『ウンジュよ』作者・宮里政充先生と語り手・大場久美子さんの対談です。有賀久美子(記者) | 大場久美子朗読【ウンジュよ】 公演実行委員会 blog

『ウンジュよ』作者・宮里政充先生と語り手・大場久美子さんの対談です。有賀久美子(記者)

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宮里政充先生・大場久美子さん 対談
         ☆記者・有賀久美子(実施日:H22.7.2)

$大場久美子朗読【ウンジュよ】 公演実行委員会 blog-対談2


【作品を書くきっかけは?】
大場:本日はお忙しい中、ありがとうございます。よろしくお
    願いします。

宮里:こちらこそよろしくお願いします。

大場:さっそくですが、先生が『ウンジュよ』をお書きになった
    きっかけを教えてください。

宮里:基本的には、ぼくが沖縄出身で、ぼくなりの戦争体験
    があったということがベースになっていると思います。
    それと、沖縄戦に関するいくつかの記録などの書物
    に触発されたこともありますが、より直接的なきっか
    けは、ある書物の中に、カミソリで首を切った女性の
    後ろ姿の写真を見たことです。

大場:カミソリで……。

宮里:ええ。「集団自決」の時にね。ショックでした。

大場:生々しいですね。

宮里:だから、ぼくはまず、体にも心にも傷を負いながら生き
    ているある女性のですね、数十年にわたる苦しみとい
    うものに心を奪われたのです。そして、彼女と同じよ
    うな苦しみを背負って生きている人たちが大勢いる、
    ということに思い至りました。これは書かなくちゃいけ
    ないなと、その時思いましたね。彼女の苦しみを描き
    切ることで戦争というものの理不尽さを訴えたいと。

大場:わかります。何度も何度も読み返してみて、この作品
    に込めた先生の思いがよく伝わってきます。

宮里:それはうれしいですね。

大場:私、この作品に初めて触れた時、これはノンフィクショ
    ンなのかな、と思ったのですが、先生の今のお話をう
    かがうと……。

宮里:ええ、これはフィクションです。もっと正確に言えば、事
    実に基づいたフィクション。米軍の作戦行動とその日
    時や「集団自決」の現場はできる限り記録に沿うよう
    に心がけました。しかし、母親や少年などの登場人物
    はフィクションです。たとえば、少年はぼくの息子のイ
    メージ。

大場:そうなんですか。

宮里:母親が米軍の仮設病院で意識を取り戻して、最初に
    眺めた合歓(ねむ)の木ね。

大場:ええ。合歓の大木。

宮里:あれはぼくの小学校の校庭。あ、それから、親子で北
    山(にしやま)へ向かう時、少年が右手に鍋を持って
    いますが、あれは山を逃げ回った時のぼく自身。照明
    弾に照らされて木陰に身を潜めているのもぼく自身。

大場:なるほど。そうしますと、先生が生まれ育ったの
    は……。

宮里:沖縄本島北部の今帰仁村(なきじんそん)の、越地(こ
    えち)という小さな村です。東シナ海に面しています。
    本島北部の場合、米軍の爆撃や日本軍との地上戦
    は南部ほどひどくはなかったと思います。

大場:でも、必死に山の中を逃げ回った。

宮里:ええ。

大場:沖縄戦がおいくつの時ですか。

宮里:5歳です。

大場:小さな子供ながらに何か残っているものってあります
    か。戦争の体験を通して。

宮里:うーん。それはやっぱり原体験として今でも引きずって
    いるということかなあ。山の中を逃げ回ったり、洞穴で
    ガイコツと一緒に暮らしたりしたことが、ぼくのものの
    見方や考え方に少なからず影響していると思います。

大場:わぁ、ガイコツと一緒に暮らしたんですか。

宮里:ええ。ぼくたち家族が隠れていた洞穴には白骨化した
    遺体が、多分、3体はありました。その遺体はおそらく
    昔の風葬の名残であったと思います。ただ、あれは島
    津軍の戦死者だという言い伝えも村に残っています。

大場:島津軍、ですか。

宮里:ええ。1609年に島津軍は軍隊を持たない沖縄に、軍3
    000人で押し寄せてきたんです。琉球王朝は手もなく
    やっつけられて、以後、島津の支配下に入り、琉球王
    朝は経済的に苦しい状況に置かれることになります。
    でも、今日はそういう歴史の話がメインではないから、
    これ以上の話はやめておきましょう。

大場:では、またの機会ということで。

宮里:そうですね。島津の侵攻、廃藩置県、第二次大戦、祖
    国復帰などは現在につながる沖縄の歴史にとって重
    要なポイントですから、いずれお話したいですね。


【書いた時期は?】
大場:『ウンジュよ』の背景には、先生の原体験としての戦
    争体験がある、ということはよくわかりました。ところ
    で、この作品はいつごろ書かれたものですか。

宮里:実はこの対談のために、調べなおしてみました。現在
    の形の『ウンジュよ』は2001年に書いて、2002年発行
    の文芸雑誌『たね』に掲載しました。ただし、その前に
    1981年発行の『たね』にその原型となるものを発表し
    ています。

大場:つまり、書きなおされたのですね。

宮里:そうです。

大場:たとえばどんなところを?

宮里:沖縄の方言が何箇所かあったのを、「ウンジュ」だけ
    にしました。

大場:どういう意図でそうなさったのですか。

宮里:「ウンジュ」という言葉をより際立たせるためです。そ
    れから説明的と思われる部分をできるだけカットした。

大場:ああ、そのおかげで私が苦労する。(笑)

宮里:どうもすみません。(笑)

大場:そうしますと、先ほどお話しにあった、カミソリで切って
    しまった女性の写真をご覧になったりなさったのは、1
    981年よりも前ということになりますね。

宮里:そうです。そういうものに接してから『ウンジュよ』を書
    き出すまでにしばらく期間がありました。テーマがテー
    マだけに、とても思いつきで書けるものではありませ
    んからね。

大場:熟成期間が必要だった、ということですね。

宮里:ええ。

【葛藤を超えて】
大場:「語り」の形を採られたのには、どういう意図があった
    のですか。

宮里:そうですね。もちろん普通の黙読でもいいのですが、
    愛するわが子を手にかけ、声まで失ってしまった母親
    の苦悩は、やはり肉声として聞く方が最もふさわしい
    と考えました。まあ、ためしに、黙読した時と朗読し
    た時の感じを比べてみるとよく分かると思います。ど
    なたでもね。

大場:先生は、肉声として聞く方がふさわしいと思われたの
    ですね。
    ところで、この作品を書きながら先生の中で葛藤とか
    はなかったですか。

宮里:葛藤ですか。

大場:書いている途中で苦労なさったことでもいいのです
    が。

宮里:うーん……。それはやっぱり、果たして自分が母親の
    苦悩を描き切ることができるだろうかということです
    ね。ぼくは「集団自決」の現場にはいなかったんだし、
    子どもを産んだことがあるわけでもないですからね。
    それに、もうひとつの問題は、現在も「集団自決」の現
    場におられた方々が苦悩を抱えて生きていらっしゃ
    る。それはぼくなどの想像をはるかに超えた苦難の
    道であったと思います。ぼくはね、たとえばこの自
    分が自分の息子に手をかけることを想像するだけで
    も、まともな気持ちではいられないですよ。身の置
    き所のない苦しみです。癒えることのない苦しみで
    す。その苦しみを現実に生きていらっしゃる方々に対
    して、ぼくはただ黙って頭を下げるしかない。部外者
    であるそのお前が、その方々の苦しみの万分の一も
    理解できないお前が、一体何を書こうというのかとい
    う自問。まあ、これが一番の葛藤でした。


大場:でも、書かずにはいられなかった。

宮里:そうです。『ウンジュよ』を最初に書いてからおよそ30
    年経ちますが、その間、世界中でどれだけの戦争が
    あり、特に女性や子供たちを犠牲にしてきたか、そし
    て癒されることのない苦悩を強いてきたか。そういうこ
    とを考えただけでも、ぼくはこの作品を書いた意義が
    あると思っています。ぼくはこの作品を、戦争の犠牲
    になった人たちへの同情で書いたのではありません。
    理不尽な力によっていわれのない苦しみを強いる存
    在に対する「ノン!」のメッセージとして書いたつもりで
    す。
     理不尽な力というのは権力者だけとは限らないと思
    うのです。それは私たちの日常生活の中にもありま
    す。ですから、『ウンジュよ』は、戦争という特殊な状況
    下で起こった特殊な出来事だから、自分には関係な
    いというわけにはいかないと、ぼくは思います。時に
    は「ノン!」の対象が自分自身であるかもしれないの
    ですから。

大場:ええ。本当にその通りだと思います。戦争の体験者で
    もなく沖縄の出身でもない私がこの作品を語る時の接
    点は、いま先生がおっしゃった、戦争と日常生活の二
    つの面のうち、むしろ日常生活の方に重きがあるの
    かもしれません。平和に暮らすことや命を大切にする
    という普遍的な問題の方が私には分かりやすいので
    す。

宮里:そうでしょうね。それでいいと思いますよ。ぼくはこ
    の作品を政治的なプロパガンダとして書いたわけじゃ
    ないですから、大場さんは大場さんの視点で語れば
    いい。

大場:その言葉を聞いて安心しました。しっかりやります。

$大場久美子朗読【ウンジュよ】 公演実行委員会 blog-対談3


【傷が癒えることはない】
大場:話題は変わりますが、「集団自決」の現場におられた
    方々は、ご夫婦の間でさえ話題にしないで、自分の心
    の中に閉じ込めながら生きてこられたわけですね。で
    も、ドキュメンタリーの映像などを見ますと、その方々
    がお元気で生きておられて、とても穏やかな表情でイ
    ンタビューに応じておられるのを拝見したりしますと、
    ほっとしたり、すごいなあと思ったりするのですが、そ
    の生きる底力というのはどこから来るんでしょうね。

宮里:生きなければならないからでしょう。生きるには力が要
    ります。過去を乗り越える力がなければ、つぶれてし
    まう。ベトナム戦争やイラク戦争で戦った兵士たちの
    中には、戦争体験がトラウマとして残ってしまった人
    たちが多くいます。個人によって違うのでしょうが、乗
    り越える方法の基本には生きようという意志が働いて
    いるのではないかと、ぼくは思うんですが。でもね、忘
    れたわけでは決してないと思いますよ。だから、話が
    核心に触れる段階になると平常心ではいられなくなり
    ます。やはり苦しいのです。語ることがね。


【話題を舞台に】
大場:それでは舞台のことに話題を変えたいと思います。
    私、『ウンジュよ』を朗読しようと決めてから、先生にい
    ろいろ質問させていただきました。

宮里:ええ。

大場:練習していると、いろんな疑問が湧いてきて、作家の
    先生はどんな気持ちで書いたんだろうって、私は考え
    るんですよ。なるべく作家の先生の気持ちをいろいろ
    聞いたり、いろんな資料を見たりしたうえで、自分はど
    うして行こうかを考えるんです。たとえば、全然朗読に
    関係ないのだけれども、少年が手にぶら下げている
    鍋って、どんな形だろうかとか。

宮里:うん、うん。(笑)

大場:戦闘機の音なんかもグラマンとB29は違うとか、グラ
    マンは凄い不気味な音だったとか、偵察機がグーンと
    近づいてくるとかね。そういうことを今できるだけ聞い
    て参考にしたい。でも、グラマンの音は見つからなく
    て、結局加工して不気味にプロペラが回っている状況
    を作ってみたりしています。それから、雨も大雨だった
    のか、しとしとだったのかとかね。とにかく本番までに
    いろんなことを伺いたいと思っています。

宮里:そうね。効果音を使うからには、リアルでないといけな
    いからね。

大場:先生は『ウンジュよ』が朗読されるにあたって、ステー
    ジ上で表現されることに対して、音とか映像とか、頭
    に浮かんでいましたか。

宮里:それはあります。たとえば、蝋燭一本の明かりの中で
    ぼそぼそと読むとか、かつてのアングラ劇場のような
    ところで読むとか。東北弁や関西弁や沖縄の方言な
    どで読む舞台も見てみたいなあ。

大場:それもいいですね。

宮里:書き手はね、ことばが武器ですから、言葉だけでも観
    客に伝わるように書くというのが目標なんです。

大場:私は少しルール違反をしていると思います。朗読とは
    こういうものだという、みなさんの常識を破りすぎてい
    るかもしれない。だから、そこが心配なんですけれ
    ど…。(笑)効果音にしてもBGMにしても、私は映像的
    に構成してしまったので……。

宮里:それは何かお考えがあったからでしょう?

大場:朗読の基本があるとしたら私は経験がないので、よく
    分からない部分があります。どうしても朗読しながら演
    じたくなっちゃう。芝居のように感情を入れたくなるん
    です。朗読だとそういうことはいけないんだろうなと思
    って、どの程度感情を入れてよいのか、そのレベルを
    本番までにリサーチしなきゃと思っています。効果音を
    入れて朗読したテープを作りましたが、それは照明さ
    んや音響さん用に、タイミングを覚えてもらうために作
    ったものなのです。聞いてみると、芝居のようでもあり
    朗読のようでもあり(笑)やり甲斐のあるテーマです
    ね。

記者:朗読って今まで聞いたことがないんですが、感情移入
    してはいけないんですか。

大場:うーん、芝居とは違いますね。

記者:朗読と一人芝居の違いということでしょうか。

大場:ええ。同じ一つのセリフでも、静止して朗読として読ん
    でいるのと、こうして手を動かして芝居的に読むので
    は違うわけで、感じが違ってきちゃう感覚があるんで
    す。たとえば、「私はもう年をとりました。骨と皮ばかり
    になりました。何かこう世の中が…」とセリフを読みま
    すが、これを芝居風に話しをすとなると、「私はもう年
    をとりました。骨と皮ばかりになりました。何か…(考え
    るしぐさ)……こう…(思いつめるように)……」という
    表現になります。

記者:ええ。

大場:これが芝居なんです。私はどうしても言葉に表情を入
    れたくなってしまう。(笑)
    …今回はすべてが型破りで、それも小屋(劇場)をイメ
    ージしているから…。

記者:劇場のイメージですか。

大場:ええ。多分、普通のステージで、照明がポンと当たっ
    て、椅子があるだけの所だったら、普通に読むと思い
    ますが、今回は、防空壕の中のイメージで会場を選び
    ました。それは、観客の方々に、母親が体験したこと
    にできるだけ近い形で体験してもらいたいという気持
    ちがあったからです。肌で感じてほしいと、思いまし
    た。そういうことを考えていくと、効果音や照明が浮か
    んでくるわけです。それがどんどん増えてきてしまっ
    て…。(笑)

宮里:うん、それは語り手の個性でね、それでいいと思いま
    すよ。これまでも数人の方に読んでもらってます。

大場:先生はいろんな方に読んでもらいたいのですよね。

宮里:ええ。

大場:みなさんそれぞれ違っていましたか。

宮里:ええ、でも作品を静かに読むという点では同じです
    ね。

大場:では、私がこれからやろうとしている、効果音や照明
    や映像を使っての舞台は?

宮里:初めてです。だからまだイメージがわかないけれど
    も、そこが大場さんの大場久美子たるゆえんでしょう
    から、それを大切にしたいですね。

大場:私がこの作品を朗読したいとお願いした時はどんなお
    気持ちでしたか。

宮里:ぼくは基本的には朗読する人物を選びませんが、あ
    の『コメットさん』の大場久美子が『ウンジュよ』を?っ
    ていう感じはありましたね。なかなか結びつかない。
    (笑)でも、そこがまた面白いんじゃないかなと。戦争
    や人間の苦悩を語る専門家っていうのもおかしいでし
    ょ。
$大場久美子朗読【ウンジュよ】 公演実行委員会 blog-対談4

記者:コメットさん時代からのファンにとっては、戦争とか「集
    団自決」とかの言葉を見ただけで、どうして?と思うか
    もしれませんね。でも、大場さんが『コメットさん』のイメ
    ージをどんなふうに飛び越えるかと期待している方も
    多いと思いますよ。

大場:でも、私としては、これからやっと役者としてのスタート
    だと思っているので、これから私がやろうとしているこ
    とを見守ってほしいと思います。

記者:今の大場さんにとって、『コメットさん』はどんな存在で
    すか?

大場:私の歴史で、その時代があったからこそ今があると思
    っています。10代、20代、30代、そしての40代の経験
    があったからこそ、いま、50代の自分があるように、
    『コメットさん』の時代があったからこそ、いま、役者と
    しての自分があると思います。

記者:では、『ウンジュよ』に最初出会ったときに感じたこと
    は?

大場:途中まで読むんですけど、最後までは読めなくて……
    読んでは、仏壇の母の写真の前において(笑)また読
    んで……最後まで読めたのはかなり後になってからで
    す。

記者:苦しくなってしまったのですか?

大場:苦しいというより、なんだろう……。沖縄戦のこととか
    「集団自決」のこととかを勉強し始めたら、先ほど先生
    が仰っていた、身の置き所のない癒えることのない苦
    しみを体験なされた方々のことが、脳裏に浮かんでき
    て……。私にとっては『ウンジュよ』はフィクションでは
    なくて、ノンフィクションだったわけです。
     私は読みたいし、これは伝えたいと思っているけれ
    ども、私には読めないとずっと思っていました。

記者:ずっと?

大場:ええ。それで、今回いろんな偶然が重なって、劇場を
    決めてどんどん進む中でも、チラシのタイトルにある
    ように、震えてきているんです。何かこう特別な感情
    がわいてくる。本当に私が読んでいいのかな、果たし
    て読めるのかな、と。こんなことを言ったらいまさら何
    を言っているのって思われてしまうと思けど、その戦
    いは本番までずっと続くと思います。

記者:最初読まれたときに「集団自決」の事実を知っていて、
    読まれたのですか? それとも読んだ後で知ったので
    すか。

大場:知ってはいましたが、どれだけ悲惨だったかという詳
    しいところまでは知りませんでした。

宮里:それは無理もないですよ。人間って実際に体験してみ
    なければわからない。しかし、体験したからと言ってそ
    の体験をうまく伝えられるかと言うと、必ずしもそうで
    はない。物書きは体験のあるなしにかかわらず、フィ
    クションあるいはノンフィクションの形で、ことばによる
    表現を通して伝えようとします。『ウンジュよ』の場合、
    表現として成功しているかどうかは分からないけれど
    も、ぼくとしては少なくとも言葉の持つ力を信じたいで
    すね。今回の場合は、大場さんが大場さんなりのスタ
    イルで語ることで、書き手であるぼくの意図を超えた
    世界を展開してくれるかもしれない。大場さん自身も
    また、回を重ねるごとに新しい発見をしながら進化し
    ていく。ぼくはそれを期待しているんです。そこに大き
    な意義があると思います。

大場:さっき、この作品をなかなか最後まで読めないという
    話をしましたが、自分が制作サイドに回って、録音を
    聞いてみてね、やっと客観的になれました。それ以前
    は、仕事部屋の机にはいつもティッシュの箱が置いて
    あって、もう鼻をかみながら、泣きながら、1日1回から
    2回は必ず通して読むようにしていますが、それでも
    最後まで読みきれなくて、これは何箱ティッシュを使え
    ば読み切れるようになるだろう(笑)と思っていました
    ね。

宮里:それは大変だったなあ。それで、もう大丈夫?

大場:……。(笑)

宮里:余裕ができてきたところで、今度はどう読むかという
    ことになりますが、この作品は先ほどから話している
    ように、心理の変化や時間の推移に飛躍があります。
    飛躍ということは説明がないということです。しかし、
    その飛躍を語り手がどう表現するかということがぼく
    の楽しみです。何も語らずにうつむいているか、空(く
    う)を見つめて目を閉じているか、それとも……。

大場:そこが演者としても楽しみのひとつです。お客様に対
    してどう表現するかの戦いの中で、私は映像的表現
    を選びました。

宮里:たとえばね、母親が子供の首を絞めた後、自分もカミ
    ソリで首を切って倒れる。倒れた時は、きっと、こんな
    風になっているのでしょうね。(机に倒れて)意識はも
    うろうとしていますよね、その彼女が最後に見たもの
    は、草の葉から落ちる雫、だった。

大場:はい。

宮里:そこをどう解釈するかですね。解釈によっては、次の
    行に行く前にどれくらい間をおくか。そういうところが
    書き手としての、あの、おもしろいというか、楽しみな
    んですね。

記者:そうなんですか。聞いていて、先生が本当に楽しそう
    に感じます。(笑)

大場:だから、そこが、私が5分以内には次に進めないところ
    ですよ。倒れて雫を見ていて、次の瞬間、「でも助かり
    ましたぁ」(笑)とは言えないわけですよ。間を置いたに
    しても、さらっと「でも、死ねませんでした」とは、言えな
    い。もしその場ですぐに言うとすれば、息がだんだん
    なくなって、意識もなくなるのだけれども、「死ねません
    でした」と声にならないような声になると思うわけで
    す。少なくとも、役者としては、普通には読めない。か
    といって、5分も黙ったまま間を置くわけにはいきませ
    ん。

宮里:さて、困りましたね。どうしますか。

大場:さて、私はどう作りあげたでしょう。(笑)
$大場久美子朗読【ウンジュよ】 公演実行委員会 blog-対談1


記者:「でも、死ねませんでした」という言葉は、重いですよ
    ね。

宮里:重いです。しかもそういう箇所がいくつもある。
    おそらく、今回の公演で5ステージやって、それでもま
    だ語り切れていないとお感じになれば、書き手として
    はうれしいですね。大場久美子という女優は朗読の
    度に進化していくわけですからね。

大場:ええ。私、いまだに毎日毎日、変わってきています。朗
    読の面でも選曲の面でも。(笑)本番直前まではどん
    どん変わっていくと思います。

記者:その辺の作り方が、お芝居的ですね。
    最後に先生からひとことお願いします。

宮里:伸び伸びやってください。自分の産んだ子がどう成長
    していくか、楽しみながら見守りたいと思います。

記者:先生が今回の公演をとても楽しみにしておられること
    が、よく分かりました。大場さん、宮里先生、今日はお
    忙しいところ、ありがとうございました。