 

私はそういう人間は、本当に給料だけもらって無理に仕事はしないのが、仕事ができる方々の邪魔にならず、結果的に日本経済に貢献することだと思うのだがどうだろう。

 

いや、そもそも、弱者を一掃してしまえばいいじゃないかという極論に走りたい気持ちもわからなくはないが、誰でも年を取るし、怪我や病気になって働けなくなることもある、

働いてない生活保護受給者には強制労働させろとかいう方々も、自分の子供が障害を持って生まれてきたら、強制労働なんてかわいそうとおもうはずだ。

(そもそも、強制労働させるだけの環境を整えるのにものすごくお金かかると思う)

 

弱者が無理せずに暮らしていける社会の方が、仕事ができる方々も安心できると思うのであるが。

 

まあ、仕事ができないオバハンの戯言にすぎない。

 


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すごい記事見つけた。

 

「生きているだけですばらしいが弱者を殺す」

 

私が言いたいことを完全とは言わないまでも代弁してくれています。

 

このくだりなんかまさにそう……

 

 

>>世間にはこんな口当たりのいい言葉があふれている。

 

「子どもは親を選んで生まれてくる」 「親には親なりの事情があったんだから許してあげなよ」 「神は乗り越えられる試練しか与えない」 「障害は個性にすぎない」 「○○障害児は天使・天才」 「生きてるだけですばらしい」 「生きていたらきっといいことがある」 「本気で祈れば叶う」……

 

こういった言葉を口に出すのは簡単だし、こういうことだけ考えていられればきっと人生はずっと快適なのだろうと思う。私だってそう思えるもんなら思いたいぐらいだ。

でも、上記のことがすべての人にとって本当だったら、自殺者なんてこの世にいないんじゃないだろうか。 意に反して理不尽にもままならない人生に投げ込まれてしまった弱者が苦しんでいるところに、第三者が上記のような、聞こえがいいだけで手垢のついた言葉を押しつけたところで、彼らはいっそう孤立感を強めて思いつめるだけだ。

 

 

しかしこの作者も「ではどうしたらいいのか」についての結論はいまいち弱いよう。

 

 

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レイさんのヒーリングでした。

 

最近また言われた「生きているだけですばらしい」の話をした。

 

私は「生きているだけですばらしい」は参加賞を無理やり褒める言葉だと思っている。

マラソン大会で1位でも87位でも頑張って走った事実は間違いない。

けど、87位ではクラスの足を引っ張っていることも事実。

 

1位の人間が「私って足が遅い……」って悩んでいたら「はあ、あなた1位じゃない、何言ってるの!」

って言うけど、

87位の人間が「私って足が遅い……」って悩んでいたら「参加することに意義があるんだよ」って言うだろう。でもマラソンが87位でも、勉強ができたり絵がうまかったりしたら「あなたマラソンは苦手かもしれないけど〇〇は得意じゃない」って慰め方をするかもしれない。

でも、私にはほかに得意なものがあるでもないから「参加することに意義がある」と言うしかなく、

それが「生きているだけで素晴らしいんだよ」って言われる理由だと思っていた。

 

つまり、私が無能だからこそ「生きているだけで素晴らしいんだよ」ってみんなから言われるんだと思っている。

無能でなかったら言われていないと思っている。

 

そうレイさんに言ったら

 

「それは考えがゆがんでますね」

 

と言われた。

でもレイさんでも、「どうゆがんでいるのか」は説明できないようだ。

 

クララ「まるで自分が新興宗教にハマっている人みたいです。みんなからそれはオカシイと言われるけど、どうオカシイかは誰も教えてくれない。

例えば、本当に新興宗教にハマっているなら、教祖がお布施を贅沢に使っているとか証拠を見せられて洗脳が解けると思うんですが、私の場合、証拠がみつからないから抜けられないままです」

 

レイさん「どんな宗教だと思います?」

 

クララ「うーん、多分、日本で最もメジャーな宗教じゃないでしょうか『努力教』

 

『努力教』・・・それは努力することを教義とする宗教であり。努力したものが称えられ、努力しないものは容赦なく断罪される宗教である。日本人のほとんどが入信している(あくまでもクララの持論)

 

レイさん「為末さんって知ってます? オリンピックに出た人なんですが、努力すれば成功するって努力教を真っ向から否定する本だしてましたよ」

 

クララ「でもその方は、オリンピックに出ているんですよね。だから多分努力しているって自覚がないだけでトレーニングはしているんですよね。努力教ではそれは努力したとみなされますよね」

 

努力家には2種類ある。

努力すると決めて努力するタイプと、無意識に努力するタイプ。

努力してオリンピックに出ると決め、毎日ストイックに練習した結果オリンピックに出た人と、

ただ走るのが好きで、毎日走っていた結果、オリンピックに出た人

 

でも、それは努力教では等しく「努力した人」とみなされ称えられる。

どちらでも、等しく成果を上げているからである。

 

だがクララはそのどちらでもない。

成果を上げていないグループである。

 

生きているだけで精一杯で、毎日ダラダラして生きている人と

本当はもっと頑張れるのに、毎日ダラダラして生きている人

 

それは努力教では等しく「怠け者」として断罪される。

前者はなんらかの病名や障害名がつけばこの限りではないが、クララにはない。

ただの「怠け者」として努力教信者からは、容赦なく責められる。

 

レイさん「クララさんは努力教信者なんですか?」

 

クララ「あーどうだろう……、頭では努力教をくだらないと思っているんですが。まあ、両親がそういう人でしたからね。苦手なことがある=努力してないっていう。足が遅いのは、走る練習をしていないからで、勉強ができないのは勉強が足りないからで……」

 

レイさん「クララさんの両親そーーーーとーーーーですもんね!」

レイさんのクララの両親に対する評価はなかなか厳しい。

 

クララ「私にはいまだによくわからないんですよ。人一倍自己犠牲の強い両親だったし」

 

レイさん「エネルギー的には全然違いますよ。子供のためとかいいながら、自分のことしか考えてないやん!みたいな」

 

クララ「そうなんですね」

 

レイさん「まあいいや、努力教を完全に抜けていれば誰からなにを言われても気にならなくなるはずなんですが、気になるってことは抜けてないんじゃないですか?」

 

クララ「うーん……あ、わかった。私は努力教には懐疑的ですけど、自分以外の人間はみんな入信していると思っているからですね。だから私が生きているだけで精一杯だったなんて理解されない。努力しない怠け者って思われると脅えているんですね」

 

レイさん「それは本当に抜け切れていないんですよ。本当に抜けていれば、努力教に染まっていない人達が集まってきますよ」

 

クララ「そうなのかな……」

 

ヒーリングに入り、

 

レイさん「体に触れていると、エネルギー的には存在する意味はけっこうありそうですけどね」

 

と言ってくれた。

涙が出た。

 

 

 


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